第12話 時の末に流されて

「……またか」

「あれれぇ?」


 げんなりした表情で俺は言い、小首を傾げるイリスとしっかり手を繋いでいることに安堵する。離されなくて本当に良かった。

 三人はレイテに通された客間から、いつの間にか再び執務室に戻ってきていた。


 書棚で眠る本が発する独特の匂いが充満した、薄暗い部屋。

 机も棚も変わらないように見えるけれど、これだけ「移動」を繰り返すとだんだん何が正解なのかも判らなくなってくる。


「今回も酷いタイミングだな。慣れてきた自分も嫌だし」

「あのままスンナリいってれば先の展開なんてタカが知れてる」


 ルーシュは涼しく言い放ち、次いで邪推する目つきになった。


「もしかして……ははあ?」

「ち、違うからな。その先は言うなよ」

「気が付いてる時点で白状してるも同じだろー?」


 断じて違う! 誰が他人の吸血現場など目撃したいものか。捕食する側は楽しめるかもしれないが、こちらにあるのは被害者意識だけだ。

 そうだな、せっかく先輩のシリアが設立した某会の司会兼幹事に抜擢ばってきされたのだから、近く第二回例会でも開くとしよう。


 しかし、ケラケラと笑ったルーシュもこの状況を純粋に楽しむ余裕はないらしく、すぐに鋭い爪を生やした指先で顎を撫で、思案顔に戻った。


「一応聞いてみるけど、今度こそ戻れたのか?」

「これまで通りなら、あれで終わりなわけはないなぁ」

「やっぱり」


 内心かなりガッカリしつつ、俺はついでに別の疑問点も口にした。


「気になることと言えば、何で毎回この部屋からスタートなんだろうな? 見せたいものがあるなら、直に移動させてくれればいいのに」


 今のところ接触したのはルデリアとレイテだけだが、幾つかの言葉を交わしただけで、彼らに大した影響を及ぼしているとは思えないし、逆もしかり。

 自分達はただの傍観者である。


「確かにな。こんなことをする『誰かさん』が、心の準備をさせてくれるようなお人よしには思えないしな」


 こんな奇妙な世界に飛ばした張本人が、もしお互いのコンタクトで何かを変えたいと意図しているなら、もっと何かが起こるべきだとルーシュが言う。

 先ほどは、レイテが一歩踏み出すのを後押しした……といえなくもないが、助けを借りずとも、彼女ならいずれ同じ道を選んでいたことだろう。


 「誰かさん」はなんのためにこんなことをするのか。手がかりもなく、謎は深まるばかりだ。


「とにかく、その『誰かさん』を満足させられれば迷宮から出られるってのが、一番可能性が高いんじゃないか」

「つまり、前進あるのみってことだろ?」

「そゆこと」


 じっとしていても事態が好転する兆しはない。俺が溜め息をつくのと、イリスが「ふわわ」とあくびをするのは同時だった。


「あ、イリス様。眠くなってきちゃいましたか」

「ううん、だいじょぶー。……あふ」


 言葉とは裏腹に、しょぼしょぼする目をこすり、また大きくあくびをする。


 無理もない。そもそもかくれんぼが終わったら、食事をして少し昼寝をさせる予定だったのだ。元気そうに見えても、幼い身にはあちこち歩き回った疲れが蓄積していることだろう。


「眠っても大丈夫ですよ」

「うん」


 そっと抱き上げると、腕の中で安心したイリスは小さく頷き、頑張って開こうとしていた目を閉じる。眠りに落ちるまで数秒とかからなかった。


「早くベッドに寝かせないと」


 抱えられた格好では疲れも癒えまい。体の重みから主人の成長を感じ取りつつも、彼女のためにも早く帰らなければと思うのだった。



 今度は誰にも出会わずに外へと出た。

 屋敷は更に広くなっているように感じたが、基本的な動線にはあまり手を加えられておらず、玄関へとすんなり抜けられた。


 外から仰ぐと、予想通り屋敷は一回り近く大きさを増しており、周囲にぐるりと作られた花壇には美しい花が植えられている。

 初めて訪れた時よりも、ぐっと手入れがなされている印象だ。


「大丈夫か?」


 頭からすっぽりと日除けを被ったルーシュに問いかけると、「ンなことお前が心配しなくてもいいんだよ」と、素っ気ない応えが返ってきた。

 だが、外は雲のほとんど無い真っ昼間だ。抱えたイリスにも陽があたらないように気を配らなければなるまい。


「よし、大丈夫そうだな」


 彼らの姿がどれだけ人に似ていようと、その本質は日の光に疎まれた存在だ。

 長時間当たれば火傷を負い、それでも無理して浴び続ければあとには何も残らないと聞く。


 けれど、彼らは意外に明るい場所が好きだったりする。住まいには人工の灯りを作りだし、その下で呑気にお茶会をしたりするくらいには。


 人間の血を飲み、長い時間を生きるのは伝承の通りだとしても、決して書物に描かれるようなおどろおどろしいだけの生き物ではない。

 少なくとも、ずっと接してきた俺はそう思っている。不自由な身の上かもしれないけれど、不幸ではないのだと。


「おい。イリスももちろん大事だが、こっちもオオゴトだぞ」

「え? ……ぇ?」


 二度目の驚きの声は、かすれてほとんど声にはならなかった。


「なぁ、下の方に家、あったよな?」

「小さなのがちらほらな」


 下方にあった集落から男の子かと見間違うほど活発な女の子が、食べ物を持って坂を駆け上がってくる様子は、まだ記憶に新しい。


「レイテの村……どこだ?」

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