◆ルフィニアの疑念とサスファの恐れ◆

 ※前半はルフィニア、後半はサスファ達のお話です。



「おかしい」


 何かが起こっている。窓の向こうを飛来するコウモリの群を目で追いながら、ルフィニアは確信していた。


 フォルトからの定時連絡がない。彼は多分にドジで忘れっぽいところがあるが、仕事に対しては誠実だ。遅れてでも寄越すはずである。

 それが今回だけは幾ら待っても来ない。不審を募らせずにはいられなかった。


「仕方ないわね」


 思い立ったら即行動とばかりに自室を飛び出した。ベッドの上で自分を嘆いて空ばかり見つめていても、状況は何も変わらない。


「無関係かもしれないけど」


 おかしいことなら、もう一つあった。ウィスクだ。あの時は緊張から一目散に逃げ帰ってしまったが、もっとよく考えてみるべきだった。

 彼は地上に降りていたはずなのにあんなに早く戻ってきて、珍しく誰かと激しく口論していた。


「居そうなところから潰していこう」


 先程訪れた部屋に再び直行する。そこには自分が持ち込んだ絨毯が敷かれ、宴のための丸テーブルが無数に配置され、色とりどりに花が飾られ。


 準備をほぼ終えたらしく、最後の仕上げをしている数人の姿が見えるだけだった。

 当日はかなりの人、いや、吸血鬼達で賑わうことだろう。ただし、どんなに華やかでも、常人には耐えられない血の宴だろうが。


 きびすを返し、ヒールを盛大に鳴らしながら走った。他に思いつくのは、彼の自室と「ここ」だ。

 人気ひとけがないことはよく分かっていた。この塔に入れるのは彼女を含めて数えるほどの従者だけなのだから。


「失礼します」


 部屋の主が不在だということも、鍵がかかっていないことも承知済みだ。ルフィニアはノックさえ厭い、躊躇ためらわず扉を開いた。


 ◇◇◇


「なんですか、これ……」


 顔をしかめたのは道案内役をさせられたサスファである。二人が足を踏み入れると、屋敷は異様な雰囲気に包まれていた。

 ついてきたルーシュはさして気にも留めない様子でさっさと中に入っていってしまい、彼女もその背中を見失うまいと慌てて闇の奥へと追いかけた。


「待って下さーい」


 町に溢れる血の臭いは歩くほどに濃くなり、この建物も例外ではなかった。フォルト達と別れた時には、埃っぽいだけだったのに。


「きゃうっ!?」

「おい、ちゃんと前見ろよ」


 焦って走りこんだせいで、急に止まったルーシュの背中に思い切り鼻をぶつけてしまった。

 彼はすでにフードをおろし、いつ誰と会うとも知れない場所で素顔を晒している。暗がりではその紅い瞳が薄く光っていた。


「前を見ろ」と言われても、持ってきたのは小さな灯りに過ぎず、吸血鬼と人間では視野が違うのだ。

 しかし、反論する前にルーシュの意識はすでに別の対象へと移っていた。


「あれか?」


 何のことかはすぐに分かった。正面の階段の上、踊り場に飾られた女性の肖像画だ。道中に話した経緯にはこの絵のことも含まれていたから、ルーシュも一目見て気が付いたのだ。


「はい。本当に奥様に良く似てますよね。も、もちろん奥様の方がお美しいですけど」


 取って付けたような世辞を叱られるかと思ったが、話を聞いているのかも怪しい目で、彼はぼんやりとそれを眺めていた。くつくつと陰の笑いを零して呟く。


「これはまた、面白いことになってるな」

「面白い? 何がですか?」


 返事はない。再び歩き始めたルーシュには、館に入ってからの足取りに迷いが見られない。まるで目的地を最初から知っているみたいだ。

 階段を上がり、踊り場を折れて二階へ移動する。


「サスファ。さっきも言ったが、俺から離れるなよ」

「は、はい」


 進むごとに増す臭気の中での再度の忠告に、緊張感も比例して大きくなる。この先に何があるというのだろう。

 彼の歩みが止まる。そこはまだ入ったことのない二階の最奥の部屋の前だった。


「る……」

「ちょっと黙ってろ」


 ルーシュはちらりとこちらを確認したあと、ノックをしようと手をかざし……止めた。

 代わりに響いた、どがっ! という激しい音にサスファが目を見張る。扉の蝶番が壊れて向こうに雪崩なだれ込み、畳み掛けるようにして彼が低く叫んだ。


「出て来い! 俺の可愛い妹と、ウチの馬鹿を返してもらいに来たぜ?」

「おいおい、人の家の扉を蹴飛ばさないでくれよ」


 青年が大げさな口調を伴いながら、闇から生まれるように現れた。黒い髪と瞳が楽しそうに揺れる。

 第三者には、どちらもガラの悪さを競っているとしか思えなかっただろう。


「お、お知り合いですか?」

「いや、知らねぇ奴だ」

「相変わらずだなぁ」

「手前ェにだけは言われたくねぇ」


 怖々尋ねた質問が厭味の押収に変化したので、サスファは小さくなってルーシュの後ろに隠れた。それが返って興味を引いたのか、黒髪の青年がにやりと笑う。


「お。美味しそうなコ連れてるね~」


 値踏みする視線にサスファの肩が跳ねる。覗き込もうと近寄ってきた男の前に、ルーシュが立ちはだかった。


「他を当たれ。それから、お前ンところにいるのも返せ。ふざけてるのはいつものことだと思ったが、今回はやり過ぎだ。」


 苛立ちが溢れているのが、饒舌なルーシュの口がやけに重いことで分かる。


「こんな大々的にやっちまって、どう始末を付ける気だ? ――イルヤ」

「悪戯でした、じゃ済まないかなぁ」

「目を付けられてる。分かってるだろ、上もお前を潰す腹づもりを始めてんだよ」


 イルヤと呼ばれた黒い男は睨まれてもへらへらと笑った。

 詰め寄った二人の顔は吐息がかかりそうな距離で、しばらく視線をかち合わせたまま互いを探りあう。サスファには、話の意味が半分ほども理解できなかった。

 かろうじて分かるのは「上」という言葉くらいだ。


 吸血鬼は一見、てんでばらばらに行動しているように思えるが、全てを束ねる頂点が存在しているのだ。

 従者の、それも見習いに過ぎないサスファには顔を拝むどころか、声を聞くことさえ出来ない、まさに雲の上の吸血鬼の王……いや、女王だと聞いている。


「ちぇ、面倒臭ぇなぁ。ただ、祝ってやろうとしただけなのにさ」


 呼吸もはばかられる空気の中、先に目を外したのはイルヤの方だった。


「やっと折れたか。面倒臭いのはこっちだ。一体、何度俺の手を煩わせれば気が済むんだ?」


 明らかに流れが変わった。張り詰めていた空気が和らぎ、事が終わろうとしているのが、誰の目にも分かった。ふいに彼の後ろに新たな気配が生まれる。


「お呼びですか、イルヤ様」


 固い口調と共に現れたのは、こざっぱりとした印象を与える女性だった。茶髪を肩で散らし、同色の瞳は見つめる者を射貫く。

 歩くことで深緑のマントがはためき、垣間見える中の衣装も暗い色だ。注視しなければ闇に溶けて判別がつかなくなりそうな出で立ちだった。


「おう、ラクセス。お二人をご案内だ」

「畏まりました」

「あれ? あの、従者の方ですか?」


 その様子を眺めていたサスファが間抜けな声を上げた。一気に注目を浴びてしまってどきりとしたが、言わずにはいられなかった。


「イルヤ様の秘書を務めております、ラクセスと申します。以後、お見知りおきを」


 怖そうなイメージを崩さない生真面目な挨拶に、イルヤが苦笑いする。


「ホント、固いな。もっとラフに行こうぜぇ?」

「お前こそたまには締めたらどうなんだ」

「ルーシュサマみたいになんてなれませーん」

「喰えない野郎だな」


 いつの間にか和解モードに突入している二人に、置いてけぼりをくらったサスファが目を丸くする。


「え、えぇ? 何がどうなってるんですか? ルーシュ様、教えて下さいよー!」

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