第11話 月夜のテラスで
「とー、フォルトぉ」
「……うわっ」
ぺちぺちと頬を叩かれる感触に覚醒すると、イリスの顔がどアップだった。びっくりして立ち上がろうとしたら、ぐらりと世界が歪む。酷い眩暈だ。
「よぉ、寝坊助。起きたか?」
「は? る、ルーシュ?」
「まだ寝てるのか? ボケるにゃまだまだ早いぞ」
ここのところデジャヴが多いものだ。それとも夢か? ……いや、この腹の立つ皮肉は現実だろう。
確信した俺は事態を把握しようと試みるが、今度はそれを別の人物――サスファに阻害された。
「無事でよかったです!」
「来てくれたのか? で、でも危ないんだ。ここには凶暴な吸血鬼が」
「ぎゃはははは!」
「何笑ってるんだよ! ……あれ?」
ルーシュの笑いっぷりは見事なもので、腹を抱えてひぃひぃ言っている。あまりにおかしくて二の句が継げないようだ。
改めて見回すと、そこは1階の応接間だった。ようやく、自分がソファに寝かされていたことを知る。
テーブルの上に二つ並んだランプの中で炎がゆらゆらと輝き、それによってお互いの顔が識別出来ていることにも気付いた。
「凶暴な吸血鬼って、私のことかしら?」
「へ?」
部屋にいるのが仲間だけではないことを感じ取り、声を頼りに振り向く。立っていたのは、自分を恐怖のどん底に叩き落とした美人だった。
なびく金髪、見るものを凍り付かせる赤い瞳、白い指先。全てが恐ろしさとともに、鮮明に蘇ってきた。
「ぎゃー! やめてー!」
『あはははははっ!』
首筋を押さえて逃げだそうとする俺の耳に、今度は二人分の大爆笑が木霊する。それによって、気絶している間に状況が一変したことを思い知るのだった。
「何が、どうなってるんだ?」
◇◇◇
ざわざわざわ。
血生臭い話に花を咲かせる吸血鬼達の間を擦り抜けるように、手に銀盆とそれに乗った血やワインやジュースのグラスを持って、従者達が給仕に勤しんでいる。
ここは城の大広間。豪奢なシャンデリアの下には、ドレスにマントにスーツ。
そんな色とりどりの衣服を纏った客人とは打って変わった黒が基調の従者服は、テラスからでも容易に見分けが付いた。
「ふぅ、やっと一段落……」
俺はぐぐっと伸びをした。大きく開け放たれた窓から出られるテラスは、ピカピカに磨き上げられて白く輝いている。夜の月もその閃きに一役買っているだろう。
今日は、長い時間をかけて準備が行われてきたイリスの母親の誕生会の当日だった。
「疲れたな」
多方面から集まる吸血鬼達は贅を尽くした祝いの品と共に訪れた。今は、最も盛り上がる奥方の挨拶と乾杯も済み、楽団の奏でる美しい調べに誘われて歓談に突入したところだ。
当然、娘のイリスにも多くの吸血鬼から声がかけられた。
世話係である俺もそれに付き従うのだが、後ろで始終ニコニコ笑っていなければならないのには辟易する。
本当に疲れた。先の予定を思い描きながら月を見上げて再度伸びをしていると、疲労でツヤを失いかけている金髪を引かれる、いつもの「お呼び」がかかった。
「イリス様」
イリスはフリルが付いた青いドレスを着ていた。小さなお姫様みたいで可愛らしい。頭の後ろで結い上げられたお団子頭もよく似合っている。
「フォルト、のどかわいたよー」
「はいはい。今持ってきますからね」
ここで待つように言って踵を返す。すると、そこには幾らか酒が入ったらしきルーシュが、オレンジ色の液体が入ったグラスを両手に立っていた。
「ほら、イリス。ジュースだぞー」
「わぁ、お兄ちゃん。ありがとー!」
幼い妹にそれを手渡し、満足げに笑う顔はいかにも兄らしい。イリスが持つと、ただのグラスもまるで大ジョッキのようで面白かった。
ルーシュはもう片方のグラスを俺に手渡し、「お疲れさん」と言う。
「……まだ仕事中なんだがな」
「安心しろ。アルコールも変なものも入ってない」
「知ってる」
伊達に長い付き合いじゃない。ルーシュが悪戯をしかけてくる時くらいはピンと来る。今はどうやら世間話がしたいようだ、ということも分かった。
「それにしても、あいつには参ったぜ」
「お前でもそんなことを言うんだな」
美味しそうにジュースを飲む幼女から、二人は再び月に目線を移す。
ここは天空に浮かぶ城で、外界からは完全に遮断された空間だ。あの月も星も夜空そのものさえ、全ては作り物である。
受け取ったジュースはキンと冷えていて、口に含むと静かにのどを滑り落ちていく。涼やかで気持ち良かった。
「俺だって全知全能じゃないからな」
「そこまでは言ってない。……あいつ、どうなったんだ?」
「謹慎中」
多数の吸血鬼による、人の町への急襲という大事件。
俺には全容は分からないが、彼らにとっても不文律を犯す行為だったらしい。連中を先導していたイルヤは拘束され、罰としてひとまずは自宅謹慎を命じられた。
もっとも、今回が初めてではないともルーシュは言う。
「もっと痛い目に遭わせても無駄だろうから、謹慎で終わりかもしれないがな」
「なんだよ、それ」
二人は自然と、あの屋敷での一件へ意識を飛ばしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます