第2話

 その日の学校からの帰り道。まだ雨は小雨ながらに降っている。

 駅のホームについて、電車を待つ。いつものように葉月と二人、無言の時間。無言でも、なんとなく一緒にいられる。お互いに空気みたいな友人だ。読む本の好みは違っても、お互いの好みを尊重しあってる。


 帰りの時間帯は、朝に比べると乗客も少なく、ほとんどが、隣の高校の生徒たち。


「あっち行こうか」


 葉月に声をかける美輪。なんとなく、その集団から離れたくなったのは、朝見た、男子高校生の姿が見えたからだ。彼の視野に入りたくなくて、隣の車両に移動した。


 ――どうか、気付かれていませんように。


 美輪の思いとは裏腹に、彼の薄暗い瞳の端に、彼女の鞄の革製の猫のチャームが映る。顔をあげて、彼女の背中を視線が追う。


「どうした?」


 一緒にいた男からの声。


「ん? いや」


 無表情のまま、会話にの中に戻る。


「……見つけた……」


 口元に歪んだ笑みを浮かべながら、小さく呟く。

 その言葉は、周囲の男たちの会話にかき消された。


              *   *   *


 地元の駅につくと、葉月は別の路線のバスで帰っていった。

 天気予報とは裏腹に雨もあがってたこともあり、曇ってはいてもまだ明るいと思い、美輪は歩いて帰ることにした。


 車の通りの多い道。夕方の犬の散歩をしている老人や、これから夕飯の買い物にいく主婦、美輪と同じように学校の帰りと思われる女子高生。


 いつもと同じ風景。

 そして、いつも通り、近道をするために横道にはいる。


 古くからの大きな住宅が続き、そして、木々が大きく茂った坂道が見えた。

 空が少し薄暗くなってきたが、斜面に建てられ始めた新しい家々の存在が、いつも通りの道を、疑いもなく選ばせた。


 雨上がりの道は少し、靴音を増幅させる気がして、いつも以上に、自分の靴音がペタペタと聞こえた。

 どこかの家から、醤油の匂いだろうか、夕飯の匂いがしてくる。

 叱られた子供の泣き声に、再放送のドラマか何かの声が聞こえる。

 音楽を聴きながら歩くのもいいけど、BGMなしで、町の音を聞く幸せ。


 そんなことを考えながら、美輪は家路を急ぐ。


              *   *   *


 先を歩く美輪の後ろ姿を、じっとりと見る視線は、足元から徐々にあがり、肌の白いぷっくりした脹脛をかすめ、彼女のふっくらした腰のあたりで止まる。

 通行人の合間をぬい、ジリジリと間合いを詰めていく。


 大きな通りから、脇道にそれた姿をみて、ニヤリとした。

 口角をあげた唇。瞳は獲物を見つけた蛇。

 躊躇なく後を追った。


              *   *   *


 ペタペタ。ペタペタ。ペタペタペタ。


 美輪の足音に重なる、もう一つの足音。

 この時間帯を歩く人はあまりいない。全然いないわけじゃない。


 しかし、なぜか、追われてるように感じる。

 美輪は振り向いて見たが、ちょうど坂道のカーブでわからない。

 ただ、なんだか『嫌な感じ』だけがする。

 何かが、『急げ』と、言っている気がする。


 美輪は、恐怖を飲み込み、駆けだした。


              *   *   *


 カーブの先で、足音が変わったの気付く男。

 速足で、カーブを曲がると、走り出している美輪の後姿が見えて、思わず舌打ちする。


 少し歩くペースを早めた。

 美輪の歩くペースで歩いていたのを、いつも歩くペースより、少し早くしただけ。


 逃げても

 逃げても

 帰る家は知っている。


 後姿は、少しずつ少しずつ、小さくなっていき、二又の路地で、右に曲がっていく美輪。

 彼が二又に着くころには、もう彼女の姿はない。


「フンッ」


 ちょっとだけ惜しそうな眼差し。

 暗い瞳の彼は、美輪とは反対方向に消えていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る