閑話3 ウラの集い・オモテの会

「労働組合か……」


 それは労働者が自分達の権利を雇用主に訴える為に立ち上げる団体。働く上で労働者に不利益なことが起こらないよう、雇用主と交渉をするための――。


「シリア先輩、何ぶつぶつ言ってるんですか? こっちにきて一緒に食べましょうよ」


 俺は、食堂の窓際の席で一人何事かを呟いている先輩に声をかけた。


 シリアが見目麗しい横顔をこちらに向けると、眉間には皺が刻まれていた。それも三本。かなり不機嫌なことが窺われる。

 そのまま立ち上がり、ヒールのかかとを鳴らして近づくと、向かいの席にどすんと座った。


 集団で起こしているどんちゃん騒ぎに負けないような大声を出す。


「ぶつぶつ、とは言ってくれるねぇ。今日こうして集まっているのは何の為だと思ってんだか?」


 緩やかなウェーブを描く茶髪をリボンで束ね、切れ長の瞳で後輩おれを睨む。その姿は見る者をはっとさせる美しさがあった。


「まぁまぁ、兄さん。こうなることは予想済みだったんだし」


 隣の席にいる双子の弟・ウィスクに宥められ、ふん、と髪を苛立たしげにかき上げる仕草も艶っぽい。それら全てが、あることを忘れさせてしまう。

 シリアがれっきとした男であるという事実をだ。


「まったく。たまには真面目に、後輩達の地位向上のために一肌脱ごうと思っていたのに。とんだ茶番に付き合わされた」

「それは、びっくりはしましたけど。実際、俺達が集団になって訴えたところで、何か変えられるとは思えませんし」


 シリアが急に「労働組合を作って直談判だ。従者の地位向上を!」などと言い出したのは数日前のことである。

 無論、人間達は驚いた。生まれた時から吸血鬼に仕える運命は、何世代にも亘る歴史そのものなのだ。


 主人は強大にして絶対。逆らうことなど以ての外。

 その運命への反抗の狼煙が、当主の忠実なる秘書から上げられたのだから、びっくりしない方がおかしい。


「というより、皆様お優しい方ばかりで、別段目立った不満を言う人もいないと思いますよ?」


 俺はいぶかしげな声を上げる。少なくとも自分達が仕える主人一家は、気まぐれな吸血鬼の中でも従者の境遇に理解があった。


「確かに、無理難題をいたり、死傷者を出すほど荒れたりする主の話は珍しくありませんからね」


 弟の方がため息交じりに吐き出すと、兄も気を取り直し、「それはそうだけど」と答える。


「わ、私も旦那様は素晴らしい方だと思いますっ」


 実は先ほどからずっと俺の横に座っていたサスファが、手に持ったジュースのカップを握り締めて言った。


「見習いがきちんと一人前に仕事が出来るように配慮して下さっていますし。余所では容赦がないって聞いたので、その……」


 最後の方は消え入ってしまったが、皆彼女の言いたいことは分かった。

 ここは新入りの教育体制や人事がとてもきっちり整っている。仕事が違えば労働時間も違って当たり前の現場で、従者同士が助け合う体制が整っているのは、主人の振る舞いのうまさがあるからといえた。


「ま、次はどうなるか分からないですけど?」


 言って、俺は頬杖をつく。ずっと良い体制が続いてきてはいるが、次期当主はあのルーシュなのだ。

 常にあちこち飛び回って塔になかなか戻ってこないあの男には、普段居ない分だけ、色々と怪しげな噂も多い。


「居ないなら居ないで妙なことしてるみたいだし、帰ってきたらきたでこっちの仕事の邪魔ばかりするんですから」

「フォルトは気に入られてるもんな」

「やめてくださいよ」

「ルーシュ様は分別のある方ですよ」


 うっと言葉に詰まったのは、目の前にいるウィスクがルーシュの秘書だからだ。うっかり罵詈雑言を吐き出しそうになっていた俺は、慌ててそれらを飲み込んだ。


「ふ、分別があったら、あんな大人気おとなげないことはしませんよ」


 代わりにせめてもの抵抗を試みるも、何事にも動じない笑顔の前に玉砕。他の面々も思い思いの表情だった。


「それにしても、ルフィニアは来なかったんだ?」

「あ~、誰かがイリス様を見ていないといけないですし。それに『そういうことには興味ない。私は与えられた仕事を日々こなすだけ』だそうです」


 シリアが「らし過ぎ」と言い、ウィスクが「正論ですね」と返す。

 今頃、幼女と向き合って真剣に勉強を教えているだろう教育係の姿が目に浮かんだ。双子もお互いに苦笑し合った。


「それくらい分かってるっての。こうなるだろうってこともね」


 こう、とはどんちゃん騒ぎのことだ。酒こそ入っていないが、様相は完全に飲み会で、しかも段々とヒートアップしてきている。


「じゃあ、どうしてあんなこと言い出したんです?」


 俺は首を傾げた。彼女が本気で事を構えようとしていないのなら、何故わざわざ集まる場を設けたのか。


「こうでもしないと、みんな集まらないっしょ? 『労働組合』の目的からは外れるかもしれないけど、メンバー募って情報交換したり慰労会したり。そんなことが出来たらって思ってさ」


 良いことを言ったと満足げな空気に水を射すように、サスファがおずおずと、だが容赦のないツッコミを入れた。


「それって、組合じゃなくて部会なんじゃあ……」


 一瞬にして全てが凍りつき、話を聞いていなかった周囲の者達までもが示し合わせたかのように押し黙る。

 沈黙が沈黙を呼び、数秒もしない間に食堂は海の底状態になってしまった。


「あ、あの」


 本人も口にしてしまってからようやく気が付き、極度の恐怖と緊張で青ざめている。さながら冬山の遭難者だ。よもや、そのまま氷河期突入かと思われた瞬間。


「あ、フォルトみぃつけた!」


 明るく高い声に氷の塊が一気に瓦解した。それは先程話題に上ったばかりの幼女のものだった。

 羽織ったマントの下から伸びる白い腕を元気に振って合図している。


「イリス様、どうしてこちらへ?」


 びっくりした声のまま、俺は主の元へ歩み寄った。イリスは探していた相手を見つけたことで満足なのか、ニコニコ顔でぎゅっと抱きついてくる。


「これでお開き、ですよね?」

「やっぱりルフィニアか」


 眼鏡の奥で笑う教育係にシリアが言う。けれどその声に責める色は含まれておらず、予想の範疇のようだった。


「それで組合、でしたっけ? 本気で作られるおつもりですか?」


 兄と同じ顔の弟が二人のやり取りをじっと見守っている。他の従者達も、お喋りも飲み食いも忘れてこちらに注目していた。当主の秘書がふっとわらう。


「従者部会・第一回協議会なら、今しがた役割分担が終わったところ。ちなみに会長は俺で、副会長はウィスク」

「え、聞いてないよ」

「それから司会進行はフォルトで書記はルフィニアな」

「ええっ、司会進行!?」


 狼狽える周囲を放置してシリアがニヤリと笑ってみせると、ルフィニアも一瞬目を見開き、閉じた。

 再び開けば、余裕ある態度へと戻っている。片手を上げ、眼鏡の縁を掴んで直すときびすを返した。


「それでは、今日のうちにフォルトを尋問して会議録をまとめますね」

「よろしくー」

「ちょっ、尋問て」

「フォルト、いこー」


 さっさと移動しようとするルフィニアの背を見遣り、未だ混乱する俺の手をイリスが強く握って連れていこうと引っ張る。

 満足げなシリアがひらひらと手を振り、ウィスクも「行ってらっしゃい」と声をかけてきた。


「あぁ、フォルトー。次の幹事よろしくー」

「司会進行役に会の根回しまでさせるって、本業よりブラックじゃないですか!」


 食堂の俺の嘆きが響き渡る。こうして、前代未聞の会が発足したのだった。


《終?》


◇部会と言いながら、結局はただのお喋り会になっているのは仕様です。

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