第9話 お茶の香りの中で

 俺はレイテに改めて自分達を紹介し、いきさつを訊ねてみた。

 天真爛漫で少年にさえ錯覚した彼女が、何故ルデリアに仕えているのか。この数年、俺達に取っては瞬きのような間に何が起きたのか……。


「あれは、私がまだ小さかった頃です」


 レイテは話し相手が出来て嬉しかったらしい。喜々として客間へ案内し、慣れた手つきでお茶を用意してから、ソファに座るルデリアの後ろに立って話し始めた。


 同じ使用人の立場である俺も座るのを辞退しようとしたら、ルーシュに「後ろに立たれると邪魔」と言われ、結局横に腰をおろすことになってしまった。

 更に隣では、イリスが出されたクッキーを美味しそうに頬張っている。


「もう、そんなになりますか」


 レイテに依れば、ルデリアは元々旅人で、ある時ふらりとこの村にやってきたのだという。

 そろそろ旅をやめて腰を落ちつけたい。家を建てるから、どうかこの村の仲間に入れて欲しいと。


「村ってのはどこも閉鎖的だろ。良く受け入れて貰えたな」


 ルーシュが言うと、話題の本人が苦笑する。

 さすがにいきなり快く、とはいかなかったのだろう。当時の苦労を思い出し、しかしそれすら楽しんでいる様子でもあった。


「景色が気に入りましてね。とにかくこの家を建てて住み始めました。村の人だって、良い顔はしないまでも、別に物を売ってくれないわけではありませんでしたから」


 家を建てた職人ももちろん村人だった。彼らは、山中では一人で生きていけないことを知っているのだ。心根は優しい人達なのだろう。レイテが引き継いで続きを語る。


「そのうち村で重病人が出たんです。でも、お医者様はこの村にはいなくて。隣町まで出かけないと診て貰えないのに、あいにく天気も酷く悪い日でした」


 激しく叩き付ける雨に、家屋すら吹き飛ばしそうな風。重病人を運ぶことも、医者を呼びに行くことも難しい嵐だったという。


「で、そこに現れたのがアンタだったってわけだ?」

「ええ、まぁ。多少、薬の知識がありましてね。おかげで、病で苦しむ方を救うことができました」


 軽く話しているが、擦り傷などに聞く薬草ならともかく、病気の診断と処方は「多少の知識」でどうにかなるものではない。

 薬は、量や種類を間違えば簡単に毒に変わる。聞きかじり程度で手を出すと、殺してしまうことだってある。


「ルデリア様は凄いです! あとで天候が回復してから念のためにお医者様に診て頂いたら、『見事な腕前だ』っておっしゃっていましたもの」

「凄いですね」


 俺が素直に称賛すると、当の本人は「そんなに褒めても何も出ませんよ」と笑う。


「でも、それをきっかけに村の皆さんとの距離が縮まったのは事実ですね」


 想像するのは難しくない。怪しげな来訪者が、恩人に変わった瞬間だっただろう。


「このお屋敷、とても広いでしょう? ルデリア様は時々改築をなさるから、大きくなる一方。お一人だと色々不自由されていると思って、私の方からお願いしたんです。『雇ってくれませんか』って」

「へぇ」


 押しかけ使用人とは、なんとも驚きの事実である。

 てっきり、かつての恩を返すために村長から指図されたとか、そんな流れだと予想していた。いや、それもあるのかもしれないが。


「クッキー、おいしいね~」


 席の隅っこで、お菓子をぱりぱり食べていたイリスが無邪気に感想を述べ、大人達の空気も更に緩む。お茶の、澄んだ香りの効果もあるだろう。


「これだけの建物だと、掃除も大変でしょうね」

「そりゃあ、もう」


 俺が話題を向ければ、レイテも茶目っ気を出し、しばらくは談笑が続いた。


「おかわり、お持ちしますね」


 長閑な流れが変わったのは、レイテがテーブル上の空のカップに気付き、取りかえようと席を外した時だった。

 華奢きゃしゃな背中が扉の奧へと消え、部屋を満たしていた香りが薄れたのを鼻先で感じ取ったかと思うと、ルーシュはぐっと身を乗り出して囁いた。


「あんた、自殺でもしたいわけ?」


 カシャと鳴ったのは俺の指先に触れた菓子皿。カップとお揃いの、薔薇の模様の入ったそれが、手を滑らせた衝撃でびくりと震える。


「お、おい。何を言い出すんだよ」


 のんびりとしたティータイムを台無しにするには十分な内容だ。大慌てで非礼を詫びようとしたが、ルデリアは軽く首を振って遮った。


「当たらずも遠からず、と言ったところでしょうか」

「前より血のニオイがしない。生気が薄い。据え膳を前に涼しい顔で、我慢大会でもしてんの?」


 あけすけに暴くルーシュに背筋が冷える。と同時に、指摘が事実なら、かなりまずい状態なのではとも思った。

 ルデリアが「闇に属する生き物」なら、命を長らえるには血が必要なはずだ。それも定期的に。


「我慢大会ですか」


 たとえが面白かったのか、彼は愉快そうに口元を歪める。しばらく黙考してから、ゆっくりと言葉を選び始めた。


「別に無理をしているわけではありませんよ。これが私の望みなのです」

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