第4話 釣り
釣り
魚を釣る、アレだ。
夫の趣味である。
休日になると、早朝からいそいそと釣りに出かけている。
車で。
何やら車で一時間ほど掛けて海へ向かい、
断崖絶壁の上から釣り糸を垂らしているらしい。
この行為自体がいかに死と隣り合わせなのかは言わずもがなである。
それは置いておく。
少なくとも私は釣りをしないのだから。
私は、自らの命を危険に晒す事に対しての恐怖はもちろん、
自分以外の生命を脅かす行為にも恐怖を感じる。
釣り。
それは、無差別殺人、いや、無差別殺魚だ。
魚の立場に立ってみよう。
ただ生きる為に大海を泳いでいるだけなのに、
死は唐突に訪れる。
それが自分より大きく強い、同じ魚類によってもたらされる死であれば、
それは仕方ない。自然の摂理である。
魚は皆、自らが生きる為に魚を喰らっているのだから。
しかし、釣りはどうだ。
人間の道楽だ。
釣りをせずとも人間は死なない。少なくとも夫は。
ただ釣りという行為を楽しむ為に、大海を必死に生き抜いてきた魚を殺生している。
「自分で釣った魚の味は格別だな〜」
などと、ぬくぬくと守られた環境で、
小さな命を平然と喰らう。
当然、私も魚は食べる。
美味しい。刺身など大好物である。
これは矛盾ではない。
魚を、お金を払って、買って、食べている。
これは、プロの漁師の命を繋ぐ行為だ。
プロの漁師は、道楽で魚を獲ていない。
釣りとは言わない。漁である。
漁師は、家族を養う為、自分自身が生きていく為、命懸けで漁に出ている。
その魚を、私がお金を払って食べる。これは命を救う行為だ。
それに、夫のような素人が釣った、痩せこけた魚を食べるより、プロの漁師が命懸けで釣っている魚の方が美味しいに決まっているのだ。
あくまで人間目線だが、
この世の生物のヒエラルキーの頂点に人間はいる。
人間が人間らしく豊かな生活を送る為には、魚には多少の犠牲を払って辛抱をしてもらうしかない。
ただ、私は、その犠牲が限りなく少なく済んでほしいと願う。
なので、趣味の釣りという行為は、やはり無差別殺魚であると言わずにはいられない。
長々と語ったものの、私は、表立って夫の釣り行為を否定はしない。
夫にとって、釣りは生き甲斐であり、
その生き甲斐がなくなれば、生きることに意味を見出せなくなるかもしれないからだ。
それはゆくゆく、どうしても《死》を想起させる。
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