第2話 禁忌か使命か

 全く、今日という日は本当に厄日らしい。


「そりゃ、職務怠慢と無断侵入の二重罪だな」


 ルーシュは話を聞くやいなや、大げさに腕を組んだ。予想はしていたが、改めて言葉にされると、ぐさりと胸をえぐられる。


「矛盾してないか?」


 絞り出すようにそれだけ反論すると、飄々としたルーシュを見下ろした。背だけは俺の方が少しばかり高いのだ。彼はまだ伸びるのだろうか?

 何年接していても、吸血鬼の生体は謎に包まれている。


 それにしても、放っておけば怠慢で、探しに行けば侵入と見做みなされる。じゃあどうしろというのだ。行けども帰れども地獄ではないか。

 そう思って膨れても、生憎ルーシュにその類の優しさはなかった。


「そもそも、そんなところに入らないようにしつけるのがお前の仕事だろ? 自分の落ち度を棚に上げて逆ギレされてもなぁ」

「うっ」


 ルフィニアといいルーシュといい、周囲は手厳しい者ばかりだ。

 頑張っているのだから労ってくれてもいいじゃないか。心の中でこっそり自分勝手な愚痴を零す。所詮しょせん、この職場に味方などいやしないのだ。


「じゃ、俺も一緒に行ってやるよ」

「へ? お前が?」


 呆気に取られて聞き返した、その反応が不満だったのか、ルーシュは眉間に皺を寄せる。


「なんだよ。イリスは俺の大事な妹なんだ。兄貴が面倒を見るのは当たり前だろ?」


 いつもその世話を人に押し付けている癖に。

 反論しそうになり、口元を懸命に引き絞る。しゃくに障るが、今こいつの機嫌まで損ねている余裕はこちらにはない。助けてくれるなら尚更だ。


「諸々、黙っておいてやるから来いよ」


 声をかけるうちにも歩き出したルーシュを、慌てて追いかけた。



 俺は緩やかな曲線を描く通路を見詰めた。作り物に過ぎないとしても、真昼の日差しは明り取りの窓から煌々と辺りを照らし出す。

 二人は先程イリスが駆けていった方へと足を進め、とある扉の前で立ち止まった。かなり重厚そうで、決して来訪者を歓迎するムードではない。


「入るのは久しぶりだな」


 開口一番、ルーシュが額に手をかざして言った。


「もしかして、時々黙って入ってるのか?」

「別に親の部屋だし。入ったって怒られないしな」

「親しき仲にも礼儀あり、だろ」


 今まさに勝手に入ろうとしているのだ。俺の呟きには全く説得力がない。


 目の前にあるのは兄妹の母である当主夫人の部屋であり、来る途中にはルーシュの自室もあった。が、本人がちらっと覗いて済ませてしまった。

 居ればすぐに分かる、らしい。何か仕掛けでも施されているのか。


「失礼しまぁす……」


 小声で断ってから入ると、奥方の部屋はさすがにルーシュのような怪しげな雰囲気はなかった。


 床には軽く沈むほど柔らかい絨毯が敷かれ、女性の部屋らしく化粧瓶が置かれた鏡台や洋服部屋らしいスペースも見受けられる。

 一通り確認したが、イリスの姿はどこにもなかった。


「イリス様~、どこですか~」


 部屋をそっと出て、通路の更に奥へと捜索を再開する。


 次はいよいよ当主の執務室兼プライベートスペースだ。それぞれを別にしていないのは「城の構造上不便だから」らしいが、似たような扉を抜けて納得がいった。

 両方を備えても十分な空間が広がっていたのだ。


 入ってまず目に飛び込んでくるのは、執務机とその背に並ぶ本棚である。視線を走らせれば棚は両脇にも設置されていて、辞書もあれば薄い書物もあり、整然と収められている。


「いないな」


 奥は当主の自室だろう。繋がる扉を見やって溜め息をついた。執務室に入ったのでさえ十二分に叱責ものなのに、奧の部屋にまで立ち入ることになろうとは。

 吸血鬼の五感は人間よりずっと鋭い。下手に証拠隠滅をしてもバレてしまうに違いない。自分の首は明日も繋がっているのだろうか?


「おっ、この本は新しいな」

「おい、何やってるんだよ」


 そんな緊張感が漲る俺とは逆に、呑気に棚を興味深そうに眺めるルーシュを呼びとめる。最近増えた書物を物色して、目ぼしいものがあれば持っていこうとしているらしい。


「こっちはどうやって言い訳しようかと、脳みそフル回転させてるってのに」

「考えるだけ無駄なんだから、やめとけやめとけ。ん?」


 小さく上げた声と共に、ルーシュの視線が奥へと吸い寄せられた。つられてそちらに目を向けたが、ぴたりと閉じられた扉からは何も感じ取ることが出来なかった。


「何かあるのか?」


 我が主の兄は一瞬、「分からないのか?」という表情を見せ、すぐに合点がいったように目を伏せた。


「そうだな。『人』だったな、お前は」


 何を当たり前のことを。俺はむっとしたものの、次の言葉を静かに待った。下手に口を挟んで、要らぬいさかいで時間を無駄にしたくはない。


「何かが動いた気配がする」

「イリス様か?」


 超感覚の持ち主は軽く首を振って否と示す。確かに、外に比べて窓が少ないこの部屋で物体が動けば人間でも気が付くだろう。


「少し前に動いた痕跡のようなもんだ。物理的にじゃなく、な」

「理解できるように言ってくれ」


 まるで「ここに人が居た」と鳴く犬みたいだ。けれど、これも口にはしなかった。言えば鼻で笑われて、後々まで散々ネタにされるに決まっている。


「行けば分かるだろ」


 ルーシュは持ち去ろうとしていた本を一旦棚に戻し、すたすたと奥へ向かって歩き始めた。そのまま止める間もなくノブを回し、鍵もかかっていなかったそれはあっさりと開く。


「風……?」


 空気が頬を撫でた。いや、そんなことはありえない。

 入ってきたドアはきちんと閉められており、明り取りの窓も密閉状態。たった今開かれた寝室も同様で、空気が抜ける隙間などどこにもなかった。なのに、今度はふわりと前髪がなびく。


「成程な。これか」


 いずれ部屋を受け継ぐかもしれない彼は、ベッド脇の小ぶりのテーブルの前に立って何かを覗き込む。


「これって……」


 後ろから覗き込んで、俺も言葉を途切らせた。

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