外伝 見習い従者の悩み事

外伝 見習い従者の悩み事・前編

 ◇見習いのサスファ視点のお話です。



「わ、私ですか?」


 見習い従者の私――サスファは急に任された重大な役目に目を丸くした。


 明日はイリスの世話係であるフォルトが休みの日だった。いつもなら教育係のルフィニアが代理を務めるのだが、今回はタイミングが悪くて他の仕事をしなければならず、そこでイリスと仲の良い私が頼まれたのだ。


「頼むよ。他に誰もいなくてさ」

「でも、私で大丈夫でしょうか?」


 イリスのことは一目見た時から大好きだった。

 透けるような白い肌、高価な宝石みたいに赤い瞳、きらめく銀の髪。何度相手をしても、そのお人形のような可愛らしさに魅了された。

 けれど、いきなり一人で面倒を見てくれと言われると戸惑ってしまう。


 外見がどんなに可憐で可愛くても、ほぼ一日中幼い子どもの――それも「お嬢様」の相手をする世話係の仕事は激務だ。

 ましてイリスは普通の子どもではない。生きるために血を欲し、人間を遥かに凌駕する力を秘めた吸血鬼なのだ。


「イリス様はサスファのことを気に入ってるから大丈夫。明日だけだから」


 勉強はいつも通りルフィニアが見るし、食事の手配もしてあるからと。

 そう言うフォルトの顔色はあまり良くなく、休みが必要なのは明らかだった。毎日の仕事に加えて血まで捧げているのだから無理もない。


「わ、分かりました」


 いつも世話になっている先輩から「な?」とお願いされてしまうと、断れない私がいた。


 ◇◇◇


 翌朝。一日の予定を書いて貰った紙と預かった荷物を抱えて、イリスの部屋の扉をコンコンコンとノックする。


「……ふぁい。どうぞ~」


 しばらく間を置いて返事が聞こえた。音に敏感な吸血鬼らしく、足音とノックで起きはしたものの、眠気から醒めきってはいないらしい。その高い声はぼやけていた。


「し、失礼します。おはようございます」


 自分でも緊張しているのが分かる。震える手でドアを開けると、ベッドの上で目をこすりながら起きようとするイリスが目に入った。

 可愛い……! 思わず心の中で感嘆を上げてしまう。


 ふわふわの銀の髪が寝ぐせだらけになっていたって、起き抜けの変な顔をしていたって、そんなことは全く関係がない。

 今日もイリスお嬢様は可憐で可愛らしい。一枚の絵にして飾っておきたいくらいだ。毎日接することが出来るフォルトを心の底から羨ましく思ってしまった。


「今日は私が一日、イリス様のお世話をさせて頂きますね」


 声をかけながら寝間着を脱がせ、クローゼットから取り出した服に着替えさせる。子ども服は小さくてこれまた可愛らしい。不安は拭いきれないにしろ、同時に心がうきうきしてくる。


「フォルトはおやすみなんだよね?」

「はい。明日には参りますので、ご安心くださいね」


 今度はイリスを鏡の前に座らせ、寝ぐせとの格闘に入った。といっても、実は前のように苦労することはない。

 毎朝の難事に弱り切ったフォルトが先輩方に相談し、その話が回り回ってルーシュの耳に入った結果、なんと特注の整髪料を取り寄せてくれたのだ。


 霧吹きの瓶をシュッと一拭きさせると仄かな薔薇の香りが広がり、美しい彫刻の入った櫛でとかせば――あの恐ろしい寝ぐせがするりと整った。

 まさに海よりも深い兄の愛が起こした奇跡である。きっととんでもない値段がすることだろう。すぅっと背筋が寒くなり、瓶と櫛を鏡台の引き出しにそっとしまった。


「さぁ、とっても素敵になりましたよ」

「ありがとう」


 お世辞でもなんでもない。いまや髪は星の閃きを集めたかのように輝き、鏡の中でにっこりと笑うイリスはおとぎ話の姫君の如き美しさを放っている。

 ぎゅうっと抱き締めたい衝動に駆られたが、相手は仕えるお嬢様である。ぐっと我慢した。代わりに出来ることを――役目を果たそう。


「それではお食事をどうぞ」


 身を屈めてえりを引っ張り、首から肩の肌を晒すとイリスの瞳が変わった。赤い瞳がより赤さを増し、薄く光を発する。私はそれを直視した途端、動けなくなってしまった。


「わーい。いただきまぁす」

「……!」


 イリスが両手で私を掴み、顔を近付けてきて首筋の匂いを嗅ぐ気配がしたと思った次の瞬間、ぷつりと小さく音がして鈍い痛みが走る。

 感じるのは幼子とは思えない強い握力と、髪が肌に触れる感覚。そして濃厚な薔薇の香りに交じって届く己の血の匂いだ。


「……」


 それはしばらくの間続き、最後に彼女がぺろりと傷口を舐めて終わった。零れてしまわないように塞いでくれたのだろう。

 そんなに奪われたわけでもないのに、少し頭がクラクラとする。襟を元に戻してからナプキンで口元を拭ってやると、イリスはもう無邪気な子どもの顔に戻っていた。


「ごちそうさま。おいしかったよ」

「それは良かったです」


 素直に嬉しかった。初めは正直、血を吸われるなんて怖かったが、そこに死や暴力、支配は存在しない。彼女達にとっては食物を摂取するのと何も変わらない行為なのだ。


 それどころか、きちんと感謝の気持ちまで表してくれる。大好きなお嬢様にお礼を言われる瞬間を、私がいとうはずがなかった。

 ……さすがに「あまりに嬉しくて全部捧げたくなってしまう」と言うと、周りからは止められてしまったけれど。

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