第1話 禁じられた区域

 ひとまずイリスの部屋で待つことにし、ウロウロしながらじりじりとした時間を過ごしていると、主人よりも先にルフィニアがやってきた。


「それで貴方、イリス様を放って帰ってきたっていうの?」


 事情を説明すれば、予想通り呆れた様子で言い、仁王立ちする。今日は紫の髪をリボンで結い、その先を長く垂らしている。眼鏡の奥にある切れ長の瞳は明確に同僚を睨み付けてきた。


 彼女は俺と同じくイリスに仕える従者だ。

 教育係として毎日決まった時間に勉強を教え、他にもマナーや振る舞いなどを教える役目も担う。良く言えば真面目、悪く言えば容赦のない性格である。


「仕方ないだろ? 見付かったらどんなお叱りを受けるか……」


 身震いする仕草で相手の同情を誘ってみた。しかし責任感が強く、経験面においても俺の上を行くこの女性が、そんなものになびいた試しはない。


「理由にならないわ」


 ぴしりと言い放つ。今回も同じか。


「その場合は、叱責を覚悟で主を守るのが筋ってものでしょ」

「無茶言うなよ」


 ルフィニアの仕事への真摯な態度は目を見張るものがあり、後続の指針にもなっているほどの模範ぶりだ。


「叱責を受けたことがないからそんなことが言えるんだ」

「何か言った?」

「イイエ」


 彼女に見付かってしまったのが運の尽きである。ぴくぴくとこめかみが痙攣けいれんしているところを見ると、どうやらかなり「おかんむり」らしい。


「それで、どうするつもり?」

「……さぁ」


 そう答えるしかなく、渋々首を捻ると、今度こそ彼女の逆鱗に触れたようだった。


「その口を閉じて、早く探して来なさいっ! 今すぐに!!」


 城全体を揺るがしそうな大声に腰を抜かしかけながら、俺は慌てて扉へと走りこんだ。



「イリス様~、どこですかぁ」


 十数分が経っていたから、イリスが俺と別れた場所に留まっているとは考えにくい。それでもまずはここ――俺にとっては進入禁止区域のただ中――を起点に探すことにした。

 幸い誰の気配もないが、探すべき幼女の姿もないのは困りものである。


「イリス様ってばー」


 足音に気を付けながら吸血鬼塔を歩き回る。まるで怪奇小説の主人公になったような気分だ。

 当主一家は皆温厚な性質ではあるが、彼らは従者である人間の生殺与奪を握っているのだ。罰を想像するだけで足がすくむのも無理はない。


「返事して下さいよ。そろそろお昼ご飯の時間ですよ~」


 息を殺し、長い廊下や深い階段を巡るも、まだイリスは見つからない。

 もしや、どこかですれ違って部屋に戻ったのでは? ふとそう思って、再度イリスの部屋へと足を向けた時だった。


「よぉ、相変わらずマジメに仕事してるみたいだな。関心関心」


 俺はその声に振り返りそうになる自分と戦い、勝利した。

 反応すると相手を付け上がらせるだけだ。ここは何も聞かなかったことにしてスタスタと去るのが正解である。


「おいおい、無視は酷いな? っていうか俺を無視してもいいのかなぁ?」

「今は忙しいんだ。絡むなよ」


 肩に手をかけられて、仕方なくきびすを返した。

 後ろに立ってニヤニヤ笑っていたのは、俺の主人と同じ銀の髪に紅い瞳をした色白の少年……いや、正確にはもっともっと上の年齢になるはずの男だった。


 本当の年を口にすることはないけれど、俺が子どもの頃に初めて会った時からその男――ルーシュの姿は変わっていないのだから。


 とは言え、普段この城には滅多に帰ってこない。部屋の管理を側近に任せて、自身は世界中を飛び回っているらしい。今もたまたま用事があったか、気が向いたかして帰ってきたのだろう。


「元気だったか?」

「まぁ、それなりにはな」


 ルーシュは主のイリスの実の兄で、一族の次期当主候補でもある。本来なら俺も敬意を払うべき相手なのだが、過去の幾つもの因縁から、会話をするといつもこんな調子だ。


「そうかそうか。じゃ、俺の可愛い妹は元気にしてるか?」

「あ、あぁ」


 それ故に、互いのことはちょっとした変化でも悟られてしまう。この時も歯切れの悪さにすぐに気が付かれた。


「……あのな、隠したいのか知って欲しいのか、どっちかにしろよ」

「じゃあ、隠したい」

「なんだそりゃ。相変わらず面白いヤツだな」


 肩とポンポン叩き、ルーシュはくつくつと笑う。いずれにしろ、隠し通せないことは明らかだ。血を思わせるその目は小手先のわざで誤魔化せるものではない。

 俺を子どもの頃から見てきたこの男に、隠し事などするだけ無駄な抵抗なのだ。


 ただ、さっさと話してしまうのも、なけなしの自尊心が許さなかった。まるっきりガキの心理だと自分でも思う。


「まぁいいや。どうせ暇だし。ほれほれ、おにーさんに話してみー?」

らん。それに、『お兄さん』じゃなくて『おじいさん』だろ」


 この人を食った態度が、いつも俺の神経を逆撫でするのだ。本人も分かっていて改めるつもりがない。タチが悪すぎる。

 すると、彼は息がかかる距離まで一気に詰め寄り、囁いた。


「言わないと……貰うぜ?」

「っ!」


 一瞬、背筋を寒気が走った。零れそうになった声を無理矢理飲み込み、慌てて飛び退いた。「貰う」というのは考えるまでも無く血のことだ。


 今日はまだイリスに飲ませていなかった。

 見付けたら差し出さなければならないのに、彼にまでくれてやったらぶっ倒れること間違いなしだろう。


「だーっ、もう分かったよ! 話せばいいんだろ、話せば!」

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