第16話 少年の大仕事
「本当はもっと色々とお見せしたいところですけど、これから大仕事が待っていますので、またの機会にさせて下さい」
「大仕事?」
「ルデリアさんからご依頼を頂きまして。まだまだ未熟な身ではありますが、精一杯のことをさせて頂きます」
そういえば来た時に「頼み」がどうのと言っていた。それこそが大仕事に違いない。
「ありがとうございます。オルトさんなら何も心配せずに任せられます」
屋敷の住人が一様にふわりと笑う。どこか楽しそうに、それでいて寂しそうに。
ルーシュは痺れを切らしたように、「それで、何を始めようって?」と先を促した。部外者なのに偉そうな態度で、連れであるこちらが恥ずかしくなる。
オルトは気分を害した風でもなく、短く応えて立ち上がった。
「引っ越しのお手伝いですよ」
その夜、俺達は屋敷に泊めてもらうことになった。
周りの森からは昼とは違った動物や虫達の鳴き声が交わされ、代わりに緑はひっそりと眠るように沈黙している。
今回はこれまでと違って随分と長い時間飛ばされずにいるが、理由はなんとなく分かり始めていた。きっと、「終わり」が近いのだ。
「でね、でね!」
「へーすごいねー」
日が暮れてから目を覚ましたイリスは、振舞われたルクレチアの料理に大喜びしながら、帰宅した彼女の弟や妹と楽しげにお喋りをしている。
幼いイリスにとっては幸いにも、廃村が闇に沈んでいる時間だ。あとは彼女がレイテのことなどをどう受け止めるのかが心配だったが、さして混乱する様子もない。
時間旅行さえも、「面白い体験」なのだろうか。
「なんだ、素直に喜べよ」
「何を」
「とりあえず食事の有難さと旨さ? あとは……もうすぐだ、って点にだな」
隣で琥珀色のスープに舌鼓を打っていたルーシュが、にやりと笑った。
緻密な刺繍のクロスを広げた長机では、ルデリアを始め、給仕に勤しむルクレチア以外の家族と俺達、そしてオルト少年が食事を楽しんでいる。
自分も給仕に回ろうとしたのだが、客人だからと断られてしまった。
「お客様は本当に久しぶりで、嬉しい限りです」
心配だったレイテの体調も良いらしく、共に食卓を囲むことができた。帰宅したレイテの夫はがっしりとした体つきの男性で、並んでみると、なるほど長年連れ添った夫婦だと合点がいく。
彼らは全員、立場上はルデリアの使用人にも関わらず、それは些細なことだといわんばかりに同じ卓についた。
「すみません。自分まで頂いてしまって」
「フォルトさんも立派なお客様ですよ」
サラダを運んできてくれたルクレチアに恐縮すると、彼女はふふっと笑って野菜たっぷりの皿を渡してくれた。
「ルクレチアさんも、こちらにずっと……?」
このタイミングしかないだろうと、思い切って気になっていたことを口にする。
彼女はまだ若い。
親の跡を継がず、外の世界に飛び出していくことだって出来るだろう。勉強、恋愛、結婚……村があれば望めた様々なことも、ここでは我慢しなければならない。
今回の「引っ越し」がその解決策でないと察しがつくだけに、聞かずにはいられなかった。ルクレチアはそっと笑うと、その奥に決意を滲ませる瞳を見せた。
「ここに残ったのは母の強い希望があったからですが、もし母が命を落としても、ルデリア様に仕える意思は変わりません」
「どうして、そこまで?」
「多分、フォルトさんがお嬢様に抱いているものと同じ理由ですよ」
「あ……えぇと」
腑に落ちない気持ちと納得する気持ちとが半々で、上手く頷くことが出来ない。
育てられた恩義だとか、言い聞かされてきた忠誠心だとか、自分にあるのはそんな高尚なものじゃない。
ただ、同じ年代の子とお喋りするイリスを眺めていると、思うことがある。
「俺はただ、今が嫌じゃないってだけですよ」
ルクレチアが茶目っ気を含んだ声音で、「あら、同じじゃありませんか」と笑った。
引っ越しは深夜、ひっそりと行われた。
こんな時間にと驚く気持ちはすでにない。俺達は屋敷の外に出て、玄関に立つ一家の面々とルデリア、そして棒切れを持って何やら走り回っているオルトを眺めていた。
「ねぇねぇ、フォルト。何がはじまるの?」
「見ていればわかりますよ、きっと」
昼寝をしたおかげで目がぱっちり開いたイリスは、首をかしげつつも言われた通りに静かにしていた。これから始まるショーをワクワクしながら待つ、観劇者の気分に違いない。
「妙な感じだな」
俺が言うと、フードを被らなくて良くなったルーシュが髪をかきあげて「まぁな」と同意した。
「まさかンなもんを見ることになるとはな」
「出来ましたよ」
いくらかのち、地面に巨大な落書きみたいなものをしていたオルトが戻ってきて、ルデリアとレイテに準備が完了したことを告げた。
「いよいよなのですね。あぁ、その前にお礼をしておかなければ」
思い出したように懐から金品を取り出そうとするルデリアを、少年は片手で軽く制して首を振った。
「以前頂いたもので十分です。あの時の分さえ、返せている気がしませんから」
恐らくこの二人の出会いに関係する話なのだろうが、お互いに多くを語りはしなかった。ルーシュはなんとなく気付いているのか、さして興味もなさそうに星空を仰いでいる。
いや、違う。光の粒を撒いたようなこの空は、ただの景色じゃない。眺める「彼方」こそが、これから向かう、一家の引っ越し先なのだ。
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