第6話 闇の中で伸ばされる手

 かちり、と鍵が音を立てる。イルヤ達にとって「その他大勢」と化してしまった子達は、一通り騒いだ後で帰って行った。

 残るはキルイェを含む人間の子どもが二人に、吸血鬼の幼女とその従者だけだ。


「……」


 この屋敷の鍵は特殊で、外からも内からも鍵穴に鍵を差し込むことでしか開閉出来ない仕組みになっている。

 イルヤは標的が扉から離れた隙に素早く施錠し、屋敷内の玄関すぐ傍へ身を潜めた。


「ほら、こっちこっち」


 サクヤが楽しそうに壁を叩くと、今度は隠し部屋ではなく隠し通路が現れた。細く長い道は地下に通じており、点々と明かりがともっている。


「面白いでしょう? からくり屋敷みたいで」


 みたいではなく、そのものだ。ラクセスはそう思ったものの、口にはせずにサクヤの背中を追った。

 通路は幾重にも分かれているのに、彼女の足取りに迷いはない。隅々まで知り尽くしているのだろう。


「おっ、慌ててる慌ててる。そうこないとなァ」


 頭上からは足音が降ってくる。その振動が遠ざかったと思われる頃には上へのぼる階段に差し掛かり、その先はなんとあの書斎だった。


「ふふっ。いよいよね。じゃあ、始めましょうか」


 玄関を調べに行った二人はすぐにでも戻ってくるはずだ。急がなければ。

 書斎から出たラクセス達の前には、手にしたランプの火と同じ色の瞳を持った少女がイリスを伴い立っていて、こちらを驚いた瞳で見ていた。


「こんにちは」


 サクヤは言うが、少女は応えない。応えられるはずもない。そう思っていたのだが、しばしの逡巡の後、「こ、こんにちは」と返事をした。

 さすがは幽霊屋敷を遊び場にする子か、度胸がある。


「わ、私はディーリア、です。こっちの子は」

「イリスだよ!」


 傍らで更に小さな子が自己紹介をする。銀髪に紅い瞳。体をすっぽり覆うフード付のコート。地上に降り注ぐ祝福を完全に遮断する外見は、まさしく闇の生き物だ。


「皆さんは……」

「この家の者よ。イリスちゃん、大きくなったわねぇ」


 サクヤが顔を覗き込み、微笑んで「おばさんのこと、覚えてる?」と問いかける。


「あれ? イリスのこと知ってるひと? う~ん」


 イリスが一生懸命思い出そうと首を捻って考えている仕草が、状況に似つかわしくないほどに可愛らしかった。少女――ディーリアが怪訝な様子で言った。


「あの、知り合いなんですか?」

「親戚よ。それで、悪いのだけれど、一緒に来て貰えるかしら?」



 書斎に入り、扉をきっちりと閉めてしまえば、外からこちらを窺うのは不可能に近い。厚い壁の向こうでは戻ってきたらしき従者の慌てる声がしている。守るべき主とその友人を見失ったのだから当然だろう。


 二人とも目と鼻の先に居るとも知らず、滑稽な話だ。

 部屋を一通り回った彼は、今度は玄関に残したキルイェのことが心配になったらしく、硬い靴音が遠ざかっていった。


「勝手にお家に入ってごめんなさい」

「大人しく来てくれれば文句はないさ」

「移動しましょうか」


 イルヤに続けてサクヤがぽつりと言って、彼らは再び通路を歩き始めた。

 ……イリスが居るとしても、まさか手を出さないなんて意外だ。常に己の感情に忠実なサクヤがこういう態度を取るなどとは、普段の奔放な彼女からは考えられない行動だった。


「ねぇ、ディーリア」

「なに?」


 幼女の無邪気な声に、手を繋ぐディーリアが優しく応える。こうして並んでいると仲の良い姉妹のようだった。


「どこに行くのかな?」

「それは――」

「思った通りキルイェは俺達を探しているみたいだから、迎えに行ってあげようか」


 二階の部屋へ子ども達を案内し、形の上でだけは閉じ込めて、イルヤ達はあのキルイェと密約を交わした部屋へと足を向けた。

 ディーリアもイリスも「事が済むまで静かにしていれば必ず帰す」と告げると、抵抗は一切しなかった。


 キルイェはこちらを知っている。怪しい動きがあれば当然疑い、探し始めるだろうと踏んでいた。

 予想外のことばかり起こったが、計画を発案した時から少なくともその点だけは想定通りになった。


「一人になるのは危険と考えるのでは?」

「いいや、必ず一人になる。貧しい家のコドモには、お金と同じくらい仲間が大事だろうからね?」


 他の子達にとってみれば、彼の行いはまさしく「裏切り」だ。この騒ぎについても、彼にも責任の一端がある。知られれば仲間の信頼を失うだろう。


「助け合わなければ生きていけない世界に住んでいるなら、孤独は死だものね?」


 サクヤがふっとわらい、ラクセスはぞっとした。重々しい話を軽々しく口にして笑っている吸血鬼達は恐ろしい。


 カタリ。待ち構えていると、こちらの手はず通りに扉をそっと開く気配があった。

 キルイェは自分達を探していたにも関わらず、イルヤ達と出くわした時には一瞬だけ冷や水を浴びせられたような表情を顔に浮かばせた。

 けれども、それが赤く染まるのに数秒とかからなかった。


「……なんなんだよ、これ。ディーリアとイリスに何かしたの、お前らだろ」


 押し殺した声がかさかさに乾いた唇から溢れ、握り拳が震えている。それが怒りに因るものなのか、他の感情からくるものなのかは判らない。


「あの二人を返せよ。約束はどうなったんだ!」


 そこまで叫んだところで怒りの端が空気中に霧散し、部屋には沈黙が訪れた。誰も何も話さない。……あぁ、終わったか。

 イルヤが一歩前へ出て、その腕が伸ばされるのを見た。

 少年は音もなく闇に絡め取られていった。

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