六日目『結局人は無力である』

 今日も一日が始まってしまった。

 なぜ一日の最初はこんなにも重く、そして苦い味がするのだろうか?

 いつまで経っても恵まれない自分に腹をたて、少年は無意味に爪をかじって焦りをしていた。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 ノヴァは眠っているであろうアリーナの部屋へと急いでいた。


(結局昨日はクルーが死ぬことはなかった。ということは考えすぎか?いや、待てよ。よくよく考えてみれば、どうしてリーフィアはオレとアリーナが話しているのを見て、特に何もしなかった?いや、そもそもどうしてオレは卒業させられない?考えてみればおかしいことじゃないか)


 ノヴァは歩く足を止め、壁に寄りかかって考え始めた。


(リーフィアはオレを危険視しているはずだ。だが一向に卒業させられる気配もない。さらにはアリーナを特別警戒している素振りもない。なら……どういうことだ?)


 ノヴァは今まで考えてきた推理を壊されるような焦燥感を感じていた。一体敵は誰なのか?それだけを考える。

 そんなノヴァを邪魔するように、廊下を歩いていたリーフィアはノヴァへ話しかけた。


「どうした?ノヴァ」

「先生ですか。どうしてこんな朝早くから勇者寮に?まだ授業まで時間はありますが」

「実は一つ教えておきたいことがあってな。次に勇者となって卒業するのはアリーナだ」

「!?」


 ノヴァは目を見開いて驚いた。それもそのはず、敵であるはずのリーフィアが次にここから卒業する勇者を教えたのだ。


(まさか……リーフィアは敵でないのか?)


 ノヴァの心は微かに動揺していた。

 信じるものがない者にとって、信頼できるものが生まれか欠けている瞬間は判断力が鈍る。だからこそノヴァの心は歪みが生じていた。


「先生。あなたは、オレの敵ですか?」

「いいや。私は生徒の味方さ。それが教師というものだよ」


 リーフィアは去り、その背中を見てノヴァは深く考え込む。


(だがアリーナがいなくなってしまうのは痛手だな。まだ実験したいことは何個かあったし……。それにアリーナは、オレの初めての……)


「何を考えているんだ。オレは」


 ノヴァは自分の頬を殴った。その瞬間を見ていたアリーナは、驚いたようにノヴァへと歩み寄る。


「ノヴァ。いきなりどうしたの?」

「おおアリーナ。朝早いな。まだ六時だぞ」

「早起きは美容にいいんだよ。それに今日は覚悟を決めようと思ってからね」

「覚悟?」

「実は私、アズマローに告白するんだ」


 アリーナは恥ずかしさを堪えるように言った。


「アリーナ。あのさー……」


 今日、アリーナはいなくなってしまう。

 ノヴァはそれを知っている。リーフィアから聞いている。


「どうした?」


 アリーナは下を向いているノヴァを顔を覗き込んだ。

 ノヴァは胸を引き締められるような苦い痛みに襲われて、ひどく動揺を隠せずにいた。


「あ、それとさ、まだクルーは生きてるよ」


(そんなことどうだっていいさ。今は……アリーナ、お前が幸せになる方法があるのなら。お前が幸せを望んでいるのなら、オレは何だって……)


 もう昼になった。

 未だにノヴァは動き出すことができず、授業をサボってアリーナを屋根の上から見守っていた。

 アリーナはアズマローと楽しそうに話している。それを見て、ノヴァは決心して屋根を歩き、授業終わりにリーフィアのもとへと向かった。


「先生。話があります」

「何だ?」


 ノヴァは一息つき、口を開いた。


「今日卒業するのは、オレに変えていただけませんか?」

「なぜだ?」

「理由は言えません。ですが、どうしてもアリーナが死んではならない理由があるんです。だから、お願いします」


 深々と頭を下げたノヴァ。

 彼はいつも他者を見下すような態度をとっていた。そんな彼が、今初めて誰かに下手に出た。その光景に、リーフィアは驚くばかりである。


「お前がそれほどのことをするとはな。だが無理なものは無理なんだ。卒業する勇者を決めているのは私ではない。だからすまないが、諦めてくれ」


 結局何もできなかった。

 相変わらずオレは無力なままだった。

 何でもできる。そう思っていたはずなのに、どうしてかオレは弱いんだ。あの時も、オレが強ければ護れていたはずなのに。だから勇者になったはずなのに。


 ノヴァは深いため息を吐き捨て、屋根の上でいつものように寝転んでいた。いつの間にか昼が過ぎ、夜になっていた。

 ノヴァはそれに気づいて飛び起き、アリーナを探す。

 訓練所裏、そこでアリーナは誰かを待っていた。そこへ来たのは、


「アリーナ。こんな時間にどうしたの?もうすぐ卒業する勇者が発表されるよ」


 アズマローは何食わぬ顔をしてアリーナの前に現れた。

 アリーナは緊張しており、顔をうつ向かせてアズマローの顔を見れていない。


「私と…………付き合ってください」


 アリーナは言った。

 照れながらも、声が誇張しながらも、アリーナは言った。


「アリーナ。俺はずっと、お前のことが大好きだったよ」

「アズマロー……」

「アリーナ。ここを卒業したら、すぐ近くの村のイノリ村で待ってる」

「うん。解った」


 アリーナとアズマローは手を繋ぎ、教室へと歩み出していた。

 ノヴァはアリーナの決意を見て、再び足を走らせる。


 ここから外に出れば恐らくこの国に利用されるのみ。だがオレが先に出てその元凶を倒すことができたのなら、国の全てを変えてやる。


 ノヴァは再びリーフィアを呼び止める。


「先生。オレを先に卒業させてください。オレの方が、アリーナよりも強く成績も良いです。だからオレを先にーー」

「ーー昼間も言ったが、全て私が決めているわけではない。だから私には無理だ」

「それでも」

「それでも、一つだけ方法がある」


 ノヴァは急に黙り込み、リーフィアの話を聞く。


「卒業試験に合格すれば、君をアリーナの代わりに卒業させる。だが失敗すれば当然アリーナは卒業させる」

「はい」


 卒業生発表まで、残り十分。

 ノヴァは個室へ案内され、そこに全身に包帯を巻いた男とともに入れられていた。


「さあ、戦え」


 包帯を巻いた男は一瞬でノヴァの背後へと回り込んだ。


「速い!」


 ノヴァは振り向いて回し蹴りをするも、足を掴まれて振り回される。鋼鉄の壁に激突し、ノヴァは頭から血を流した。


「終わりか」


 包帯男は帰ろうと扉へと足を運ばせる。

 だが視線を感じ、すぐさま振り向いた。


「まだ……まだ戦える」


 ノヴァは持っていなかったはずの剣を握り、それを構えた。


「負けない」

「面白い」


 その頃、教室では誰が卒業するのかざわざわしていた。

 その中で、アリーナとアズマローは楽しそうに会話をしていた。だがアリーナはノヴァがいないことが気になって仕方がない。

 本来ならばいることも方が珍しいが、それでも親しき友のことは気になるものだ。


「ノヴァ……」




「残り一分」


 ノヴァは剣を振り回して包帯男へと一撃をいれようとするが、かすりすらしない。包帯男は素手でノヴァの腹を殴り、壁へと激突させた。

 血反吐を吐いて吹き飛んで、ノヴァは地に転がった。


「どうしてオレは……もう立てない……」


 ノヴァは必死に起き上がろうとするも、体に力が入らない。


「残り十秒」


 もう既に体の骨は数本折れ、常人ならば気絶していてもおかしくない痛みが彼の体を襲っていた。血が止まることなく溢れ、意識は遠退くばかりだ。それでもノヴァは舌を噛み、戦う。


「アリーナのために」


 ノヴァの剣が包帯男の心臓を貫き欠けた瞬間、時間制限が来るとともに、ノヴァは気絶して倒れた。


「ごめんアリーナ。オレじゃお前は、救えないな…………」


 勇者アリーナは王宮へと招待された。


「勇者アリーナ。よくぞ勇者となった。それでもお主に試練を……」

「待ってください国王様」

「なんじゃ?」

「私のわがままを一つ、聞いていただけませんか?」



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 魔王樹がはえる森。

 そこには、木が一つ、また増えていた。

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