第11話 少女の献身
「……え?」
きっと、理解するより前に本能が働いたのだろう。レイテの体が一瞬離れたのを見て、彼はさらに両腕で遠ざける。
「やめておきなさい。私は、あなたとは棲む世界の違う生き物なのです。レイテのように太陽の下が似合う人を、こちら側に引き込みたくはありません」
「ちがう、いきもの……?」
目の前の慕っている相手が、突然異質な何かに変わってしまった。自分は何と言葉を交わしているのか……彼女の全身からは戸惑いが滲み出ていた。
「おねーさん。この兄さんな、放っておいてももうすぐ死ぬぜ」
「!」
数分の間沈黙を保っていたルーシュが口を挟む。
予想していなかった方向からの声と、何よりその内容に、レイテは涙が止まった顔を余計に困惑でいっぱいにする。
「人間よりず~っと長生きする生き物だけど、その命を長らえるのに血が必要なのさ。でも、この兄さんはその『食事』を止めちまった。……どうなるか、解るだろ?」
言ってみれば、人が長期間飲まず食わずでいるのと同じだ。
人よりもずっと生命力が高いおかげで今まではなんとか生きてこられたが、限界はとうに過ぎてしまっているのかもしれない。
「まぁ、オススメはしない。別に血を吸われたっておとぎ話みたいに吸血鬼になったりはしないが、痛いし、貧血でクラクラするだろうしな」
それに何より、「そちら側」に足を踏み出した分だけ、日の光から遠ざかることになる。
「なぁ?」
「うるさいな、俺に同意を求めるな」
俺は生まれた時から、彼ら闇の生き物にかしずいて生きることが決められた身だ。疑問を覚える段階も過ぎてしまって、今更その運命から逃れるつもりもない。
目の前の少女の気持ちを推し量ることなど出来ようか。
そっと、ルデリアが一歩退いた。
「さぁ、もうお行きなさい。3日のうちには、先ほど言った通り計らっておきますから。ここで聞いたことなんて忘れて、光のもとで幸せになりなさい」
旅に出たように見せかける手紙を書き、屋敷をお手伝いの少女に残す文面を書き添え、まるで初めから何もなかったみたいに消えてしまう。そういう算段だろう。
「一時の気の迷いの結果がこれとは。貴方を招き入れるべきではなかった。私は愚か者ですね」
毎日、カラカラに乾いたのどを、なんとか騙し騙しやり過ごしているのに。手を伸ばせば届く距離に、美味しそうな人間のいる状況がどれほど辛くて苦しいか。
彼の瞳はそう語っていた。
呆然とするレイテに追い打ちをかけるように、彼は両手で顔を覆い、声を絞り出す。
「気が、狂いそうだ……」
飢えに自分の全てが侵されてしまう前に、離れてくれるのを祈ったのだろう。多分に演技を含んでいると感付いていた。恐らくルーシュもだろう。
広い世界を知らない村娘には、そんな判別はつかない。理性を失いかけた化け物を前に、悲鳴を上げて逃げ出す――と思っていた。
なのに、現実は。全身を押し付けるようにして吸血鬼を抱く、人間の女性の姿があった。
「レイテ……?」
ぶちぶちっ! 彼女は一度体を離すと、ボタンを引きちぎる勢いで服の喉元を開いてみせた。白い肌が露わになる。ルーシュがピュウと口笛を吹いた。
「今すぐ好きなだけ召し上がって下さい」
「な、何を言っているんですか」
気圧され、顔を背けて止めさせようとするルデリアを、逃がさないとばかりに、その頬に手を触れる。
「こういう時って、首筋じゃないんですか? だったら」
と反対の手を服にかけた。「やめてください!」という上擦った声が部屋に響き渡る。
「自分が何を言っているか、わかっているのですか?」
「分かってます。何でもするって言ったじゃないですか!」
間髪入れず発せられた涙声に、ルデリアは息をのんで、背けていた目をレイテに向けた。
男の子に間違われるほど活発だった肌は、使用人服を纏って暗い屋敷で過ごすうちに、滑らかな陶器のように白く染まっていた。
潤んだ瞳と上気した頬とのコントラストが、彼女の美しさをくっきりと浮かび上がらせる。
それは、若さから滲み出る「生あるもの」の力だ。長い間命の源を絶ち続け、今にも朽ち果てようとしているルデリアには、眩しすぎる輝きだった。
「気が付かなくてごめんなさい。こんなに苦しめているなんて、知らなくて」
もう、我慢しなくて良いのです。レイテは優しく静かに言う。
「あなたはこれまでに村の人をたくさん助けて下さいました。私の親戚も、友達も……もしかしたら死んでしまっていたかもしれない、大切な人たちを。その救った命を放って、あなただけ死のうなんて許しません」
茶目っ気たっぷりに断じて、笑った。
「良かった。やっと一つ、お役に立てそうで」
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