第12話波乱の一日だった
夏のプールとは本当に気持ちの良いものでずっとここに居たいとさえ思えるものだった。
流れるプールで同じ浮き輪に捕まりながらする雑談は普段とは違う楽しさがある。
それが何なのかはわからないけどきっとこれを楽しく感じているのは和泉さんの力のおかげなんだろう。
他の人と来ても全く楽しめるイメージが浮かばない。
だからこの時間をできる限り楽しもうと思いながら、俺たちはまたゆらゆらと水の上を揺蕩っている。
何か行動を起こすでもなく、ただ流れていく水と
「ねぇねぇ、りんたん」
「ん?どうしたの?」
「私、よくわかんないんだけど、今こうしてりんたんと一緒に話しているだけで、とっても楽しいよ」
「俺も同じこと思ってた」
「ほんと?なら嬉しいよ。でもなんだか眠くなってきちゃったから、ここはスリルを求めに行こう!」
スリル……?
「えっともしかしてあのウォータースライダーに……?」
「そうだよ!思い立ったが吉日!りんたん、すぐに行くよぉ!」
切り替え早すぎ……。女子高生ってすごいな……。
「ちょ……ちょっと待って……」
俺の訴えもむなしく消え去り和泉さんのされるがままに俺はウォータースライダーまで引っ張っていかれた。
そして長い列の前に、こんな看板があった。
・初心者用
・上級者用
・二人用
と。和泉さんは迷わず二人用のところに並んだ。
一緒に滑ることは確定みたいだ。わざわざ二人用のことを口に出すなんていう野暮なことはさすがに俺でもしない。
「楽しみだね」
「そうだね。ちょっと怖いけど」
「大丈夫だよ。そんな確かにちょっと長いけど、一緒に滑るんだから」
長蛇の列が進んでいるのを待っているうちに正午のチャイムが、鳴り響く。
「もうお昼だね……。これ滑ったら、その辺で買って、ショッピングモールに行こうね!」
「そうだね。それにしても楽しい時間って過ぎるのがあっという間だね。少し寂しく感じちゃうよ」
早く過ぎていく時間を感慨深く感じていると、いつの間にか俺たちの番が回ってきていた。
「ほらほら、りんたん早く!」
俺は和泉さんを俺の伸ばした両足の間に入れる。
するとスタッフの人が「彼氏さんは後ろから手を回してあげてくださいね~」と満面の笑みで言った。
恥ずかしいからと言って、ハグしないわけにもいかなくて、俺はできるだけ彼女の肌に触れないように、彼女を包み込むように手を回した。
そして彼女の耳元で小さな声で「ごめんね」と囁く。
「はぅ……。ぅうん、大丈夫だよ」
マイブラザー……絶対に立ち上がるなよ。俺。理性だけは保てよ……。
「それではいってらっしゃ~い」
押し出されると、肌に触れる触れないなんて意識の蚊帳の外に行ってしまって、離れないように俺は和泉さんの細いウエストに腕を巻き付かせていた。
一瞬。そう表現するのが正しいと思う。気づくと、俺たちは水面に出ていて、高く上がった太陽にギラギラと照らされていた。
あまり楽しむ余裕がなかった……。
「和泉さん?」
和泉さんは俺に背を向けたまま、水面に顔を勢いよく付けた。
……!?和泉さんが壊れた!?
そして和泉さんが水面から顔を上げる。
「だ、大丈夫?」
「り、りんたん。今こっち見ないでぇ……」
和泉さんがこの後「はずかしいからぁ」と小さな声で言ったことに凜は気が付かない。耳が真っ赤に染まっていたことにも。
やっと和泉さんがまた俺の目を見て話せるようになったところで、俺たちは昼食を摂ることにした。
俺はホットドッグか焼きそばで困っていると、和泉さんが「りんたんはもう決まった?」と聞いてくる。
「ううん。まだ決まってないよ。ホットドッグにするか焼きそばにするかで迷ってる」
「りんたんも?私もそこの二つでどっちのしようかで迷ってたんだ。あの、りんたんさえよければ、ホットドッグ二つ買って、焼きそばはシェアするみたいな形にしない?」
願ったりかなったりだ。俺はこれ以上ない提案にすぐにうなずいた。
「「いただきます!」」
俺たちはシートの上に腰を下ろし、ホットドッグに口をつける。
屋台とかで作られたものって、雰囲気や場所の関係も相まって、普段よりもおいしく感じた。
「おいしいね!」
片頬だけハムスターみたいになっている和泉さんを見て思わず笑ってしまう。
「どうして笑うのぉ……」
「ごめんごめん。なんか小動物みたいでかわいいなって思ってさ」
「かわっ……!ありがと……笑ったことは許しちゃいます」
そして焼きそばを含めた、昼食を平らげると、どっと満足感が襲ってくる。
「なんかあんまり食べてないけどお腹いっぱいだなぁ」
「そうだね。あっ、りんたん、口元にケチャップついてるよ」
和泉さんはそう言って、流れるような動作で俺の唇に触れて、そのまま自分の口に運んだ。
俺はそこでどうしようもなく顔が熱くなってしまうのを感じる。
「そ、それじゃあ、この後はショッピングモールに行くんだよね?は、早く準備していこうか」
早口でまくし立てる俺を見て、和泉さんはずっと笑っていた。
◇◆◇
着替えて髪をワックスで整えて外に出ると、和泉さんは髪をタオルで乾かしていた。
「おまたせ、和泉さん」
「りんた……ん?」
「ん?そうだけど、どうかした?」
「なんか髪をセットしてるだけでずいぶんと印象違うね!学校もそれでくればいいのに!」
「まあ、そうなんだろうけど、俺って朝弱いし、寝てられるなら寝ていたいと言うか」
俺の朝は本当に弱い、どれくらい弱いかというとコイキングくらい弱い。
……さすがにそこまでは弱くはなかった。
「えぇ……。お願い!一回でいいから!それで来てくれない?」
「まあ、一回くらいなら……」
「やった!聞いたからね!絶対だよ!?」
「わかったよ……」
大丈夫かな……。いきなり髪にワックスなんてつけてきて、イキってるとか思われないかなぁ……。
そんなことは気にしていないように、和泉さんは鼻歌を口ずさんでいた。
それからバスと電車を使って、ショッピングモールまでやってきた俺たち。
いろいろな店に入っているはいいものの俺はそのたびに和泉さんの着せ替え人形にされていた。
「りんたんって意外と何でも似合うね。細身だし身長も高いくて、スタイルいいなぁ」
「和泉さんが持ってきてくれた服のセンスがいいだけだよ。俺一人で来てたらどんなに悲惨なことになっていたことか……」
「そんな悲惨って……ふふっ、なんか想像できちゃう」
想像できちゃうのか……、それはそれでなかなかにくるものがある。
「まあまあ、りんたんに似合う服はたくさんあるんだから」
「和泉さん……俺に似合う服を見繕ってください……」
和泉さんは笑いながら満面の笑みで「いいよ!」と答えてくれた。
◇◆◇
はぁ⋯⋯疲れた。
今の時刻は午後五時半。
約三時間ほど俺はこのショッピングモール内を連れ回されていた。
女子ってファッション関係の話になると、ほんと飽きないのな。
俺はもう二時間前には完全に力尽きてて、気づいたら両手に服の入った紙袋が。
普段から遊んでいたら、絶対に財布の中がすっからかんになっていた。
「よし!りんたんの洋服はこれで大丈夫かな!あの、りんたん、私の服も選んでくれない?」
「俺が?和泉さんのを?」
和泉さんはこくっと頷いて、少し顔を赤らめる。
「でも、酷いことになっちゃうかもしれないよ?」
「それでもいいの!なんというかりんたんと一緒に来たっていう思い出が欲しいから⋯⋯」
健気だ⋯⋯なんて健気なんだ⋯⋯。
こんなことを言われて、断れるわけがない。なんとしてでも和泉さんを綺麗に見繕ってやろうという気持ちが芽生えた。
「もちろん!絶対に和泉さんに似合っているものを買うから!」
「期待してるねっ!」
そう思ってお店に入ったはいいもののやはり俺に服を選ぶセンスなんて皆無でどううすればいいかわからないまま、店の端っこまでやってきてしまった。
「何かいいのはあった?」
「う~ん……なんとも言えないかなぁ……全部似合いそうで」
「そ、そうかな?えへへ」
和泉さんは少しだけ顔を赤らめて嬉しそうに笑みを浮かべる。
思ったことを伝えただけだけど、喜んでもらえたならよかった。
とりあえず、俺は気になった服を和泉さんに合わせていった。
ワンピース、黒のフレアスカートにベージュのスウェットを合わせたもの。
どれもよく似合っていると思えるのだが、なんというかもっと似合うものがある気がする。
一枚一枚丁寧に見ていると、ミントグリーンのシアーチュニックブラウスに白のリブラフパンツをあわせたマネキンが目に入った。
和泉さんに着てみてほしい。
そう思って、俺は和泉さんにその一着を手渡して、更衣室の前で待つ。
「和泉さん?着替え終わった?」
こんなこと聞くのはデリカシーがないのかもしれないけれど、俺は和泉さんの着飾った姿を早く見たくて仕方がなかった。
「うん、着替え終わったよ」
そして和泉さんはそのままカーテンを開く。
「おぉ……。自分で選んでおいて言うのも変だけど、すごくよく似合ってると思うよ」
「それじゃあ、これを買おっかな!りんたんのお墨付きだし!」
なんとか自分の役目を果たせた気がして安心していると、いつの間にか時間は七時を回っていることに気が付いた。
服選びに集中していてまったく気にしていなかったけれど俺の腹の虫も悲鳴を上げていた。
更衣室から出てきた和泉さんは開口一番に「お腹減ったぁ~!」と消え入りそうなか細い声で悲鳴を上げた。
「ごめんね。たくさん時間使っちゃって……」
「ううん。今は夜ご飯が食べれてないことより嬉しさの方が大きいから!」
満面の絵意味でそう答える彼女はまるで天使のようだった。
「お腹も減ったし今日はちょっとお金使いすぎちゃったから、最後はファミレスでいいかな?」
「うん、いいよ。俺も財布の中がもうすぐですっからかんだよ」
ここでおごるから行きたいところでいいよ。とか言いたかったのだが、財布がかつかつすぎて、今月の生活費さえ危ぶまれるレベルなのだ。
クーラーは欠かせないから、食費を削るしかない……。
だからこそこの提案は本当にありがたい限りなのである。
俺はスマホのアプリを開いて、近くのファミレスを探して、その方向に歩き始める。
本当に便利な時代になったものだなぁ。とおじさん染みた考えを、頭の中で
「都内って本当にたくさんお店があるんだねぇ……。困る気がしないよ」
「そうだよね~。私も今日、どこに行くかとか調べているときに、たくさんありすぎて困っちゃったのをよく覚えてるもん」
そんな都内トークで盛り上がったまま、ファミレスに入った俺たちは、だんだんと中学生の頃の話に移っていった。
「俺はあんまり中学生のころにいい思い出はなかったなぁ」
「それって聞いてもいい?」
「まあ、もう過ぎた話だし、ただ友達があんまりいなかっただけだから」
まあ、それだけで一人暮らしを決意する理由にはならないんだけど……。
「そうなんだぁ。今はもう私がいるから困った事があったらたくさん相談してね!」
「……うん。ありがとう」
確かな友達ができたことに形容し難い高揚感を覚える。
口に運んだハンバーグの味が薄れていってしまうよう。
咀嚼することも忘れて、こみ上げてきた感情を抑えることに精一杯になっていた。
ご飯を食べ終えると、今日一日歩き続けた疲れが一気にやってきた。
目の前に座る和泉さんはうとうととしていて時々瞼が落ちてしまっている。
「和泉さん、早めに電車乗ろうか?疲れてるでしょ?」
「うん……」
とりあえず会計だけを済まして、今にも眠ってしまいそうな和泉さんを連れてお店を出た。
ほとんど知らない街でほぼ寝ている女の子を一人連れていくのは、少々めんどくさかったけど問題なく駅まではたどり着くことができた。
運よく電車の席にも座ることができたものはいいものの、そこで和泉さんは完全に限界を迎えてしまったのか、俺の肩にもたれかかってきた。
午前中にプールに入ったにもかかわらず和泉さんの髪からはいい匂いがするし、こっちを見ている社会人のサラリーマンらしき人たちは俺たちを見てため息をついているし……。
目を閉じたい。でもそしたら寝過ごしてしまう気しかしない。頑張ってこの視線からも耐えるんだ……。俺、がんばれ。
スマホに目を向けながらなんとか乗り換えをする駅までやってきて、和泉さんを起こす。
「和泉さん、起きて?」
「んぅ~あれぇ、りんたんだぁ~いい夢だなぁ~」
そう言って和泉さんは突然俺の首に手を回してきた。
公共の場所だったから声を出さなくて済んだものの、二人きりじゃなかったら絶対に絶叫していた。
「和泉さん?起きて?夢じゃないよ?」
「ふぇ?あれ?電車?……!!!」
すると一瞬で和泉さんの顔は真っ赤に染まった。
「ごっ!ごめんっ!い、行こっか!」
和泉さんは焦ったように電車を出て、最寄り駅までつながる電車に乗り込んだ。
下りの電車はガラガラで難なく座ることができたけど、逆にガラガラすぎて、和泉さんに少しだけ距離を開けられていたのが少しだけ心に刺さった。
「り、りんたんは寝てていいよ!わ、私は目が覚めちゃったし!」
さっきから和泉さんの声は上ずってしまっていて焦ってしまっていることは一目瞭然だった。
「じゃあ、言葉に甘えることにしようかな。おやすみ」
「うん!おやすみ!」
そこで俺は瞼を閉じて、気づくと夢の世界に堕ちていってしまっていた。
こうして俺は過去例に見ないほど波乱の一日を終えたのだった。
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