第4話 本物の陽光の下へ

 イリスがここに来ている。その事実は俺を打ちのめした。

 何故、こんな意味が分からない世界に?」という理由よりも、幼い主人に起こりうる危険が脳内で目まぐるしく交錯こうさくする。


 転んで怪我をしているのでは? どこかで動けなくなっていないか? それとも悪いやつに遭遇して――。


「す、すぐに探さないと」

「落ち着けよ」

「これが落ち着いてられるかっ」


 あくまで小声だが、呆れたていのルーシュをはっきりとね付けた。平生へいぜいであれば、多少姿が見えなくてもここまでは焦らない。

 城はイリスの家であり、そこに住むのは優しい家族と仕える人間達だけだ。

 脅かす者は存在しない。


 でも今は状況が違う。あらゆる恐れが脳裏で渦を巻き、精神を侵していくようで、募る苛立ちは隣に立つ主人の兄に向かった。


「お前はどうしてそんなに冷静なんだ」

「……」


 ルーシュは答えず、感情の起伏のない視線を返すばかりである。なぜそうも平然としていられるのか。


「ここがどこだかも分からないのに。イリス様が心配じゃないのかっ」

「お前さ。本当、馬鹿だな」

「っ!」


 吐き出したいことを言い切ってしまってから、ようやく俺も相手の様子がいつもと違うことに気付いた。

 うざったい程にぺらぺらと喋る彼の口数が、やけに少ないことに。


「ぎゃあぎゃあ喚くな」


 悪かったよ、とは口の中だけで呟いた。

 妹を溺愛しているルーシュが、心配していないわけがない。外見以上に歳を重ねている分、不安をき散らした自分とは違って、思考を回転させる方に意識を集中しただけだ。


「んじゃ、探しに行くか」

「動き回って大丈夫か?」


 ここが俺達の知る「城」でない限り、誰の所有物かも知れない。ルーシュは顔だけをこちらに向けて、あっけらかんと言い放った。


「もう入ったんだから、歩き回ってもどうせ一緒だろ」

「なんだよ、その理屈は」


 膨れっ面を作りながらも、置いていかれて困るのはこちらだ。悶々と悩んでいても何も解決しないし、むしろ状況は悪化する一方だろう。

 俺は付いて行くことで同意を示した。



 その建物は、「城」をもっと簡略化したような作りだった。

 見覚えのある通路に既視感を覚えた次の瞬間には、ないはずの場所で部屋に遭遇する。と思えば、次は突然階段に突き当たる。


「気味が悪いな」


 記憶に時には重なり、時には裏切る景色に呻き、足元がぐらつくような気がして軽く頭を振った。壁に手をついてもたれかかると、ひんやりとした冷たさが伝わってくる。


「ま、気分の良い物じゃあ、ないな」

「良いどころか最悪だ。……ん?」


 煉瓦れんがの壁に背中を預けていた俺は、ふいに体を反転させて耳をぴったりとくっつけてみる。


「どんなに頭を冷やしてもお前の馬鹿は治らないぞ」


 からかってくるルーシュに口の動きだけで「アホっ」と言い、指で壁の向こうをさした。何かが壁を伝って聞こえてくるのだ。この感じは外、だろうか?


「……イリス様の声?」

「ふむ、外か。盲点だな」


 別れた時の印象から、イリスは屋内にいると思い込んでいた。

 それに今、外は本当の陽光が照らす世界だ。長時間浴びては、吸血鬼である彼女の体にも良くない。

 一度は押し込めた不安が、また胸にじわりと広がり始めた。


「出口はどこだろう?」


 二人で外へと通じる扉を探すことにした。

 途中、ずっと奥へ奥へと進んできた弊害へいがいで意識を反対側へ向けてこなかったことを悔やんだが、壁伝いにしばらく歩いていると、扉が姿を現した。


 備え付けられた棚に靴がいくつか並べられているのを見ると、ここが玄関らしい。俺が「お前はここにいろよ」と言えば、ルーシュも素直に「あぁ、任せる」と頷いた。


 開けた先は快晴で、眩しさに目が眩んだ。嫌そうに顔をしかめる彼を扉の内側に残して、俺は一人で表へと踏み出した。


「俺は大丈夫だよな?」


 疑問が頭を掠める。自分は人間だが、生まれてからずっと城で生きてきて、本物の日を浴びたことがなかった。

 きっと俺の親も、その親も、何世代も前からずっとそうだったのだと思う。


 だからこそ光の違いを感じられたわけだけれど、そんな生き物が急に日光に当たっても大丈夫なのだろうか?

 眩んだ目が治まるまでの間、恐ろしい予感しか浮かんではこなかった。


 しかし、二の足を踏んでいる場合ではない。自分以上にイリスが心配だ。


「イリス様、待っていて下さい。今すぐ助けに行きますからね!」


 そう強く胸に誓い、拳を握りしめて外の世界へ駆け出すと、


「あっ」


 座り込んでいた小さな影が振り返った。頭まですっぽりと被っていた薄い布の隙間から、見慣れた銀髪がはみ出している。


「フォルト、おそいよぅ」

「へっ?」

「おにごっこはイリスのかちだよね! えへへ」


 ちらりと覗いた、兄に良く似た赤い瞳が自慢げに笑った。が、こちらには何の話だかさっぱりである。お、鬼ごっこ?


 互いの余程の温度差に呆気に取られていると、イリスはその小さなほっぺたをぷくっと膨らませた。

 まるで小さなリンゴみたいで、本人は怒っているのに可愛らしく見えてしまう。


「忘れちゃったの? イリスとおにごっこしてたでしょー」

「……そういえば」


 不思議な場所に迷い込んだことと、主人の危機に頭がいっぱいで、すっかり失念していた。

 そもそもはイリスの遊び相手をしていたはずなのに、いつの間にやらこんな事態に陥ってしまったのだ。


「むうぅ」


 忘れていたと知ると、イリスはさらに大きな赤い風船状態になってしまった。

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