閑話1 琥珀の時は動き出す
「あのなぁ」
不機嫌な俺の目の前には、赤色の細長い瓶とグラスを持ったルーシュの不適な笑み。
「なんだよ」
「いい加減、俺の部屋で酒を飲むのはやめろっ!」
従者には飲酒禁止などといったお堅い決まり事は存在しない。ただ、暗黙の了解で大人になるまでは飲まないことになっている。
それは、従者としての自覚を促す為だけではなく、血を汚さない為でもある。
俺も多分に漏れず、
「いいだろ、他じゃゆっくり飲めないんだよ」
「なんでだよ、意味が分からん」
そんな自分が晴れて成人してから、こうして酒瓶を片手に夜中に部屋を訪れるようになったのが、主人であるイリスの兄・ルーシュだった。
こいつは昔からこうなのだ。
俺が小さな時からちょっかいばかりかけてきて、まるでオモチャ扱いだ。人間の子どもなんて、城には他に何人もいただろうに、何故かイジられてきた。
金髪で目立ったからだろうか?
まぁ、だからこそイリスの世話係に推薦されたという経緯もあるのだが、喜ぶべきかは微妙だ。
しかし、さすがは吸血鬼と褒めるべきか。金持ちかつ長生きだけあって、庶民が嗜むような安物から、一本で一生遊んで暮らせそうな値段の一品まで、それこそ古今東西の様々な酒を知り、所持している。
そして「面白いもの」を見付けては、俺に酒と酒の相手を押し付けに来るのだ。何度断っても全く解する素振りがなく、非常に困っているところである。
「ウィスク先輩のところは?」
すでに二つ並んだグラスは赤い液体で満たされている。夜中ゆえに簡素な室内は薄暗く、窓から入る細い月明かりだけを頼りに水面を眺めると、まるで――血のようだ。
あぁ、気分が悪い。目の前のコイツの顔に、盛大にぶちまけたい衝動に駆られる。
そんなことをこちらが考えていると知ってか知らずか、ルーシュは俺の椅子を占領したまま一口飲み下して「あぁ美味い」と呟いた。
「そりゃあ、ウィスクともたまには飲むけど、お前を
くつくつと笑う。銀の髪と紅い瞳が輝きを増している気がして、本能的に寒気を感じた。
「俺はツマミじゃない。というか、答えになってない」
心の中でまたも呟き、ベッドに腰掛けた格好で半ばヤケ気味に渡されたそれを煽る。するりとのどを抜けて一瞬は胸を熱くするも、すぐに消えてしまった。
「そういう飲み方をする酒じゃないんだぜ?」
「はん、知ったことか」
色と香りからして、彼の言う通り上等な酒なのだろう。改めて注がれた液体は、ただ酔うためでなく、匂いを楽しみ、舌触りと味を楽しめる
決して素直に従ってはやらないが。
「ま、好きにすればいいさ」
製造者や愛好家からは
そうやって眺めてくるからこそ、俺がひたすらグビグビ
「んで? ホントになんで俺のところに来るワケ?」
何杯目かを胃に流し込み、顔が赤らんでくるのを自覚する頃、グラスを置いた俺が言った。
弱くはないつもりでも、つまみも無しでは結構きつい。明日の朝は辛いかもと薄々覚悟し始めていた。
「面白いから」
「それはさっき聞いた。一体何が面白いってんだよ」
駄目だ、体は重いし舌も回らなくなってきた。あとどれくらいもつだろう?
ルーシュの酒の強さは良く知っている。吸血鬼特有の白い肌には未だ朱が射した気配がない。人間とは体の作りと年季が違うのだろう。
「無駄に一生懸命なところ?」
「皮肉を言いに来たなら、出口はそこだ」
彼が「冗談」と笑い、こちらも聞き流す。しばらくは酒を注ぐ音も聞こえなくなり、狭い部屋が静寂に包まれた。
「……時間がさ」
「あ?」
「時間が、消えていくんだよ」
いきなり何を言うのか。俺は突然喋り始めた飲み相手の顔色を
「今度は哲学か? そんな話じゃ腹も胸も膨れないっての」
毎日、年端もいかぬ幼女の世話をするのは生半可ではない。日々を生きるのに精一杯で、余計なことを考えている暇もない。
いや、あえて考えないようにしている。この仕事をする上では大事な心構えだ。
「何百年も生きているとさ。たまに、時計の針の動きを見ても実感出来ない瞬間がある。すると、どこまでも同じことの繰り返しに思えてくる。ループだな」
好きに喋らせておくことにした。口調にはいつものようなからかいの色は混じっていない。ただ、珍しく心の内を吐き出したいだけなのだろう。
「そんな瞬間、お前にはないだろ?」
ほんのりと光る紅い瞳でこちらを見遣り、どこからか出してきた二本目の口を差し出す。睨み返してグラスを傾けると、今度は琥珀色の液体が注がれた。
「勝手に決め付けるなよ」
生まれた瞬間から永遠に続く、吸血者の従者としての生活。かごの鳥のような囚われの日々の連続は、時に気が狂いそうになる。
俺が正気を保っていられるのは、一日一日と成長していくイリスがいるからかもしれない。
「俺はお前みたいに暇人じゃないから、
「そりゃ、そうだ」
「だから決め付けるな」
「どっちなんだよ」
何しに来たのか、なんとなく解ってきた。向き合っていると、お互いの差に嫌でも目が向く。それは、いつもなら意識の外へ流してしまう、住む世界のズレと重ねてきた年月の隔たり。
きっと、彼にとってその差をくっきりと感じる相手が俺なのだろう。全く、大いに迷惑だ。
「お前は、死ぬなよ」
ルーシュは呟き、ゆるゆると楽しんでいたグラスの残りを一気に飲み干す。
「は? 何無茶なこと言ってるんだ。さぁ、酔っ払いは帰った帰った」
手でひらひらと追っ払う仕草をして、こちらもグラスを空にする。
瓶にはまだ酒が残っている。深夜の飲み会は始まったばかりだ。
《終》
◇本編とは違った雰囲気で。
シリアスを書こうと思ってもコメディにしかならない辺りが、この二人らしいところです。
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