第10話 屋敷の持ち主
※今回は少し長めです。
それから最後に少しだけ痛くて怖い展開になっています。ご注意を。
キルイェを探している最中、どこかの扉が音を立てた。考えられる相手は少年か、はたまた探していた「幽霊」か、もしくは……。
「さて、どうするか」
イリス達を
手元にはランプが一つあるきりだ。武器らしいものを何も持たない間は、身を隠した方が安全だろう。
持っていた灯りのガラスを開き、ふっと息を吹きかける。弱々しくも最後の味方であった火に別れを告げ、部屋の隅に置いた。
「よっと」
それからベッドへ近寄り、その下に広がる狭い空間へ体を滑り込ませる。
自らの長身を恨みながら、最後にだらしなく床に垂れた金の髪を引き寄せ、改めてコートの中へ押し込んだ。
「我ながら、ホントに情けない格好だな」
カタ、ガタガタ……ぎし、ギシギシ。数分もしないうちに、床の軋みが伝わってきた。まだ影も確認していない「誰か」は、三人はいそうだった。
気がかりなのは幼い主人のことだ。外の世界の危険を何も知らないイリスは、同時に周りにとっても危険な存在でもある。
遠くで囁きあうような息遣いがしたかと思うと、それはコンコンというノック音に変わった。が、この部屋ではないようだ。
敵か味方か、味方か敵か。堂々巡りを繰り返す思考が途切れたのは、迫ってきた足音と振動のせいだった。
「っ」
次はこの部屋を調べるらしい。鼓膜を刺激するノック音を聞きながら、来ないでくれと願う。小さく息を吐いて吸ったその時、扉が開いた。
灯りを持っているのだろう。ベッド下という特殊な位置からは、「彼ら」の黒光りする靴らしきものが見え隠れする。手を伸ばせば届く距離に、心臓が早鐘を打つ。
数えると、やはり「彼ら」は三人組らしい。一人は女か。細い足首が見え隠れしていた。
「……」
ノックをするくらいだから、探しているのは人なのだろう。
まさか、怪しげな取り引き現場に居合わせた? それとも殺人? 間を取って人身売買……!?
「ひっ」
顔が赤くなり、青くなるのを感じた。闇の向こうから、白く浮かび上がった手が伸びてくる。
ずるずるずるっ! 凄まじい力で引っ張られる恐怖心で、頭がおかしくなりそうだった。
「やっ、やめてくれ。売らないで殺さないで食べないでー!」
自分でさえ驚く、大の男の口から発せられたとは思えないカナキリ声だった。
「あ? 何言ってんだ、この兄ちゃん」
「へっ?」
目に飛び込んできたのは、闇の中にあって更に深い黒。それは24、5歳ほどの男の髪と瞳だった。
高そうな装飾が施されたランプの、オレンジ色の光に照らされた肌は、その髪などとは対称的に白く透き通るようだ。
「あの、えっと……これは、つまり」
思えば恥ずかしいことこの上ない状況だった。ベッドの下から引きずり出され、誰とも分からぬ相手に勝手に妄想を繰り広げて命乞いとは。
ルーシュの耳に入れば一生からかいのネタにされること請け合いである。
男は漆黒の瞳で嗤いながら「安心しなって」と言った。
「別に売ったり殺したりしないからサ」
警備兵に見付かった犯罪者の気分で立ち上がってみると、驚いたことに男はこの飄々とした人物だけだった。あとの二人は女性である。
「あらあら、どなたかしら?」
ゆったりとした服を纏った、儚げな印象の女性が微笑んだ。俺のよりも色素の薄い、ウェーヴがかった金髪を長く伸ばしている。
こちらをはっとさせる美貌の持ち主だが、その笑顔には何処かで見たことがあるようなひっかかりを覚えた。
「ええっと」
「こんなところで何をしていた?」
きつい視線で射抜くのは、もう一方の女性だ。こちらは隣の女性とはまた違ったタイプの美人である。くすんだ色のマントを羽織り、濃い茶の髪を肩で散らしている。三人の中では一番若そうに見えた。
「おいおい、そんなに睨んだらビビるだろ」
「……すみません」
詰問してきた女性が注意されて一歩下がる。どうやらこの黒い男より低い立場にいるらしい彼女は、それでも鋭い視線を外さない。
「お、俺は、子ども達の……かくれんぼの相手をしていただけで」
「かくれんぼ?」
咄嗟に言い訳に男達は揃って目を丸くした。大の大人が、廃棄された屋敷で子ども相手のかくれんぼのために、果敢にもベッドの下に隠れていたというのだから。
自分でも無理があると思う。
「怪しい」
きつい目付きの女性が言い、俺は肩を竦めた。安易に誤解を解く気にもなれない。ここでイリス達のことを持ち出せば藪蛇になる恐れもあるだろう。
「あ~、じゃあ
「えっ、空き家じゃないんですか?」
返答はキン、という金属音だった。目の前にぶら下げられたのは鎖に繋がれ、緻密な装飾が施された鍵であり、男は銀色のそれを見せると薄く笑った。
これ以上の証拠品もない。この屋敷に新しい持ち主が現れたのだ。突然の所有者の登場に驚きながらも、頭の片隅では別のことを考えていた。
「ちょっと前に買い取ったんだ。これで文句ない?」
「いえ。文句なんてとんでもない。失礼しました。すぐに帰ります。子ども達も連れて帰るので、探させて下さい」
小難しい話は後回しにしよう。扉は開かれ、正面から堂々と帰ることが出来るチャンスなのだ。かくれんぼという嘘も、こうなっては利用しない手はない。
さっさと踵を返し、出入り口に向かって歩き出そうとした。
「ねぇ、待って下さらない?」
それは、物静かな方の女性の声だった。振り返ると、そっと手を取られた。
驚きが口から滑りそうになる。彼女の白い手はひやりと冷たい、氷のようだった。なんとか悲鳴を呑み込むと、今度は嬉しそうな瞳が俺を捉える。
「な、何でしょうか?」
「売ったり殺したりはしないわ。でも」
でも? 紅い唇の端が更に横に広がった。
「あなた、美味しそうねぇ」
ぞわぞわっ。背筋に悪寒が走る。駄目だ、いけないと全身が訴えている。
けれども固定されたみたいに目を外すことが出来ない。逃げようにも、何故か体も動かなかった。
こちらを向いたまま、彼女が「いいでしょう?」と聞いた。それは、後ろで笑う男に向けられたものらしく、彼も当然のように「どうぞ」と言った。何の話をしている?
「な……」
冷たい手が俺の服を這った。不快感が走り、やがて腕、肩と進んで首筋で止まった。かかった髪を払われる。面白いものを見つけ、女性が「あら」と声を発した。
「どうかした?」
「ねぇ、見て。どおりで美味しそうだと思ったわ」
何に興味を示されたのかに思い当たり、ぎくりとした。首筋にあるのは二つの傷――イリスに牙を突き立てられた痕。
「へぇ、これは珍しいや」
「こんなところに居るなんて、不思議なこともあるのねぇ」
湿った息がかかるほどの距離で囁かれた次の瞬間、鋭い痛みに呻いた。
それはいつもの場所には違いなかったが、いつも耐えているものとは全く別の感覚だった。
鋭い痛みが奥深くまで響き、全てを持っていかれそうになる。視界が歪む。
「あっ、う、うぅ」
「ほらほら、お兄さん。しっかり立ってないと駄目だよ」
それが最後に聞いた言葉だった。
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