第6話 同族の気配

「そんなに急ぐと転びますよ、レイテ」


 最初は活発そうな少年に見えた。が、近付くにつれて少女だと分かって驚く。

 明るめの茶髪は短く切られ、着ている衣服もつぎはぎのズボン姿で、もし帽子でも目深に被っていようものなら、完全に男の子だと思いこんだだろう。


 そばかすのある日に焼けた顔立ちは、目もぱっちりとした紛れもない少女のものであり、笑顔は太陽のように輝いていた。

 下の村から来たのだろうか。裕福さとは縁遠い出で立ちでありながら、影のない表情から毎日を楽しむ余裕を感じさせた。


「レイテ、良く来てくれましたね」

「はい!」


 坂を駆け上がった荒い息のまま差し出した編みかごには、色とりどりの野菜と果物、ワインらしき赤い液体が揺れるビンなどの食料が詰まっている。

 ルデリアも笑顔で受け取り、少女の労をねぎらった。


「いつもありがとうございます。皆さんにもよろしく伝えて下さいね」

「かならず伝えます!」


 レイテと呼ばれた少女は元気よく返事をして、それではと手を振って坂を下りていく。

 背を向ける直前、俺達に頭を下げていくのも忘れない辺り、行儀の良さも身に付けていることが窺われた。



「今の子は村から?」


 容易に想像は付いたが、本当に聞きたかったのは今のやり取りについてだ。ルデリアはそれを察して、理由を説明してくれる。


「えぇ。レイテは村長の子で、こうして高台に住んでいると何かと不便だろうと、時々ああして食べ物を持ってきてくれるのです」


 なるほど。ここには屋敷がでんと構えてあるだけで、庭らしいのは手前にあるこぢんまりとした花壇だけだ。

 風に吹かれ、葉と大ぶりの花びらを揺らす赤と青の二種類の花は、いずれも知らない種類であった。


「山が近いですからね。この場所で野菜を育てようとしても、獣達に食い尽くされてしまうのがせいぜいで」


 苦笑する。

 村のように人間が群れていれば恐れて近付かないような小動物も、広大な場所を一人きりで見張るのが不可能であることくらいは学習する。

 実がなった途端に食べ物をかっさらってしまうだろう。


「気になることでも?」

「あ、いえ」


 首を捻るルデリアに更に訊ねようとして、慌てて打ち消す。

 先程、代金を渡している様子はなかった。なぜかそのことが不思議と気になって確かめようとしたのだ。

 と同時に、出会ったばかりでする質問ではなかったと反省する。


「あ」


 今度はルデリアが小さく声を上げ、白い手を伸ばした。その仕草は空から落ちる雨の雫を受けとろうとするかのようだった。隣で見上げても晴天であるのに、だ。

 長い睫毛まつげを触れ合わせて僅かの間目蓋を閉じ、開いたと思えばおもむろに「降りますね」と呟いた。やけに断定的な言い方である。


「え……」


 俺の驚きは、これほど晴れているのに? という戸惑いを含んでいた。山や森に住む者には、ちょっとした湿度の変化や風の流れを肌で感じ取って、天候を読み取る能力があるのだろうか?


 生まれた時から「人ならざるもの」に仕えることを運命付けられた自分に、その世界で生きるすべが身についているように。


「おい、フォルト。いつまで待たせるつもりだよ」


 声に弾かれて振り返ると、フードを被ったルーシュがこちらにやってくるところだった。多少日光に当たろうとも、待たされるのに飽きてしまったらしい。二種類の意味で顰め面だ。


「お兄ちゃん!」


 イリスがたっと駆け出し、兄の足に抱きついた。それでやや機嫌が良くなったのか、はたまた妹に八つ当たりするわけにいかないと思ったのか、軽々と抱き上げる。


「イリス、大丈夫だったか?」

「うん! あのおにーさんとお話してたんだよ」


 この発言により、俺はようやくルデリアが男性であることを確信した。その間に、ルーシュが幼女から外した視線は冷えたものへと変わっていた。


「お兄さんですか」

「妹が世話になったな」


 口にしながら、心ではそう思ってはいないだろうことは明らかだ。


「ちょっとお話をしていただけですよ」

「だろうな」

「お、おい」


 ルデリアはあからさまな敵意を向けられても平然と笑っているのみである。しかし、何が気に入らないのか知らないけれど、さすがにその態度は失礼だろう。

 横からいさめようとしたのをルーシュは手で軽く制して、「イリスじゃアンタを満足させられないだろうからな」と続けた。


「……?」

「悪いが、これも俺んところのだから、勘弁してもらうぜ」


 思わずごくりと唾を飲み込んだ。じっとりと背中が汗ばみ、頭が真っ白になりかける。ルーシュが「これ」と称したのは、間違いなく俺自身のことだと分かったからだ。


「見れば分かりますよ。安心してください」


 ふっと、先ほどと変わらぬ笑顔でルデリアが言う。それはつまり、認めたという意味だ。変わらないはずの笑顔は、一瞬で印象を違えてしまった。


「で、こんなところで何やってんの、同族さんよ?」


 やはりと思わないでもない。最初から風貌や纏う雰囲気が誰かに似ている気がしたのだ。


「何をと言われても、ここに住んでいるだけですよ」

「下の村の連中をえさにするために?」

「!」


 どきりと胸が強く脈打つ。

 つい先程食料を持ってきてくれた、無邪気な少女の笑顔が浮かぶ。レイテは心の底からルデリアを慕っているようだった。だとしたら、ルーシュの指摘が本当のことなら……。


 主人の兄は、一度は自分で口にしたセリフに疑問を抱いた様子で、今度は「その割には、匂いが薄いな?」と呟いた。何を指すかは言うまでもない。


「薄くなるのも当然かもしれませんね。ここへ流れ着いてからは口にしていませんから」


 ――ぶつり、と耳の奧で何かが切れるような音を聞いた気がした。

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