第4話 計画の綻び

 昼間の屋敷。その全てのカーテンが、例の場所を除いてぴたりと閉められる。

 建物をぐるりと囲う煉瓦の塀に開けられた小さな穴から、あの少年が他の子ども達を伴って再び侵入した。


「幽霊なんているのかなぁ」

「びびるなよ。それを確かめに来てるんだろ」


 どれもあどけなさを残した顔立ちだ。キルイェはそんな彼らが全員塀の内側へ入るのを確認してから言った。


「ディーリアはあとから来る。お前らは先に行ってろよ」


 彼より年下の子らは、言われた通りに入り口へ向かった。キルイェがズボンのポケットに手を突っ込むと、数枚のコインがこすれて安っぽい音を立てる。


「大丈夫。何もいやしないんだから」


 ぽつりと呟いた。




「まさか、こんなところに……」


 それを見た時、吸血鬼が住んでいただけのことはあるとラクセスは思った。

 イルヤが今回の計画のラストを飾る遊びについて楽しそうに話す間、情けなくも口を閉じていられなかった。


 何度も出入りした、客間の控えとして作られた湯沸し室。その壁のある部分にサクヤがそっと手を触れると、壁が動いて奥に新しい空間が現れる。


「内緒で作った書斎よ。本もいっぱいあるでしょ?」


 隙間に作られたためか、室内はこぢんまりとしている。三人で入れば狭苦しさを感じるくらいだ。


 目の前には書斎らしく執務机と椅子があり、両側を覆うように本棚が並ぶ。

 秘密を明かす時の高揚感を味わっているのか、サクヤは少し得意げだ。ラクセスの怪訝な顔を見て、更に面白そうに笑った。


「ふふ、もちろん私のじゃないけれどね」

「いえ、そういうつもりでは」


 かっとなって言い訳を探そうとしたが、見付からず俯く。

 サクヤは教養深い女性ではなかった。良家のお嬢様として一通りの教育は受けていたものの、気まぐれな性格が気品をいつも壊してしまう。


 大人になり、彼女を止める者がいなくなればもはや慎みとは無縁だった。

 そうして高貴さの代わりに自由奔放さを、潔白の代わりに謎めいた雰囲気を身に纏うことになった。


「あの人は本が好きだったから……」


 懐かしく眺める仕草に、ラクセスは以前から心の隅にあった違和感の正体を理解した。「あの人」が現在の夫である当主ではないことは明らかだ。


「前の旦那様とお住まいだったのですね」

「えぇ」


 ラクセスがイルヤに仕え始めた頃、そんな話をちらりと聞いたことはあった。……サクヤが再婚であるという過去を。もっとも、娘の話は初耳だったが。


「今のひとと一緒になった時に売られてしまったのだけれど、買い戻しても文句は言われなかったわ。だってもう、心配ないものね」


 ふふふと笑う。それが自嘲なのか、何かを楽しんでなのかは分からなかった。



「じゃあ、ここに潜んでいようか」


 やはり実行するつもりらしい。

 イルヤの計画はこうだ。まず、子ども達を屋敷の中に招き入れる。人数は把握していたから、全員が入ったら扉を閉めて、後は……。


「随分と簡単ねぇ。でも、久しぶりにわくわくするわ」


 これから子どもを襲おうという者の言葉とは思えない。人間であれば立派な破綻者だ。


 ところが、さて待っていようという段になって問題が発生した。仲間が屋敷を訪れたのだ。

 イルヤは合図がある時は中に入ってこないように指示をしていたし、仲間もこれまではその約束を忠実に守ってきた。こんなことは初めてだ。


 仲間の男は肩で息をしながら三人の足元へ倒れこんできた。目深に被ったフードの下の顔には乾いた血が染みを作っており、服にも所々赤黒い点が広がっていた。


「緊急事態?」


 イルヤは咎める風でもなく、普段の会話を楽しむようなテンポで話しかける。

 比較的力のある吸血鬼のはずだが、今は尊厳など要らぬといった様子で喘ぎながら、一言「奴が来た」とだけ言う。

 のどもやられているのか、その声は枯れてしまっていた。


「そ、そんな……」


 声を発したのはラクセスだ。これまでの経験でどんな展開になっているのかが容易に想像出来た。

 イルヤの仲間が大慌てで走り込んで来る相手と言ったら、「彼」に違いない。


「イルヤ様。すぐに中止し、撤退を」

「ここまでお膳立てしたのに?」


 イルヤは別段動じてもいない。ラクセスはダンッと手近にあった棚を拳で叩いた。

 それは静かな室内を突き抜けそうな音量で響き、鼓膜の奥で幾重にも木霊する。


「お分かりでしょう。捕まれば今度こそどんな罰を受けるか……。お願いですから退いて下さい」


 の人物が動いているなら、上からの命令である可能性も十二分にある。せめて嵐が去るまで身を潜めているのが懸命だ。

 いつもいつも、イルヤへの処分は甘い。顕著なほどだ。けれど、今回も同じとは決して限らないのだから。


「……嫌だね」


 ぐっと、息と一緒に言葉を呑み込む。一線の手前まで来ているとラクセスは全身で感じた。

 背中が汗でじっとりと濡れ、服に張り付く。こうなれば何を言っても無駄だ。彼女は唇を噛み締め、呟いた。


「仰せのままに」


 仲間の男には帰って怪我の手当てをするように指示を出し、三人は当初の予定通りに隠し部屋で待機することにしたのだった。

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