第8話 麗人と使用人

「懐かしいお客様ですね」


 突然かけられた声にぎょっとして振り返る。目に入ったのは黒衣をまとった先程と同じ顔――ルデリアの微笑みだった。


「その客に、家の主が気配を殺して近付くとは面白い」


 ルーシュがシニカルな笑みを浮かべて言うと、不思議な館の不思議な主人は「不審者だったら用心しなければならないでしょう?」と気分を害した風でもなく返す。


 確かにそうだが、何かが間違っているような気もする。

 けれど驚きと勝手に入り込んでウロウロしていた侵入者である手前、抗議を口にすることはなかった。


「えと、あのこれは」


 代わりに頭をぐるぐると回る焦燥感を軽減させるため、慌てて謝罪を絞り出そうとして、無意味な言葉を列挙する。

 これでは……本人には誠に失礼だが、従者見習いのサスファみたいだ。状況を理解していないイリスだけが、またルデリアに会えた喜びでにこにこしている。


「顔芸を披露してないで、お前はイリス抱えて黙ってろ」

「な、顔芸って!」


 ルーシュが妹を抱き上げて渡してくる間にも、紅い目はすっと細められていて、俺は幼女の軽い体を両腕で支えながら真っ赤になって視線をそらす。

 長い付き合いがある分、感情を刺激されてしまう。当分この話題でからかわれるかと思うと、はらわたが煮えくり返りそうだ。


「勝手に入って悪かったな。こっちにも事情があるんでな。何も盗んだり壊したりしないから、大目に見てくれると有難いんだけど?」


 盗人猛々しい、もしくは居直り強盗か? およそ侵入者とは思えない不遜な態度に、ルデリアはにこにことした笑みを絶やさない。


「構いませんよ。ここは滅多に人が来なくて寂しい思いをしていますから、貴方方ならいつでも歓迎します。何か目に付いたものがあったら、どうぞお持ち帰り下さい」

「えっ」


 太っ腹な言い様に反応してしまい、即座にルーシュのツッコミじみた視線が刺さる。


「放っといてくれ、金持ちのお前と違って貧乏性なんだ」

「それ、雇い主へのクレームってことでいいんだな?」

「た、ただの独り言っ」


 俺が直接仕えているのはイリスだが、従者達全員の主人は兄妹の父である当主だ。

 城から自由に出ることもままならない身分でも、衣食住はしっかりしているし、主人一家の性格もよそに比べてだいぶマトモだと承知している。


「親父はお前らが買い物ついでに多少の贅沢品を求めても怒らないし、それなりに良い物喰わせてやってるつもりだがなぁ?」

「だから独り言だって言ってるだろ! それに、良い物を食べさせてるのは自分達のためもあるだろうが」


 人間の食事をおろそかにすると、旨い血にありつけなくなるからだ。改めてそう考えると空しい気持ちになる。

 鑑賞に耐え得る美しい「かごの鳥」ならまだしも、自分達の現状は「働く家畜」そのものである。


「今更なこと言うなよ」

「お兄ちゃん、『かちく』ってなぁに?」

「イリスがもうちょっと大きくなったら教えてやるから、な」

「えー」


 小声でやり取りされる内容が面白かったのか、ルデリアのさざ波のような笑い声が耳に届き、二人は押し黙った。


「あー、ウチの馬鹿が失礼したな。こいつ面白いんだけど、空気読めなくてさ」

「おい、空気読めないってなんだよ」


 全くフォローになっていないルーシュのセリフにまたも条件反射で噛みつき、再び黒衣の麗人が笑いを零した。本当に楽しそうだ。


「楽しそうで羨ましいかぎりです。やはり、ひとりは寂しいものですから」

「ひとりじゃありません!」


 かぶさるようにして横入りしてきたのは若い女性の声だった。

 年は15から20の間だろうか。今では少々廃れ気味の、腰からふわっと広がるワンピースタイプのメイド服を着て、長い茶髪を後ろで束ねて垂らしている。


 彼女とは初めて会ったはずなのに、どこか見覚えのあるような顔立ちをしていた。


「ルデリア様ったら、私がいるじゃありませんか」

「ふふ、そうでしたね。すみません、レイテ」

 

 今度こそ目を見開く。レイテという名には聞き覚えがある、なんてものじゃない。つい今しがた耳にしたばかりだ。


「ルデリアさん、この人は……?」


 麗人が口を開くより早く、レイテと呼ばれた女性が恭しく頭を下げて笑顔を作った。


「お客様の前で失礼しました。お初にお目にかかります。レイテと申します。ルデリア様にお仕えしております」


 ぱっちりとした目元と、太陽を連想する笑み。そのどちらもが、今しがたルデリアに食糧を運んできたあの少女とそっくりだった。

 もしかして姉妹か親戚だろうか。そんな淡い想像も、次のセリフが容赦なく突き崩す。


「レイテ、初めてではありませんよ。数年前にお会いしています。一瞬でしたから、覚えていないかもしれませんが」


 レイテが思い出そうとして、けれど駄目だったらしく、「そうでしたか。申し訳ありません」とだけ返した。


 数年前! 思わず唇を噛んで思いとどまったものの、叫んでいてもおかしくはなかった。

 ルデリアの言葉で、女性があの少女と同一人物だと証明されてしまったのだから。


『懐かしいお客様ですね』


 ルデリアの挨拶に違和感を覚えたのは事実だ。今しがた別れたばかりなのに、と。焦りが心中を侵していなければ問い直していただろう。


 ありえない話だが、要するに「ここ」は先ほどまでいた場所の数年後の世界、「未来」なのだろう。ここまで荒唐無稽だと、深く考えることさえ面倒になってくる。


「読めてきた気がするな」

「えっ、何がですか?」

「いや、何でも」


 ルーシュがぽつりと漏らした呟きをレイテが聞きとめ、きょとんとして首を傾げる。気の抜けた返事をする仕草も、まだ完全には幼さが抜けていない感じがした。

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