◆ルーシュの仕事◆

「二人は無事に合流し、イリス様を探しに出たようです」

「やっとか」


 薄暗い室内。灯りに照らされ、銀色の髪が光っている。ルーシュは報告をしに来た男の方をちらと見、悪態を付いて椅子に身を預けた。

 体中を覆うように羽織っていた上着は、向かいに立つ男性が片腕に抱えている。動きやすくなったルーシュが大きく伸びをすると、関節がコキコキと音を立てた。


 真っ白い椅子には細工が隅々までなされ、汚れ一つない。丸いテーブルも同じように高そうな一品で、まるで午後のティータイムでも始めそうな雰囲気だ。

 が、今はそんな気分にはさらさらなれなかった。


「お前も座れよ」

「いえ、私はこのままで結構です。立っている方が落ち着きますから」


 微笑み返したのは、ルーシュの秘書を務めるウィスクだった。

 緑の髪と瞳を持つこの青年こそ、一連の騒動のきっかけを作った(と勝手にルーシュが思っている)シリアの双子の弟である。


 どちらも普段は冷静沈着な性格なのだが、いかんせん冷静さの向かう先が違うため、こういった騒ぎはたまに起こるものではあったのだが。


「今回のはまずい。一番まずいのは、探してるのがあの二人ってところだな」

「大丈夫ですよ。あの二人を信じてあげて下さい」

「……お前もあんまり外を出歩くんじゃないぞ」


 重い空気が漂う中でも平気で軽口を叩く彼が、珍しく気を揉んだ様子で警告したことで、ウィスクの笑顔が崩れかける。


 やがて、遠くから何かがあちこちにぶつかる固い音や口汚くののしる声が聞こえたと思ったら、前触れなくこの部屋の扉が開けられた。

 弾みで蝶番ちょうつがいが飛んでしまいそうな勢いだ。


「ノックくらいしろよな」

「す、すみません」


 転がり込んできたのは黒い服にサングラスをかけた男と、その男に突き出されたこれまた黒装束の男。


 サングラス男は黒装束の背中を蹴り上げてその場へ倒すと、自分の頭の後ろをかいて苦笑する。連れてくるまでにかなり暴れられたのだろう。衣服の乱れがそれを物語っていた。


「イリスは?」

「現在、数人かがりで捜索中です。我々の姿を見た途端コイツが逃げ出したので、とりあえず連れてきました」

「そりゃあ、また運の良い。……アタリみたいだぜ?」


 ルーシュは倒れ込んだ男をじっと見つめて言う。


「じゃ、あとは俺がやるから。お前は他の奴を手伝って来い」


 サングラス男はウィスクに一瞥いちべつをくれたあと、無言で出て行った。

 すぐさま、秘書がたった一つの出入り口に鍵をかける。かちり、という音がやけに大きく部屋に響いた。


「さてと。早速吐いて貰おうか?」


 背中を強く蹴られた衝撃で咳き込んでいた男もしばらくすると調子を取り戻し、それを見計らったルーシュが椅子から立ち上がる。

 しゃがみ込んで男のフードに手をかけた。


「あまり近付かれると危ないですよ」

「そん時ゃ、お前が助けてくれるだろ?」

「少しは自重して下さい」


 ウィスクは、言うだけは言いましたよという顔をして溜め息を吐いた。いくら止めたところで、主人が危険から遠ざかろうとした試しなど無いのだ。


 そのことを十分過ぎるほど知っている彼は、仕方なく気を引き締め、痛みを感じそうなまでの殺意を込めて男を見つめた。

 元の笑顔に戻ってはいるが、今の彼を見て「笑っている」という人間はいないだろう。


「ルーシュ様に何かあったら、命がないと思って下さいね」

「おぉ怖。オイ、コイツはマジだぞ。生真面目な奴だからな。勢い余って俺まで殺すかもな」

「何か仰いました?」

「別に。で、お前の雇い主が誰なのか、吐く気になったか?」

「……」


 男は殺気にさらされて声が出ないのか、元々黙秘を決め込んでいるのか、小刻みに震えるのみだ。

 ルーシュとウィスクのやりとりには多分に冗談も含まれていたが、聞き分ける余裕はなさそうだった。


「ま、そっちは言わなくても大体見当が付いてる。問題は、今回のやりあいに俺の可愛い妹とウチの馬鹿を巻き込んじまったことだ」


 おい、とウィスクに声をかけると、従者は固く閉じられていたカーテンを開く。

 真昼の太陽が煌々と光を射し、部屋が一気に明るくなった。今まで暗かった分、目蓋を閉じていても目が痛む。


 俯いていたフードの男が、はっとしてルーシュを仰いだ。純粋な吸血鬼であるはずのルーシュが、太陽をバックに自分を見下ろす様を驚きの瞳で見上げていた。


「な、なぜ……!?」


 しわがれた声は男の本来のものではないだろう。捕まった時に抵抗したために、のどをやられていたのだろうか。喋るのも辛そうだ。


「あのなぁ、こっちは無駄に歳くってるんじゃねぇっての。そりゃ、良い気分じゃないけどな」

「クッ」


 男が、いざとなれば飛び出してカーテンを引き、ルーシュをひるませようと考えていたことが、観念した面持ちから感じられた。

 先手を打つことで、相手の手段を絶ったというわけだ。


「早く言ってくんない? 時間がないんだよ。俺も……お前もさ」

「お、俺には、知らされていない」


 あのなぁ、とルーシュが言いかけたところで、男が更に呟く。


「確かに時間がないかもな。お前も、この町も」


 ニヤリと笑ったかと思うと、痛めつけられた体のどこにそんな力が残っていたのか、信じられない素早さで前方へ飛び出した。

 パーン! というガラスの割れる音の次には、重いものが激しく地面に叩き付けられる衝撃。窓を突き破って飛び降りたのである。


「げっ、あいつ。ここ三階だぜ」


 覗き込めば、よろめきながら逃げていく黒装束が眼下に見える。


「追いましょうか?」

「それ、俺が『いい』って言うって分かってて聞いてるだろ。それよりカーテンを閉めてくれよ。だーっ、焼ける焼ける!」

「ヤセ我慢するからですよ」


 ルーシュがさっさと身を暗がりに戻すと、ウィスクが散らばったガラス片をよけて窓際に寄り、分厚いカーテンを閉めた。


「それにしても、あの男の言葉は気になりますね。……ルーシュ様?」

「こりゃ、マジでヤバイかもな。あいつら、どれだけ俺を働かせるつもりだ」


 ぶつぶつ独り言を言っていたかと思うと、秘書からひったくるようにして上着を取って羽織はおり、出口に向かって歩き出していた。


「どちらへ?」

「お前は親父のところに戻れ!」


 それだけ言い残して、再び昼間の港町へと消えていった。

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