第4話 消えたお嬢様

「あぁ、あそこだ」

「もっと良いところに泊まれよ」


 宿を見つけて指し示すと、ルーシュに言われてしまった。まさに王子様のような身分のルーシュとは、金銭感覚からして差があって当然だろう。


 外ではヴァロアが青いエプロンをつけて掃除をしていた。

 さっとほうきを動かす度に砂が軽く舞い、潮風にあおられて飛んできた枯れ葉が一カ所に集まっていく。


「お帰りなさい」


 こちらに気付くと顔を上げ、笑った。初対面の時と同じく柔らかい笑みだ。


「そちらは? あ、すみません。私はこの宿の者でヴァロアと申します」

「イリス様のお兄様のルーシュ……様です。お部屋、もう一つお願い出来ますか?」


 たまにこういう場面に出くわすと、いつも歯が浮きそうになる。内心では「どうしてコイツを様付けしなきゃいけないんだ」という気持ちが激しく渦巻くからだ。


「はい。どうぞ、中へ」


 そんなことを考えているとはつゆ知らず、ヴァロアが再び笑顔で頷く。手続きのためにそそくさと中へ入っていく背中を追いながら、俺は呟いた。


「誰かに似てると思ったらウィスク先輩だ。ニコニコしてるしさ」

「ふん、一緒にすんな」


 ウィスクはルーシュの秘書だ。当主付秘書であるシリアとは双子の兄弟で、俺もよく世話になっている。その仕事ぶりは「常に笑顔」に尽きる。

 噂では、ルーシュが居場所を知らせる唯一の相手らしく、かなりの信頼関係にあるようだった。


 俺は「なんだよ」と悪態をつきかけて口ごもった。ルーシュの機嫌が悪い。理由は分からないが、ヴァロアの何かがお気に召さないらしい。

 こんなに人当たりが良いのに、何が気に入らないのだろう?


「オイ」

「あ?」


 もう一つの部屋の鍵を貰い、ひとまずは自分の部屋に向かう途中の階段で。それは床のきしみにかき消されそうな呼びかけだった。


「イリスを一人にするな。港町ってのは、良いものも悪いものも出入りするところだからな」

「どういう――」


 言葉が途切れる。

 軽くノックし、ドアノブを回して中に入ろうと扉を開いた瞬間に気が付いたのだ。いるはずの主人がいないことに。


「イリス様?」


 カーテンがはためいている。窓が僅かに開いており、そこから湿った風が入り込んで室内を冷やす。

 ベッドには誰かがいた膨らみだけが残り、袋に入っていた中身が散乱していた。


「いったい何処に……!?」


 部屋を一通り探したあと、下へ降りてもみた。しかし、やはりイリスの姿はない。一階には、ヴァロアがカウンターにいる以外、人は見当たらなかった。


「申し訳ありません。つい先ほどお茶をお持ちした時には確かに……。ずっと入口もチェックしていたのに」


 青年も強張った顔で頭を下げてくる。

 いや、ここは俺の落ち度だ。やはり人任せにせずに連れていけば良かった。後悔で食いしばった奥歯がぎしりと鳴る。


「……そういえば」

「何か思い当たることでも?」


 ふと思い出したような呟きに耳をそばだてた。階段を降りかけていたルーシュも不機嫌な顔のままでこちらに注目していた。


「朝食の後からディーリアの姿が見当たらないないんです。もしかしたら一緒かもしれません」

「行き先に心当たりはありませんか?」


 再び外に出れば、太陽がだいぶ昇ってきていた。長く伸びていた影も縮み、これからは日陰が加速度的に減少する時間帯だ。

 もしイリスが陽をじかに、長時間浴びるようなことがあったら非常にまずい。


「町からは出ていないと思います。ですが、普段どこで遊んでいるのかまでは」


 雲を掴むような話に黙り込んでいると、ルーシュが階段の傍からこちらへと近寄ってきた。


「俺は俺で探す。お前もお預けくらった犬みたいな顔してないで動くんだな」

「だ、誰がっ」


 文句を言おうとそちらを見れば、すでに出入り口に差し掛かっているところだった。しかし、自分で探すとは、手がかりでもあるのだろうか。

 世界中を飛び回って、自宅である城にいるのは年に数日というルーシュの私生活を、一従者に過ぎない俺が知る術はない。


「まさか、町を裏から牛耳ってたりして」


 恐ろしい想像をしかけ、頭を振る。妄想を打ち消した後は、もう一度部屋で手がかりを探そうと階段を上った。


「あれ?」


 ツインのベッドの片割れ。その上で散らかった荷物を整理していると、無くなっているものがあることが解った。


「メモメモ……あった」


 自分の服のポケットを漁り、持ち物メモを取り出す。何か紛失してはいけないからと、念のため記しておいたものだ。

 こんな風に役立つとは、皮肉な話だと唇が我知らず歪む。


「ないのはサングラスと小銭と……時計か」


 小さなメモと荷物袋の中身を比較し、ホッとしなくもなかった。


 サングラスがあれば日差しを多少なりとも避けられるし、小銭があればいざという時に困らずに済む。

 なにより、きちんと時刻を意識していることが救いだった。


「あとの問題は一つ、だな」


 その一つは、ある意味で最も深刻な問題だ。他でもない、「血」である。前に飲んだのが今朝だから、当分は保つだろうが、楽観視は出来ない。


「ディーリアも危ないかもしれない」


 ぽつりと漏らしてゾッとする。

 見た目は幼い子どもでも、イリスはれっきとした吸血鬼なのだ。飢えれば本能的に血を求めるだろう。ルーシュやルデリアのように、それを抑えることは難しいに違いない。


 彼女はきっと欲する。一番近くにいる人間の血を。

 居ても立ってもいられなくなり、ヴァロアに言伝を頼んで建物から飛び出した。

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