第2話 始められた計画

 あの家の長男であるルーシュは相当な実力の持ち主として有名だ。

 家柄は申し分なく、吸血鬼達の頂点に君臨する女王にも、所謂いわゆる「上層部」にも顔がきくと噂される。イルヤも昔から悪戯や厄介事を起こしてはルーシュの世話になっていた。


 そんなことを考えながら、紅茶を客間のテーブルに運ぶ。二人が長テーブルに腰をおろし、ラクセスはその後ろに立って給仕役を務めた。


「それで、どのようにワインをご用意なさるおつもりですか?」

「ワインってさ。あの色がそそるよなァ」


 彼はこちらの話を聞いているのか怪しい雰囲気で囁き、ラクセスにはそれだけでピンとくるものがあった。澄んだ白ワインを想定していないことは明らかだ。

 吸血鬼が心奪われるのは血のような赤だ。ワインをまともな方法で集める気のない様子からして、考えられることは一つしかない。


「……血を、お求めなのですね」


 声は低かった。ぼんやりと天井を眺めていたイルヤが首を回して言った。


「そのトオリ」


 この青年が厄介事を起こすのには、いくつか原因があった。まずは父親だ。まだ毅然とした態度で当主を務めてはいるが、年齢が彼をさいなみ始めている。

 二つ目は母親だ。止め役どころか火付け役兼煽り役といってよい。吸血鬼の性質を強く受け継いでいる女性で、良家のお嬢様育ちのせいか常識とも縁遠い。


 こんな時に頼りになるのがラクセス達なのだろうが、彼女らはどこまでいっても従者に過ぎなかった。


「……」


 反対すれば狂った瞳で射るように見られ、全身を本能的な恐怖が駆け抜ける。そして誰も口を挟めなくなるのだ。


 ラクセスは唇を噛み締めて目を閉じる。まだ未熟だった頃、彼女もまたイルヤの逆鱗げきりんに触れたことがあった。

 その恐ろしい思い出を意識の外へ追いやりながら、吐き出すように「わかりました」と答えた。止めることが出来ないのなら、どこまでも付き従うしかない。


「じゃあ、若い子達を集めてくるわね」


 サクヤはそんな彼女の葛藤を知りもしない明るさで手を合わせる。イベントごとにうきうきしているようだ。

 懐かしの我が家を訪れた興奮から醒めてしまった奥方は、新しいおもちゃを見つけたらしかった。


 決断したら彼らは早い。ラクセスに屋敷を任せ、とっとと闇の中へ消えていった。

 夜へ溶けていく背中を目で追い、それが消えたのを見届けてから、大きく息を吐き出した。


 「若い子達」はすぐに集められた。サクヤの家に従う部下や、イルヤの遊び友達、身の危険を感じるような輩ばかりだ。

 屋敷の奥の広い客間へ彼らを通し、イルヤが計画を説明すると、紅い瞳達が嬉しそうに細められた。

 ……これからこの町で行われるのは、まさしく「血の宴」だった。



 宴の準備を始めた頃と時を同じくして、屋敷には別の異変も起きていた。


「へぇ、それはまた面白そうだなァ」


 報告を聞いたイルヤはニヤリと笑う。最近、何者かが出入りしているようだと、ラクセスが気付いたのだ。

 きっかけは些細なことだった。


「花瓶の位置がずれていたり、整えておいたベッドにしわが出来ていたり……。痕跡が多いことから、素人かと推察しますが」


 部屋は相変わらず暗いが、窓からは本物の月がのぞいている。丸いそれを見上げながら、イルヤが再度笑った。


「んじゃ、客はもてなさないとな」


 ラクセスは「客」の探索を命じられ、ほぼ一日中屋敷に逗留とうりゅうすることになった。


 暗がりでじっと息を潜め、時を待つ。相手が何者か分からない以上長期戦は避けられまいと踏んでいたものの、その時は割りとあっさり訪れた。

 張り込みを始めて二日目の、まだ空が夕暮れに染まりかけた頃合い。幾つかの遠慮のない足音が扉越しに聴こえ、彼女は身を硬くした。


「……」


 手は腰に帯びた細身の剣をきつく握り締めている。ともすれば抜くことになるかもしれない。

 重い扉の開く軋みがやけに大きく響く。一体誰が無断で吸血鬼の館に訪れているのか……。乱れかけた息を整え、押し黙った。


「今日は何して遊ぶ?」

「……っ!」


 玄関正面の階段の影に隠れていたラクセスは、幼い声に耳を疑った。それは紛れもなく子どものものだった。

 緊張感の欠片もない、はしゃいだ声。足音から察するに数人はいる。

 最初とは別の子が声を発した。


「二階を調べようよ。この前開けられなかったドアが気になってさ」


 どたどたという振動が頭上に消えていく。飛び出していって侵入者を取り押さえようと待ち構えていた彼女は、完全に機を逸して立ち尽くしていた。

 何が起こっているのか。初めは理解出来ず混乱していた。が、次第に頭から熱が引いていく。


 なんのことはない、彼らは開け放たれたこの家を空き家だと勘違いして遊びに来ているだけなのだろう。

 さて、どうしたものか。下された命令は、客人の正体を突き止めて捕まえることだ。しかし、いくら子どもでも、あの人数を一度に相手するのは骨が折れそうに思えた。


「まずは一人捕まえて……」

「だな」


 悲鳴を寸でのところで呑み込む。


「イ、イルヤ様……!?」

「しーっ」


 掠れ気味の声で名を呼ぶと、イルヤは悪戯っぽい表情で人差し指を唇の前に立てた。


「どうしてこちらへ? まだ日も高い時間ではありませんか」

「面白そうだったからサ」


 子ども達がのぼっていった階段を見上げて声もなく笑う。それよりさと彼は言い、こう続けた。


「俺と似たような趣味の連中だなぁ。面白い。というわけで捕獲作戦開始」


 脈絡などあったものではない。言葉の端をラクセスが掴む前に、すでに彼は走り出していて、「お待ちください」と小声で叫びながら、慌ててその後を追った。

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