第7話 見知らぬ城
「え?」
音が完全に消える前に、今度は僅かな立ちくらみを覚える。そのほんの瞬きほどの間に視界が暗さにやられたと思ったら、俺達は元の執務室に立っていた。
「は? 飛ばされた……?」
どんと鎮座した執務机と本棚の群れが、訪れるものを威圧する。
掃き清められた床が、薄く開いた扉から入る細々とした明かりを反射して、ほんのりと光っている。その光も元の作り物に戻っていた。
「なんで、何が起きたっていうんだ?」
わけが分からない。
分かることといえば、芝居の場面転換のように周囲が変化してしまったことと、全然知らない部屋に変わってしまったはずの執務室が、今は元通りになっているという事実だ。
「ルーシュ、今見たのは全部幻だったのか? ルデリアも、レイテも?」
「さぁな。幻にしちゃ現実味があったし、もっと違う何かかもな。原因がこれなのは間違いなさそうだが」
言ってルーシュは床に転がっていた巻物を拾い、だらりと垂れ下がった紙面を巻き直した。一緒に飛ばされたイリスが、しゅるしゅると鳴るその動きを楽しそうに眺めている。
「おもしろいねー。イリスもやってみたい」
「これはオモチャじゃないから、今度似たようなものを持ってきてやるよ。それで良いか?」
「うん。待ってるね!」
「確か、それを落として光に包まれたんだっけか」
目を開けていられないほどの強烈な光だった。あの時は単に防犯用の装置か何かだろうと思い込んでしまったが、他にきっかけと呼べるものは思い付かない。
「じゃあ、本当に戻ってこられたのか?」
けれど、事はそう簡単ではなかった。期待を込めて問いかけると、ルーシュはあっさりと首を横に振って希望を打ち消す。
「匂いが違う。元いた場所とも、さっきまでいた妙な世界とも」
「『世界』?」
認識にずれを覚えて聞き返した。まるで空間でも
「俺はあっちこっち出入りしてるが、あんな屋敷もルデリアって名前にも覚えがない。名前に関しちゃあ、群れるのが嫌いって連中もいるから仕方ないとしても、あんな目立つモノを建てていて網に引っかからないなんてありえないんだよ」
人間よりもずっと長い時間を生きる彼の言葉には、ずしりとした手応えがあった。
「網」が情報網を指すことくらいは俺にもピンときた。吸血鬼のネットワークには侮れない力があり、地上の動きにも敏感で緻密に吸い上げると聞く。
吸血鬼を束ねる「上」の者達に顔がきくルーシュが知らないのだから、よほどの事態なのだろう。
「つまり?」
「少しは自分でも頭を使えよ。……『世界』の他に言い様がないな」
「さっきまで何処にいたのか、全く見当がつかないって意味か……」
いや、と言いかけてルーシュは言葉を句切った。なんとも含みのある様子だ。でも、こういう時に無理矢理口を割らせようとしても無駄なのもわかっていた。
どんなに悔しくても頼みは彼だけなのだ。へそを曲げられては困る。
「お兄ちゃん、イリスたちどこに来ちゃったのかなぁ」
「んー、どこだろうなぁ。ま、安心しろ、お兄ちゃんが絶対に家まで連れて帰ってやるからな」
「うん!」
幸いはイリスの存在だった。無邪気に訊ねる妹に、兄の不機嫌そうなオーラが和らぎ、場の空気も
笑顔とぱたぱたと鳴る足音が、大人達から杞憂を消し去ってくれるようだ。
「なぁ。巻物、ちゃんと調べた方がいいんじゃないか?」
今しがた、怪しいと睨んだばかりだ。
巻くところを見てイリスが喜んでいたし、事態に付いていけず混乱していたから止めなかったけれど、真っ先に睨めっこをする価値がありそうな代物だろう。
「またどこぞへ飛ばされるかもしれないのに?」
「う、でも」
正論に言葉を詰まらせる。それでも食い下がると、巻物を
「最終的には調べるとして、それよりはまずこっちだな」
「『こっち』って?」
なんの相談もなく、突然イリスの小さな手をひいて歩き出すルーシュの背をまたしても慌てて追いかける。主人の兄は首だけ向けて、にやりと笑った。
「仕組んだ誰かさんに付き合ってやろうじゃねぇか」
何が起きているにせよ、巻物以外から手掛かりを見つけるには部屋から出てみる以外に道はない。三人はそれぞれ違った思いを抱えて書斎を後にした。
「見た目はそっくりだな……」
建物は今度も、俺達が良く知る城に似ていた。緩やかに楕円を描く廊下や、作られた部屋など、なんども既視感を覚えさせる場所に突き当たる。
だが、違うところも幾つか見つけた。
「あれ、こんな部屋、さっきはなかったよな」
ルデリアと出会ったあの場所に建っていた屋敷は、城と呼ぶにはこぢんまりとしていて、ちょっと歩けば壁が立ちはだかった。
それが、今度は部屋や通路に変わっているのだ。
「おうち、大きくなってるね!」
言葉に表せない居心地の悪さをよそに、合流前にあちこち見て回ったらしいイリスがわくわくしながら覗き込む。
客間であったり寝室であったりする部屋は真新しさが漂っていて、家財から立ち上る木の香りが人間にも判るほど濃い。
「『新築の匂い』ってやつかな」
「ふーん?」
「なんだよ」
面白いものを見つけたといわんばかりの笑みに問いかけるも、思考に耽っているのか返事はない。
きゃっきゃと騒いでいたイリスも、大好きな兄の邪魔をしないように大人しく待っている。
それらを途切れさせたのは、またしてもあの声だった。
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