その男
松長良樹
その男
保安官はその酔っ払いを留置所から引っ張り出すと、コーヒーカップをテーブルに置いた。苦み走っていて西部の荒くれ者を相手にしてきた男の扱いは、決して丁重とは言えなかった。
「おい、もう酔いは覚めたかな」
太い声で保安官がそう言うと男は
「ええ、もうとっくに覚めてますぜ。
「マスター? その言い方はよせ」
不機嫌そうな表情で保安官は吐き捨てるように言った。
「ところでおまえは何処から来た? よそ者のくせにこの町で騒ぎを起こすなんて馬鹿な奴だ。おまえみたいな年寄りが、牧場主のトムに喧嘩を売るなんて気違い沙汰だな。トムには取り巻きがいる、それもかなりヤバイ連中だよ。場合によったら、俺の知らないところでリンチになる可能性だってある」
男は何も答えず、くたびれた青白い顔のまま壁を見つめていた。
「おまえが壊した酒場の椅子と鏡の料金に色を付けて払えば、ここは見逃してやるよ。すぐこの町を出るんだな。おまえはよそ者で何にも知らなかったんだろうさ。そしてこの町には二度と来るな。わかったか」
保安官はそう言って男を睨んだ。その言葉には多少の温情が含まれていた。だが男はわかったのかわからいのか、首をただ横に振った。
「わかりましたよ。ところで、マスター、いや保安官。こういう話を知っていますか?」
「なんだ」
「ええ、ばかなガキの話ですよ。とんでもない悪ガキの話なんですが」
「おい、おい、そんな話は聞きたくもねえぜ。金だけ置いたらさっさと消えな」
「わかりました。おとなしく町を出ますよ。じゃあ所持品を返してください。全部あんたが預かったんでしょ」
「ああ、いいだろう返してやるよ」
保安官はそう言って椅子を引いて立ち上がると、鉄格子の横の粗末な抽斗から、男の帽子と財布と銃を持ってきてテーブルに置いた。
男は財布を開いた。と、札を取り出そうとして手が滑ったのか、三枚の札びらと数個のコインがテーブル下に落ちた。男はテーブルの下に潜りこんで札をまさぐった。
「ちきしょう、何処へ行きやがった!」
と忌々しそうに独り言を言いながら。そして男が顔をあげた時には、いつの間にか手に銃が握られていて、銃口は明らかに保安官に向けられていた。
老人にはあり得ない早業と言っていい。だが、保安官は意外に慌てなかった。
「どういうつもりだ? なんのまねだ、そいつは?」
「俺はあんたにどうしても悪ガキの話を聞いて欲しいんだ」
「いいだろう、それでおまえの気が済むなら話しな」
保安官は表情も変えず、低い声でそう言った。
「悪ガキ、そいつは左利きだったけれど、生まれつきはずいぶん人見知りをする、おとなしい奴だった。いつも虐められていたくらいだからねえ。そんな奴が十二になりかけた時、母親が飲んだくれに酷く侮辱されたので、かっとなって相手を撃ち殺しちまったんだ。それから人が変わった。十五の時母親が死んで奴は家にもよりつかない札付きになった。だが奴は家族には決して牙をむけなかった。奴はとても孤独な奴なんだ。思った事が言えない臆病者だった。奴は育ちのいい母親からちゃんと教育だって受けたんだ。それに頭が良く達筆で、そいつは奴が州知事に恩赦を求めて書いた手紙を見ればわかる」
「――で、おまえ何が言いたい?」
保安官が男を落ち着けるようにそう言った。
「わからないかい?」
男は一瞬、途方に暮れたような顔をした。
「俺は、奴を何度か思い切りぶん殴った。奴が横道にそれないようにだ。だが駄目だった。悔しいがどうにもなりゃしねえ」
そのとき保安官の顔からさっと血の引くのが見てとれた。
「俺はある時から、心にささくれが出来たんだ。そいつが痛くて仕方がねえ、どうにも我慢が出来ねえんだ。心の底でやっぱり俺は奴を愛していたんだ。パット・ギャレットという男が二十一になったばかりの奴を撃ち殺したんだ。俺は奴の死骸を見なけりゃよかった。それならここにはいない。奴は闇討ちに遭ったんだ。その上、二目と見れねえ顔になっていたぜ!」
「あんた、ビリーのなんなんだ!」
はじめて保安官の顔に恐怖が浮かんだ。
「俺はキッドの親父さ。俺の気持ちが少しはわかるか! 俺は先もないしどうなってもいいんだ。仇討ちに来たぜ、ギャレット!」
その顔は笑っているのに飛び切り物騒だった。
男の内に暗い炎が燃え上がるようだった。
「そうか……。あんたわざとここに来たって訳か。だが修羅場を知る俺が弾を入れたままの銃をそう簡単にあんたに返すと思ったのか?」
だが男は苦笑いをしてこう言った。
「でも、俺の持ってる銃は俺のじゃない。さっき抜き取ったあんたの銃だよ。そして早打ちは俺の血筋だ!」
保安官が飛び退くのと銃声がするのとは殆ど同時だった。
了
その男 松長良樹 @yoshiki2020
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます