第7話ごめんなさいとありがとう
夏の陽もだんだんと暮れ始め、空は
こんな時間に帰るなんて久々だ。普段は部活なんかせずに、さっさと帰ってしまうもんだから、こんな夕焼けを高校三年間のうちにこの学校で見ることになるとは思っていなかった。
帰ればまた如月さんがいるのだろう。そう思うだけで気分が憂鬱になってくる。
でも、和泉さんに俺の気持ちをいろいろ気持ちを吐いて、少しだけすっきりとした俺の心は彼女をまだ家に置いておける余裕ができていた。
助けられてばっかりだし、今度何かお礼をしないとな。
アパート前に着くと彼女はドアの前で立ち尽くしていた。
「……遅いです」
「ごめん……」
冷たく重厚感のある音と共に開錠し、湿気のこもった暑苦しい、部屋の中に足を踏み入れた。
「あの……早川くん」
「なんだ?」
「いつまで私を置いてくれるつもりなんですか?」
意外な質問だった。これまでの悪魔っぷりを見る限り自分では絶対にこういうことを聞いてこないと思っていたのに……。
「如月さんがこの部屋を出ていきたくなるまでだな」
俺はぶっきらぼうにそう答えると、彼女は少しだけ驚いたような表情を見せる。
なにを驚いているんだと毒づきたくもなったが、それは心にしまっておく。
「なんで何も聞かずに私のことをここに置いていてくれるんですか」
少しだけ怒気をはらんだような声音でそう聞いてきた。
「言いたくなさそうだったし、それに聞いても答えてくれないだろ」
「それでも気になるものは気になるでしょ······?」
如月さんは困惑したような声をあげる。
「別に無理に知りたいとは思ったことはないよ。聞いたところで何かが変わるのかって言ったらそうでもないんだろ?」
「まあ······」
今日の如月さんはやけに変だ。歯切れが多いというか······。
漠然としたただの感覚でしかないけど、もうすぐで如月さんの居候生活も一ヶ月にもなるのだから多少の変化には気づけるくらいにはなっているだろう。
「如月さん。今日何かあった?」
「······別に。あなたの方こそ何かあったんじゃないの?」
変化に気づけるようになったのは俺だけじゃないってことなのかな。
何かを隠すために俺に問い返しているのか、それとも本当に何かあったことに気がついたのか。
本当のことなんてなんにも分からない。
「そんなことないよ。俺はいつも通りだ」
「そう······それじゃあ私は外で立ってるの疲れたので少し寝ることにしますね」
彼女は嫌味ったらしくそう言い残して、彼女の部屋、もとい俺の元寝室に入っていった。
6時くらいになったというのに、まだ日は高く、クーラーを点けていないと暑く感じる。
「はぁ……。夜ご飯でも作っておくか……」
俺はため息をもう一つ大きく吐いて、キッチンへ入った。
こうやってキッチンに立つことが最近はとても多くなった。
前までは面倒くさい時はカップラーメンや冷凍食品で済ましてしまうことが多かったし、そもそも食べないことだってまあまああったのだ。
しかし、彼女が来てからそんな生活は一変して毎日毎食分料理をするようになってしまった。
なんで俺は彼女のために料理を作っているんだろうか。
好きだったから?弱みを握られているから?
正直自分でもわからない。
「いてっ!」
考え事をしていたら、指を少し切ってしまったようだ。
小さな傷からはとめどなく血があふれてくる。
俺はまた大きなため息を一つついて、鮮血の混じった水が排水溝に流れていく様をまたぼーっとしながら見ているのであった。
◇◆◇
――皐月side
私は寝室に入って、すぐに布団に入りました。
リビングからクーラーの効いた風が入ってきていても、さすがに布団の中は暑いです。
だから寝るにも寝られません。タオルケットくらい用意してほしいですね。
でもこの前、たまたま夜中に目が覚めてしまったとき、彼は何も掛けずに寝ていました。
贅沢させてもらっているんだなとしみじみと感じました。
しかし、なぜ彼は私に手を出してこないのでしょうか。
もう一か月ですけど、私が寝てるときに彼が部屋に入ってきたことさえありません。せいぜいドアを叩いて朝に起こしてくれる程度です。
自慢じゃないですが、これでも学年一の美少女と言われるほどなんですよ?
だいたいの男の人は私と一つ屋根の下で寝ていたら、普通に手を出してくるものでしょう。
だけど、彼は初日のアレ以降は私に触れようとさえしません。
確かに彼は私の身体はいらないとは言いました。
でも彼は一度私のことを好きだと言ってくれていたんですよ?
さすがにメンタルが鋼すぎます。正直引きます。
私だって悪人にはなりたくなかった。でもならざるを得なかったんです。
正直彼にばかり家事をやらせているのは心がつらいです。
だから、せめてもの代替案として私の身体を自由にしていいと言ったのに彼はそれを断りました。
これじゃあ、私の罪悪感は募っていくばかりです。
ごめんなさい。早川くん。
彼に向かって面とこんなこと言えません。
今の彼にとって私は悪人だから。
だからせめてもの償いとしてこうやって、陰で謝るしかないんです。
ごめんなさい。
あなたが一人暮らしだということを利用してしまって。
ごめんなさい。
弱みを振りかざして、こんな迷惑極まりないことをしてしまって。
ごめんなさい。
私が自分の身可愛さにあなたの家に居候してしまって。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
――私がいてしまって。
もう私の心はいつの間にか押しつぶれてしまいました。
取り返しのつかないほどに。
他人の不幸な姿を見ているくらいなら、私が不幸であればいいんだ。
ありがとう。凜くん。
◇◆◇
指を切ったせいでいつも以上に時間がとられてしまった。
時間はもう七時を軽く回っていて、空腹感がこれ以上ないほど押し寄せてきていた。
でも如月さんを起こしに行かないといけない。
俺は空腹感からくる苛立ちか少し強めにドアを叩いてしまった。
「如月さん、起きてる?もう夜ご飯だよ」
俺の家ではご飯は家族みんなで食べるものとして、テーブルを囲んでいたために、如月さんが来てからはほぼ毎食食事を共にするようになっていた。
一人で食べても別にいいのだが、一人というのはただただ寂しいのだ。
すると如月さんは何も言わずにドアを開けて、椅子に座る。
寝室へつながるドア閉めようとして、そちらに目をむけると、やけに部屋がきれいになっている気がした。
まあ、女の子だし綺麗好きなんだろう。
俺は空腹感に耐えきれなくなって、如月さんと対面して座り、ご飯を食べ始めたのだった。
「ごちそうさまでした」
一足遅れて如月さんはご飯を食べ終えた。
「お粗末様でした」
いつもはすぐに食器を運んで部屋に戻ってしまうのだが今日は違った。
「早川くん」
「ん?なんだ?」
如月さんは大きく深呼吸を一つ挟んでから、俺が待ち望んでいたその言葉を口にした。
「私、今日で早川くんの家を出ていくことにしました」
「急に……?どうして?」
その理由に答えることなく彼女は寝室からキャリーバッグを引っ張ってきて、そのまま玄関へ向かった。
「今までありがとうございました」
彼女は靴を履こうとして、玄関の淵に腰を下ろした。
その動作は何かを急いでいるような、焦っているようなそんな感じがして、でもその違和感に俺は気が付かない。
彼女は振り返らず、玄関のドアを開けて立ち去ろうと外に足を一歩踏み出した。
「この一か月間……居候、させて、もらって……」
彼女はの言葉は途切れ途切れで嗚咽が時々混じっている。
そして彼女が振り返ると彼女は一筋の涙を垂らしていた。
「ありがとう」
とても演技には見えないその表情。
少なくともこの一言と彼女が流した一筋の涙は本物だった。
そして程なくして、扉が完全に閉まる。
俺の心はこれまでにないほど締め付けられて、そのまま玄関にうずくまり、嘘か本当かもわからない涙を流してしまった。
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