第7話 事態の終息

「あぁ、面白かった」


 辺りには独特の香りが漂っている。お膳立てを済ませたイルヤ達が次に出迎えた客は、イリスの従者を務める背の高い青年だった。

 金髪をきゅっとまとめて長く垂らした彼は、旅人らしい格好を決め込んではいたが、明らかに町の住人とは違う空気を放っている。


「随分と浅慮でしたね。とても主を守れるとは思えません」


 床に転がる、サクヤに血を奪われた哀れな男に視線を落としながら、ラクセスが溜め息混じりに言った。


「確かに、暴走の末に自滅ってのはなかなかの見せ物だったよなァ」

「それにしても美味しかったわ。さすがにイリスちゃんのところのコねぇ」


 イルヤが笑いすぎて引きつった顔を戻す努力をする横で、サクヤがふふと笑いを漏らす。彼女は口元に付いた赤をレースのハンカチで拭い取った。

 その色が生々しくて、従者は咄嗟に目を背ける。


「……そんなに違うものなのですか?」

「そりゃあそうさ。年季が違うからね」


 問いに答えたのはイルヤで、彼はしゃがみこんで完全に気を失った大の大人を軽々と小脇に抱えた。


 ◇◇◇


「悪戯でした、じゃあ済まないかなぁ」


 結果は目に見えていた。

 灯りの届かない暗がりから主とルーシュの会話を見ていたラクセスは、息を殺しながらも、全身に鳴り響く動悸と顔を伝う汗を抑えこむのに必死だった。


 ルーシュの来訪は分かっていた。そこで主を止めきれなかったのは自分の力不足だ。それでも、こうして緊迫した空間に放り込まれると後悔せずにはいられない。


「目を付けられてる」


 近くで見るルーシュは鋭さで光りそうな銀髪を持つ青年で、紅い瞳がイルヤとは別の意味で恐ろしさを醸し出している。

 そんな相手と手を伸ばせば届く距離で腹の内を探り合う主を、僅かばかり尊敬してしまう。


「分かってるだろ、上もお前を潰す腹づもりを始めてんだよ」


 「潰す」という物騒な単語にぎくりとする。ルーシュの後ろに付き従う年若き従者もはらはらと事の成り行きを見守って青くなっていた。


「ちぇ、面倒臭ぇなぁ」


 だからこそ、表面上は涼しい顔で睨み合っていた二人の均衡が崩れた時には心底安堵した。

 最後の最後までどう転ぶか分かったものではなかったのだ。


 ルーシュに連行されていく間も、イルヤとサクヤは大人しく従っていた。


 ◇◇◇


「何故、私だけ戻されるのですか。納得出来ません!」


 己の身分を忘れてラクセスは叫んだ。

 三人はその日のうちに上層部へと突き出された。王の居城の中層に誂えられた審議の間は、正面の扉を入るとコの字型の机から何人もの視線を浴びる作りになっていた。


 老若男女を問わない彼らは、いずれも王の傍に仕える権力者達だ。

 真正面に座す壮年の吸血鬼がまとめ役なのだろう。外見上の歳など当てにはならないけれど、銀髪に白い物が混じっているのが見えた。


 自然とその唇へと目が吸い寄せられる。しかし、彼女が見たのはそこまでだった。


「そちらの娘は従者か。摘み出せ」


 えっと思う間もなく、ここへ押し込んだのと同じ手がラクセスの腕を掴んで外へと追いやった。余りの強さに抵抗もままならならず、主達の背中が遠ざかる。

 ぱたりと扉が閉められたところで我に返って、初めて声が口から溢れた。


「静かにしろ。審議中だ」

「で、でも、私も計画に荷担した一人です。主をいさめることも出来ず――」

「それ以上、高潔な場を汚せば命を失うぞ」


 ひっと叫びを吞み込む代わりに、ごくりとのどが鳴った。



 審議の間でどのような尋問が行われたのかを、ついにラクセスが知ることはなかった。

 城へ帰された後は当主から一通りの事情を聞かれたのみで、しばらくは仕事から離れていろと言われてしまった。


「イルヤ様、奧様……」


 働くことも出来ず、自室で悶々とした日々を送る。狭い部屋には必要最低限の物しかなく、彼女はベッドの上で膝を抱えて数日間を過ごした。


 自分には非があった。

 無理を押してでも二人の考えを改めさせることが出来ていれば、こんなことにはならなかったはずだ。

 多くの犠牲を出すこともなかったし、こんな思いもしなくて済んだ……。


「ラクセス!」


 びくっとして、伏せていた顔を上げた。ドンドンと扉を叩きながら名を呼ぶのは、同僚の従者だった。


「何よ。謹慎中なのを知ってるでしょ」


 苛立ちからぞんざいな口調で言い返してしまう。そんな物憂げな彼女の気持ちを、次のセリフが吹き飛ばした。


「奥様とイルヤ様がお帰りになったぞ!」


 ラクセスはベッドから飛び出した。

 すでに当主の執務室で話をしている三人の元へ走り込んだ彼女の目に入ったのは、イルヤのげんなりとした表情だった。


「よォ、ラクセス、久しぶり。なぁ聞いてくれよ。……自室謹慎だってさ」

「……えっ?」


 慌てて口を抑えたがすでに遅く、間抜けな声を発してしまっていた。対照的にサクヤはカラカラと笑っている。


「今回のことを始めようって決めたのはイルヤでしょう? だから、イルヤには一番堪こたえるお仕置きを与えましょうって、女王様から言われたの」


 随分と待たされたのは、上層部だけでは処分を決められず、女王の意向を仰いでいたからのようだった。


 そして、「一番堪えるお仕置き」こそが、今までで最長期間の「自室謹慎」というわけだ。

 サクヤも同様の処分で済んだらしい。もっとも家の中にも楽しみを見出す彼女にとっては余り堪えない措置かもしれないが。


「はあぁぁ。良かったです……」


 悩みから解放され、へなへなと足を崩してその場に膝を付いてしまうラクセスにイルヤは不満顔で言う。


「何が良いんだ。俺は退屈が一番嫌いなんだ。部屋にずっと押し込められていたら、溶けるかもしれないぜ?」


 この際、少しくらい溶けてしまっても構わないと従者達がこぞって思っていることを彼だけは知らないのだった。

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