◆イリスのおでかけ◆

 ※フォルトに置いていかれたイリスにあった出来事です。



 話はフォルトが戻ってくる少し前にさかのぼる。


「早くかえってこないかなぁ」


 きっちり閉じられたカーテンのせいで、時間の流れが曖昧な室内。

 イリスはフォルトにセットしてもらった髪を手鏡でチェックするのにも飽き、荷物を漁るのも嫌になってきた。


 教育係のルフィニアに渡された問題集も終わらせたし、絵本も読み切ってしまった。


「むむー」


 つい先ほど、ヴァロアがお茶を運んできてくれたけれど、仕事が忙しいのか少しお話しただけで帰ってしまった。

 となると、あとは持ってきたジュース片手にぼんやりと時を過ごすのみ。そこへ聞こえてきたのが、昨夜と同じ調子のノック音だった。


「おはようございます。あれ、フォルトさんはお出かけ?」

「えっと……」

「ディーリアだよ」


 細く開いた扉の隙間から顔を覗かせたのは、今日もツインテールが可愛らしいディーリアだった。

 彼女も部屋の中を見て、背の高い男性がいないことに驚いたらしい。


「フォルトはご用で出かけちゃったんだよ」


 暇を持て余していたイリスはすぐに駆け寄って彼女を招き入れた。

 フォルトの言い付け通り、フードを目深に被ることは忘れなかったが、その下の目だけは爛々らんらんと輝いている。


「あそぼう」


 頭の中で、世話係と交わした約束を反芻する。彼は「遊ぶな」とは言わなかった。


「ねぇ、どうしてカーテン閉めちゃってるの? 暗いでしょ」


 室内の様子にディーリアが戸惑いを見せる。天気は良好だ。そんな日に部屋に閉じこもっているのが、彼女にはとても不思議に思えたようだった。


「イリスね、あんまり日に当たったらだめなの」


 少女の分厚い布を掴む手に力がこもる。恐る恐る振り返って向けた視線は気まずさをたたえていた。


「ごめんなさい」

「ううん。ずっとじゃなかったら大丈夫」

「じゃあ、空気だけでも入れ替えよう」


 言って、窓を動かす。淀んでいた室内の空気が流れ、充満していた「退屈」も外へと飛んで行く気がした。


「ねぇ、話を聞いてもいい?」


 ディーリアは、イリスがちょこんと座るベッドの横へ腰掛け、興味津々の瞳を向ける。

 軋む感触が分かる距離に、幼女が感じたのはワクワクとした期待感だ。親類以外で、こんなふうに歳が近い誰かと喋ったことは無かった。


「う~ん。イリスね、あんまりおうちから出たことなくて、お外のことよく知らないんだ」


 フォルトは、城や吸血鬼であることを悟られる話題は控えるように言っていた。正直、イリスにはその理由は分からなかったけれど。

 正体を明かすことで何が起こるのか想像も付かない。でも、何もないのに禁止にはしないと思うし、想像が付かないことは、なんとなく恐ろしくもあった。


「フォルトさんみたいな人がいるってことは、お金持ちなんでしょ?」

「おかねもち?」

「お金が沢山あるお家ってこと」


 うーんと再び首を捻る。考えてみれば、自分は住んでいる家のことさえ詳しくは知らない。金持ちかと問われても困ってしまう。


「……ねぇ、フォルトさん、まだ当分戻ってこないんでしょ?」


 未発達な腕を組んで考え込んでしまったイリスの様子を見て、宿屋の娘は呟いた。

 ちらりとカーテンを開き、窓から外を、通りを行き交う人々を見下ろし、こちらに向き直る。


「たぶん」


 イリスが荷物を漁って散らかしてしまったものの一つを、ディーリアが拾って差し出す。それは暗い色の付いた眼鏡。

 フォルトがいざという時のために持ってきたサングラスだった。


「日差しもちょっとくらいなら平気なんだよね?」


 こくんと頷く。すると、ディーリアは面白い遊びを思い付いた顔で「行こう」と手を差し伸べた。これはきっと、宿屋内で済むお誘いではない。


「町のあんないは夜してくれるって、フォルトがいってたよ」

「だめだめ! この町は昼間が楽しいんだからっ」


 俯き加減になったイリスの視線は、受け取ったサングラスに注がれる。このことを知ったらフォルトは怒るだろう。

 しかし、それ以上にディーリアの手が、興味が、幼女の心を強く引っ張った。


「早く戻って来さえすれば大丈夫だって」


 二人は立ち上がり、ドアを抜け、従業員用の勝手口から外へ出て行った。



「イリスちゃん、大丈夫?」

「へーき」

 二人は、日陰を伝って小道を進んだ。途中、ディーリアは繋いだイリスの小さな手が冷たいことを心配して振り返った。


「イリスちゃんの肌、白いね。透けちゃいそう」

「そうかな?」

「それに爪が長いし、尖ってるね。お嬢様の間ではこういうのが流行ってるの?」

「わかんない」


 イリスの、フードによって大部分が隠れた顔からは表情も読み取りづらい。唇の瑞々しい色合いと、元気そうな口振りに納得して歩き直すしかなかった。


「ほら、あそこ。分かる?」


 二人は身を乗り出し、イリスは三方から高い壁がせり上がった袋小路に息を呑んだ。地震でも起これば、それらが幼い彼女達を目がけて倒れてきそうだ。


「たかいねー」

「こっちこっち」


 ディーリアが指さしたのは、左の壁の下だった。なるほど、そこには子どもなら通り抜けられそうな大きさの穴が開いている。

 誰が開けたものだろうか? なんにしろ、今のイリスにはどうでもいいことだ。ただただ、新しい世界の予感にウキウキした気持ちでいっぱいだった。


「わたしも今がギリギリだから、もうすぐ通れなくなっちゃうんだろうなぁ」


 淋しそうに言って、ディーリアが先に体をかがめた。彼女の説明によると、この先に「秘密基地」があるらしい。

 誰にも使われていない屋敷があって、町の子ども達が集まってくるのだと。そんな話が聞いてウズウズしないわけがない。



 いったいどんな子達なのだろう? 自分を仲間に入れてくれるのか? 穴を通る順番を待つ間に不安を覚えて、イリスは少しばかり戸惑った。


「きゃああっ!」

「え?」


 壁の向こうから聞こえてきたのは、紛れもなくディーリアの悲鳴だった。一瞬、体が痺れて強張る。小さな声で名前を呼んでみても返事はない。

 どうしよう。戻って誰かに知らせるべきか。

 でも、その間にディーリアの身に危険が及ぶかもしれない。


「……ディーリア!」


 イリスはすぐに決意を固めて腰を落とし、這いつくばって穴を抜ける。仲良くなれそうだった彼女を、早く行って助けなければという思いがその身を突き動かしていた。



 ◇イリスの大冒険開始です。次回はまたフォルト視点に戻ります。

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