外伝 見習い従者の悩み事・中編

 食後の散歩は城の中をぐるりと巡ってから庭へと出るルートだった。


 城はとてつもなく広い。今は常に誰かが付き添っているが、もしもイリスが一人になっても道に迷ったりすることがないよう、フォルトが教えて回っている。

 今日もそれに倣ってのこと……なのだけれど、とにかく広大で階段も多いため、最後の方はすっかり息が上がってしまった。


「……はぁ、はぁ。き、今日はお庭でお茶にしましょう」

「やったぁ! あれ? サスファ、だいじょうぶ?」

「だ、大丈夫です」


 我ながら情けない。こんな体たらくでは、いつまで経っても正式な従者になんてなれないだろう。もっとイリスと一緒にいるためにも、明日からは勉強以外に体力作りにも励まなくてはと決意を新たにする。


「いいおてんきだね」

「そうですね」


 外は快晴だった。庭には細かな作業を得意とする従者達によって美しく手入れされた花々が咲き誇っており、その一角にお茶会の出来るスペースが作られている。


「こちらへどうぞ」

「はーい」


 植物の蔓をモチーフとした天井の隙間からは優しい光がもれ、白布の敷かれた丸テーブルに波打つ模様を描き出す。今にも小魚が飛び出してきそうだ。


「お待たせ致しました」


 席にイリスを座らせていると、柔らかな声と共に専属料理人の女性が給仕係を伴ってワゴンを押してやってきた。私も手伝い、手早くお茶の準備を広げていく。


「ありがとうございます」


 オレンジ色の髪をした料理人に小声で礼を告げられ、「いえ、こちらこそとても助かります」と急いで口にする。


 実は、普段はこの時間帯にお茶会などしないところを、仕事に不慣れな自分を助けるためにフォルトから連絡を受けて、わざわざ来てくれているのだ。

 朝から緊張し通しの上、血を与えて歩き回ったこともあり、すでに疲労を覚えていた私にはとても有難い援軍だった。


「イリス様。今日は私達もご一緒してよろしいでしょうか?」

「うん! わぁい、みんなでたべよう!」


 本来であれば世話係や料理人が主人と同じ食事の席に着くなどあり得ない。仕える一族が寛容かつ、非公式の場だからこそだ。

 紅茶を注ぎ、中心に軽食やデザートを並べ終えてから私達もそれぞれ腰かける。脇に控えてくれている給仕係を頼もしく感じながら、私達はティータイムを開始した。


「うーん、美味しい……!」

「おいしーねー」


 サクッと小気味良い音を立てるクッキーや、小さめに切り分けられたケーキやサンドイッチの優しい甘さが美味しい。数種類も用意された紅茶の味や香りだって素晴らしい。

 器一つとっても繊細さと上品さに満ちていて、従者の身には余るものばかりだ。


 なにより始終ご機嫌なイリスの可愛らしさはここでも際立っていて、近くで眺めていられるだけで幸せだ。疲れなど吹き飛んでしまった。


「お喜び頂けて光栄です」


 料理人がにこりと微笑む。ほっと息がつけるひとときだった。


 ◇◇◇


 午後はルフィニアが定刻通りにやってきてイリスに勉強を教える。まだ幼いため、色々な分野を少しずつやらせているそうだ。

 私は入口近くに控え、机に向かう様子を眺めていた。


「お話の音読から始めましょう。まずは私が読むので、本を見ていてくださいね」


 子ども向けの絵本をルフィニアが読み上げ、イリスが同じ本を持って文字を目で追っていく。いきなり一人で読むより、耳で聞いた方が分かりやすいからだろう。

 自分もそうやって文字を教わったなと懐かしい気持ちになった。


 ちなみに、今回は魔法使いが出てくる絵本のようだ。少し前に本当に魔法使い――厳密には「魔導師」というらしい――と知り合ってからというもの、イリスは魔法や魔法使いが出てくる物語にご執心なのだ。


 私もまさかそんなお伽話のような存在が本当に居るとは思っていなかった。でも、現実にこの城は「普通ではない力」によって浮いているし、となれば浮かせている者がいることになる。


 ルーシュの招きによって最近ここに出入りするようになった少年や少女は、城を浮かせた者の弟子達らしく、私とそんなに年も変わらなさそうなのに素晴らしい魔法――魔術を見せてくれ、物凄く驚いてしまった。


 イリスは彼らにもっと会って話を聞いたりしたいようだけれど、相手にも都合があってそれは難しいらしい。代わりにこうして絵本で気を紛らわせているのである。


「――それでは少し練習の時間を取ります。あとで聞かせてくださいね」


 課題を与えたルフィニアがこちらに近付いてきて、休憩を取るよう気遣ってくれた。フォルトもこの時間に休んでいるからと。しかし、私は首を横に振った。


「先ほどお茶会で軽く食事を頂きましたし、体も休めたので大丈夫です」

「でも、ここに居ては気を抜けないでしょ?」

「見学も勉強になりますし。イリス様を眺めていられるだけで幸せですから」


 彼女は、「相変わらずね」と軽く吹き出した。馬鹿にした響きがないのは、イリスに数年の間勉強を教えてきたルフィニアにも、似た気持ちがあるからだろう。


「そういえばきちんと聞いたことがなかったわね。貴女も世話係志望なの?」

「叶うのであれば、そうなりたいです」


 従者は、見習いのうちは色々な仕事を経験し、最終的に適性や希望によって振り分けられる。吸血鬼一族の近くに仕える者達は中でも花形だ。

 私はそそっかしい面もあり、決して向いてはいないのかもしれない。それでも頑張って学び、少しでもイリスの傍に居られるようになりたいと願っている。


「そう。そろそろイリス様に仕える女性の世話係が必要になる頃でしょうし、可能性はあるかもしれないわね」

「本当ですか?」


 目を輝かせる私に、あくまで可能性の話だと釘を刺してから続けた。これまでは幼い女の子の世話をフォルトが主に担ってきた。その現状がずっと続くはずがないと。


「確かに……」

「フォルトはルーシュ様の命令で今の役目に就いたのだけど、いつまでも一人で、というわけにはね?」

「外聞が悪いから、ですか?」


 おそるおそる尋ねると、彼女はあっさり否定した。普通のお嬢様ならそうかもしれないが、イリスは人間ではない。主人の意に沿わないことをしようとすれば、従者に待っている末路は一つである。

 そうでなければ、幾らルーシュのお気に入りでもフォルトを大事な妹の世話係にしたりはしないだろう。


「貴女もこの半日で経験したでしょう? 誰か一人に負えるものではないのよ。そしてそれは、今後増していくのが目に見えている」


 昨日見た、フォルトの青白い顔を思い出してはっとする。

 成長と共に、イリスの欲する血の量が増えていると彼も言っていた。城を歩き回っても息切れ一つしない体力だって、人間と比べるべくもない。

 サポートする人間がいなければ、遠からず立ち行かなくなるのは明らかだった。



 ◇魔術や魔導師についてはまた別のお話で……。

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