第3話 小さな侵入者たち

「開かないね」

 

 ラクセスとイルヤは階段を駆け上がり、最上段、つまり二階に上がる寸前で立ち止まる。脇の壁にぴったりと身を寄せ、廊下へ目をやった。

 がちゃがちゃとノブを回す乱暴な音が響く。ずらりと並んでいるのは同じような扉で、子ども達は右奥の部屋に入ろうと躍起やっきになっているようだった。


「鍵がかかってるんだよ」


 その部屋はラクセスさえ最初に一度入ったきりの場所だった。恐ろしい相手に狙われているとも知らず、彼らは呑気にドアノブをいじり続けている。


「無礼な」

「開きやしないだろうけどね」


 そこからのイルヤの動きは鮮やかなものだった。

 部屋が開かないことで諦めたのか、子ども達が引き返すつもりであることに気が付いた彼はラクセスに合図を送り、無音で目の前の部屋に滑り入る。


 そうして子ども達をやり過ごし、全員が階段をおり始めたところを見計らって、しんがりを歩く子の腕を絡め取って室内に引きずり込んだ。

 一連の動きは、風がそよと吹いた程度の揺らぎの中で起こった。


「~~!」


 悲鳴はなかった。口を強く抑え込んだからだ。

 捕らえたのは十歳を過ぎたあたりの少年だった。ぼさぼさの髪と薄汚れた服。この辺りに住んでいる、お世辞にも裕福とは言い難い家の子だとすぐに分かる。


「叫んだら、楽しいことになるヨ」


 意外なことに、最初を除いて抵抗はあまりされなかった。こういう場合、無意味に暴れても物事が好転しないことを本能的に知っているのだろうか。


「抜くのですか?」

「今はいいや。それより面白いことを思いついた」


 ラクセスは「その瞬間」を見ずに済むよう背けかけた瞳を戻した。何を思いついたのか訊ねる前に、少年の口からは手が離れている。


「ねぇ、かくれんぼしない?」



 少年はイルヤが口にした「お金」の言葉に反応し、より焦点をはっきりさせた。

 そうして駆け引きとも呼べない陳腐なやり取りが行われ、数分のうちに契約は成立した。


「じゃ、俺はここでお前達が遊ぶ許可と、かくれんぼに付き合ってくれたお礼を出す。お前は、来たら知らせるだけで良い。えぇと、名前は?」

「キルイェール。キルイェでいい」


 こういうのを「話がわかる」と表現するのは適切なのか。ラクセスが無言で見守る中で話はまとまり、キルイェと名乗った少年が部屋を出て行った。

 仲間と合流し、空白の数分をうまく誤魔化してくれるだろう。おそらくは暗くて迷ったとか、そんな古典的な言い訳で。


「よろしいのですか? 計画に支障をきたす恐れも……」

「言ったろ、面白いことを思いついたって」


 あぁ、と心の中で呟く。イルヤはまた一つ、天敵である「退屈」を退ける手段が見付かって喜んでいるに過ぎないのだ。


 紅い液体を集めることが彼にとって十分に達成し得るゲームなら、イレギュラーな要素が必要だと思っただけ。

 まだ幼さの残る少年が出て行った窓を眺めて、イルヤが笑った。


「……仰せのままに」


 それからは文字通りかくれんぼが始まった。

 子ども達は相変わらず空き家だと信じて遊びに来る。キルイェは他の子が来る前に訪れて、二階の一番隅のカーテンを閉めることで来訪を知らせる。


『開いていたら、閉めるだけでいい。閉まっていたら来るなよ』


 こうすれば、二階の窓を確認するだけでお互いの様子が分かる。ラクセスが閉じたままにしておけば、その日はキルイェが様々な方法で子ども達の来訪を防いでくれる。

 鉢合わせをしなくて済むというわけだ。


 けれど、どんなに気を遣っていても、完全に隠し切れるものでもない。

 不特定多数の者が訪れる屋敷にはどうしても痕跡が残り、やがては子ども達も察知するようになる。

 気付けば近所の噂も手伝って、本格的な幽霊話になっていた。


「昔、私が住んでいた頃の話も出ているみたいね。もっとも、娘の幽霊なら私も会いたいものだけれど」


 ある時、屋敷の客間でくつろいでいたサクヤが言った。結局事情を聞けず仕舞いではあったが、ラクセスにはとても声をかけられなかった。


「無理だって」


 イルヤはさして気にする風でもない。ことが一段落付いたのか、久しぶりにくつろいでいる。

 ソファに座ってお茶を飲んでいる二人は珍しくのんびりしたムードを漂わせていて、今行われている出来事の全てが嘘のように思えた。


「そうね。この町にはあれが居るから、放っておいて貰えそうにないものねぇ。それにしても残念。あんなに美味しそうなのに、手を出しちゃいけないなんて」

「身のためって奴だろ?」


 「あれ」とは何のことだろう。ラクセスには二人の会話が掴めなかった。

 テーブルの端に置かれた陶器のポットからは、蒸された紅茶の芳醇ほうじゅんな香りが立ち昇る。


 彼女は話を聞いている一方で、ミルクや砂糖がそろそろ足りなくなりそうだ、などといったことを考えていた。


「それで、どうなの?」

「順調。間に合うって」


 いつの間にか内容は宴の余興の準備に移っている。

 彼の言葉に偽りはない。屋敷の地下には昔ワインを貯蔵していた倉と樽があり、整備し直されて現在も使用されていた。

 ただし、保存されているものが決定的に違うのだが。


 吸血鬼は闇に紛れて通行人を襲っていた。それもほんの少しずつしか抜き取らない。被害者は気を失うが、酔っていたり、夜間であるために眠ってしまったのだと誤解する。

 事情を知る者からすれば、非常に間の抜けた話だ。


「あと一樽分ってところかなァ。じゃあ、そろそろアレ……やろうか」


 ラクセスが弾かれたように彼を見た。闇の中で薄く光る瞳が、楽しそうに細められて、ふふと笑いが零れた。


「やっぱり若くて美味そうなのが良いに決まってるからな」

「イルヤ様、もしや」


 その先は予想が付いたが、口にするほど愚かではなかった。しかし、何も言わずに終わらせてくれるほど主は慈悲深くはない。


「で、あの子たち、次はいつ来ると思う?」

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