第3話 運転

 運転



 日常生活の中で最も恐ろしい行為はこれかもしれない。


 運転。それは自殺行為にも殺人行為にもなり得る上に、常に《死》と隣り合わせの行為だ。


 しかし、私は運転をする。

 矛盾しているようだが、車は、人がより人らしく暮らせるように、博識者達が開発した文明の利器だ。


 簡単に言えば、便利であり、田舎暮らしをしている私にとって、これが無ければ買い物にも行けない。夫も子どももいるのだ。

 送迎などにも利用しなくてはならない。


 しかし、車に乗るようになってから十年以上が経つが、その間、一度も楽しいと思った事はない。

 常に恐怖と緊張で肩を張りながらハンドルを握り続けた為、私の肩凝りは恐らく一生ものだろう。

 叩けばコンコン、と音が鳴るほど固まりきっている気がする。


 運転行為はこわいものである、というのは世間一般の共通認識であるとは思うのだが、

 本当の恐ろしさを皆、どこまで理解しているのか、甚だ疑問だ。


 片側一車線の道路を運転していたとしよう。

 助手席には夫、後部座席には息子を乗せて。

 私のハンドルを握る手に、家族の命が懸かっている。

 もし、突然前方に鹿が横切ったとしたら。

 私がその鹿を避けようと、ハンドルを右に切ったとしたら。


 対向車と、正面衝突だ。


 私の家族や自分自身だけではなく、対向車の罪もない方々まで死に追いやってしまう。

 生き残るのは鹿だけだ。


 恐ろしい。想像しただけで背筋が凍る。


 もし私がそのようなミスを犯さないと仮定したとしても、


 対向車線を走る運転手がもし、

 薬物中毒者だったら。


 見える筈のない妖精を捕まえようだとか

 世にもおかしな思考でハンドルをこちらに切ったとしたら。


 正面衝突だ。


《死》だ。


 薬物中毒者だけではない。飲酒運転、居眠り運転。

 今まさに人を死に追いやろうとしている運転手が、世の中にはごまんといるのだ。


 なので私は、少しでも対向車がフラフラとこちらに寄って来そうな気配を感じた瞬間に、


 迷いなくハンドルを左に切る事にしている。


 お陰で我が家の車体の左半分は、ガードレールなどを擦った傷や凹みだらけなのだが、命には変えられない。


 当然、左側の歩道の歩行者に迷惑を掛けぬよう、車体の頭からは突っ込まず、車体左側面を擦り付けるようにして車道の左に寄せる。

 これは長年を掛けて、私が編み出した、命を守るテクニックだ。


 車体左側面の傷や凹みは、名誉の勲章である。


 それなのに、

「また傷付けたのかよ」

 などと、夫がトンチンカンな事を言い出す。


 私がハンドルを握る手に、己の命が懸かっている事を理解していないのだ。


 己は妻に生かされているという事実に、気が付いていないのだ。


 つい先日は、左のバックミラーが、電信柱を擦り、バリバリと音を立てて折れた。


 夫は溜息を吐いていた。


 まだ気付いてないらしい。

 これは、名誉の勲章なのだ。

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