第5話 三人の笑顔
「すみません。でも、心配したんですよ。イリス様、お怪我はありませんか?」
大事な主人の機嫌を損ねてしまうとは、従者失格だ。俺は話しかけながらしゃがみ込み、小さな体をぺたぺたと触る。どうやら怪我はなさそうで一安心である。
幼女はすぐに「くすぐったいよ」と笑顔になった。
「へーきだよ」
「外へ出られては危険です。さぁ、帰りましょう」
早く元の「城」へ戻る手段を探さなくては。
俺はそこで初めて周囲を見回した。玄関前は茶色い土がむき出しになっているが、その周りは小さな草が生えた緑の土地だ。
そして、乾いた風が二人の間を心地よく吹き抜けていく。もっと遠くまで見通したい。そう思い、イリスの手を取って立ち上がろうとした時だった。
「まぁまぁ、そんなに急がなくても。ゆっくりしていってください」
「え……」
穏やかな声に引き止められてどきりとする。イリスの存在に意識を奪われて、他のことにまで気が回らなかったせいだった。
「フォルト、お友だちだよ」
「友達?」
声の主は、俺が駆け付けるまでイリスと話していた相手らしい。そっと立ち上がり、相手をようやく認識する。
背丈は俺よりもやや低く、声は中性的だった。何より男女の見分けを付きかねさせていたのは、イリスと同じく頭から足先まで伸びたフード付の
かろうじて見える口元は紅く縁取られており、目が吸い寄せられた。
「あなたは……」
問いかける途中で我に返る。従者として長年仕込まれてきて、自分の身を明かさずに何かをたずねる不躾さに気が付いたのだ。
「いえ、申し遅れました。私はこちらのイリス様にお仕えしております。フォルトと申します」
二度と見失わないように幼い手を強く握りながら、にこやかに名乗り、軽く一礼する。
「これはどうもご丁寧に。私はルデリアと言います」
名前まで判別しにくい響きだ。まぁ、女性らしい名の男性や、男性らしい名の女性など幾らでもいるだろう。咎める権利は誰にもない。
ルデリアは自己紹介をして、すっと手を差し出してきた。
俺はイリスと繋いでいるのとは反対の手でそれを握る。握り返してきた手は透き通るように白く、病を連想させた。
けれど、触れてみると心地よい暖かさがあり、生を実感させる柔らかさがあった。
イリスに危害を加えた様子はないし、しばらくの間面倒を見てくれたらしい。そんな相手に失礼な真似をするわけにもいかない。
「イリス様が大変お世話になったようで、お礼申し上げます」
「お世話だなんて」
ルデリアは離した手を軽く振り、口元だけで微笑む。その笑みはどこかで見た事があるような感じがした。
「いぃえ、たまたまお会いして、ほんのすこしお話をしただけです。ここには滅多にお客様がいらっしゃることはありませんから、大変楽しい時間でした」
「イリスねー、いっぱいおしゃべりしたんだよ」
「そうですか。よかったですね」
「うん!」
元気よく頷く様子に、無事で本当によかったと胸をなで下ろす。
花が咲くような安堵感で気が抜けてしまいそうだったが、残念なことにまだ事態は収拾していない。
「あの、どうやら迷ってしまったみたいで。申し訳ありませんが、ここがどこなのか教えて頂けませんか?」
いかにも怪しげな質問だ。それでも相手は親切に説明してくれた。
ルデリアの話によると、ここはとある村の端らしい。確かに、見下ろせば木々の向こうに
「高台なんですね」
四角いそれらはまるで積み木のオモチャのようで、つまみ上げて遊べそうに見えた。
今よりもっと幼かったイリスが、積み木で生き物や家を作って遊んでいた頃を思い出し、口元が
改めて振り返れば、自分が出てきた建物もはっきりと確認出来た。
材質や色などが「城」に良く似てはいるものの、比べればずっと小さい「屋敷」がそこに建っていた。
「良い風が吹くでしょう?」
さわさわと聞こえるのは、高台に建つ屋敷と村との間にある林が立てる音で、涼しげな爽やかさを演出している。
集落をぐるりと囲む山々で生まれた風が木々を擦り抜けて葉に囁きかけ、高台を抜けていくのだろう。
「えぇ、とても」
「きもちいいね」
ルデリアの口振りから、屋敷はこの人物のもののようだ。規模も、その風貌も普通の村人とも思えない。
こちらの経緯を訊ねもせず朗らかに笑っている様は、不思議な雰囲気を醸し出す。
このひとなら、荒唐無稽な話も笑わずに耳を傾けてくれるかもしれない。そう考えた俺が思い切って「実は」と口にした時だった。
「……アさま~。ルデリアさま~っ」
赤い可憐な花を連想させる、高い声が高台に届く。呼ばれたルデリアが顔を向けた方に視線を送ると、かごを腕から下げた子どもが手を振りながら坂をのぼってくるのが見えた。
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