おすすめの鍋屋
三太郎は普段、特段グルメな人間というわけではない。うまい店を積極的に開拓、なんて事はしてはいない。酒については若干うるさく、うまいロックを出すバーはいくつか把握していたが、いわゆる居酒屋に対しては、酒にそういう期待をかけるような場ではないと割り切っていた。
彼が由加子を誘った、鍋料理をメインに据えたこの店も、酒についてはまったく普通の、並みのラインナップだった。三太郎はビールを瓶で済ますこととし、ありきたりな日本酒を一緒にオーダーしたのだが、由加子がそれに便乗してきた。
「そんなんでいいんですか。由加子さん、けっこうおっさんですね」
「ちょっと。そういう価値観こそ、古いんじゃないの。それこそおっさんだって。最近は女子だって、日本酒くらい普通に飲むんだから」
「女子」
「何よ」
三太郎は例のメッセージを送ると、返事をする間も与えず残業を切り上げた。驚き、慌てる由加子を尻目にオフィスを出、廊下で彼女を待ち構えた。はたして由加子は、思惑通りすぐに出てきて、すぐそこにいた三太郎の影に再び驚いた。
「じゃあ、最近の女子な由加子さんに、乾杯」
「それ、悪い気しかしないけど」
いかにもなガラスのコップに瓶ビールを注ぎ、それを合わせる。店内は木質のレトロモダンな雰囲気だが、それをことさら強調するでもなく、そして、鍋料理を出す店といった雰囲気でも全然なく、見上げれば天井は、業務用の換気扇やらアルミの配管やらがむき出しになっていた。
「由加子さん、どれ頼みますか。やっぱりこの、ぷるぷるコラーゲンたっぷり鍋ですか」
「そういうこと言って、何が面白いの。君のおすすめは無いの?」
「ここは何頼んでもうまいですよ。腹いっぱいになるし。じゃあもう、ぷるぷるコラーゲン鍋にしましょう」
「やめてよ。そんなのにしたら、なんだか負けた気がする」
「じゃあ勝ちにいきますか。これ。チャレンジ激辛ヒーヒー鍋。温まりそうですよ」
「日本酒に合わない!」
日本酒は、目の前でグラスと受け皿の升まで一杯に注ぐスタイルであった。店側の妙なこだわりが見えた。三太郎は、この掴みどころの無さを気に入っていた。
「今日って、金曜よね? のわりに、ずいぶん空いてない? 大丈夫なの? この店」
「団体客がはけた後なんですよきっと。すぐ混んできますよ」
「一場君、ここよく来るんだ?」
「いえ、めったに。ひとり鍋なんて、つまんないじゃないですか」
「ふうん」
「――ああ、来ましたよ、鍋」
「失礼しまーす。こちら、季節の味覚どっさり鍋でございまーす。煮えましたらどうぞー」
店員が鍋を卓上コンロに乗せ、火を点け、去る。
「無難なチョイスですね」
「…………」
由加子が不機嫌そうな顔をしてカールトンに手を伸ばした。連れて、三太郎もパーラメントをポケットから取り出す。
「日本酒と合わなくないですか」
「……慣れてるからいいの」
「要ります?」
「いらない。きついもん」
「今日のはもっときついですよ。短い方なんで。というか、本来はこっちなんですけどね」
「だから、いらないって……」
しばし、会話が途切れた。煙を吐き出しながら、鍋の煮えるのを待った。
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