第1.5部 幼女に仕える教育係編

第1話 良くある?朝のひと時

 ◇「幼女に仕える従者編」のルフィニア視点版です。


「今日はどれにしようかな……」


 クローゼットを開けると、鏡の付いた内扉に下がる数本のリボンが並んで揺れる。赤・青・黄、紫にピンクや茶と色とりどりのそれを前にして、どれで髪を結おうかと指を彷徨さまよわせた。


 服もメイクも決まっていながら、未だに髪だけは肩下までだらりと垂れて広がっている。出勤時間が迫っていることだし、一刻も早くまとめてしまいたい。


「あぁ、もう面倒ね!」


 毎朝のことだ。迷うのにもいい加減飽きた私は、これまたいつものように目をつむってリボンを適当に掴んだ。忙しいのに、気分が定まるまで呑気に待ってなどいられない。


「……青か」


 濃いブルーを見て、二日前にも使った記憶が過ぎる。手抜きだと思われるかもしれないが、幸いなことに後輩も主人もそんなことをとがめたりはしない。

 髪に急いでリボンを絡めて、そそくさと自室を後にした。


『明日は早く来てね』


 脳裏に幼い主――イリスの姿が浮かぶ。昨晩、そうフォルトに頼んでいたのを傍らで見た。後輩は仕事熱心ではあるが、どこか抜けたところがあるから心配だ。


「まさかとは思うけど、ねぇ」

 予測できる嘆かわしい状況を防ぐため、ヒールのかかとを鳴らして螺旋らせん階段を駆け下りた。



 食堂フロアへ着いてみると、ふっと暖かい空気に包まれる。朝一番に働く同僚が暖炉に火を入れてくれたのだろう。とても助かる。


 次いでざわざわとした声も聞こえてきた。従者は男女問わず黒い制服を身に付けるため、離れたところから見ればまさに動く黒山だ。

 その黒の中で目立つ金髪を見付けた時、私は盛大に溜め息を付いた。


「……やっぱり」


 全く困ったものだ。当主の娘であるイリス嬢の世話係という重要な仕事を任されながら、本人には自覚が抜けているらしい。


 それを証拠に、指摘した時の顔には馬鹿正直にも「本気で忘れていました」と書いてあった。朝食の機会を捨てて駆け出す背中を見送りながら、思わずもう一度溜め息がこぼれた。


「さてと、用事も終わったし」


 窓に切り取られた空は鉛色の雲に覆われ、ちらほらと雪の舞っているのが見えた。今朝一番の用事を終え、景色をぼんやり眺めていると、視界に影が射す。


「おはようございますっ。ルフィニア先輩!」

「あぁ、おはよう」


 元気に挨拶してきたのは、城勤めを始めて間もない従者見習いの少女・サスファだった。ピンクの髪を揺らし、あどけなさを残した笑顔を向けてくる様子は、なんとも人懐こい。


 多少ドジっぽいところや、他者に対して一歩引いてしまうところは気になるものの、基本的に人と接することに苦労しないタイプだ。

 周囲を和ませる笑顔に加えて、表情がコロコロ変わるところも好印象を与える。


「お食事、まだでしたら、ご一緒しても良いですか?」

「そうね。いいわよ」


 自分とは正反対の魅力を持つサスファの微笑みに、先程までの疲れが薄れて口元が緩むのを感じた。


 急ぎの仕事がないといっても、従者は起きてから寝るまでが「労働時間」である。朝食をパンと紅茶のみで済ませることに、二人の意見が落ち着く。


「バター取ってくれる?」

「あ、はい。どうぞ」

「ありがとう」


 他の従者が余分に焼いておいてくれたコッペパンにバターを塗ってから窯に入れ、軽く焼け目が付くのを待つ。


 その間に、先のフォルトの一件を愚痴り、聞き上手のサスファがくすくすと笑った。

 お喋りに興じる時間のない私達にとっては、そんなちょっとしたひと時が気を抜ける瞬間だ。


 パンが焼け、紅茶を淹れたら隅の席に向かい合って座る。紅茶に私はレモンを絞り、サスファはミルクと砂糖を入れて一口そっと含む。

 暖かさがのどを通って体に染みてくるのを待って、何気なくまた外を見やった。雪が止む気配はない。


「よく降りますね」


 軽い世間話のような言葉とは裏腹に、息をゆっくり吐き出すような、実感がこもった響きだった。思ったまま口から零れただけで、誰かに聞かせる気持ちは薄かったのかも知れない。


「そうね。結構、積もるのじゃないかしら」


 案の定、返答されてはっとしたのを、私は目撃する。


「もしかして雪が好きなの?」

「……実は」


 ふふっと笑い、すぐに「恥ずかしがる事ないじゃない」と付け加えた。ほんの少し顔を赤らめて、肩をすぼめながら紅茶をすする姿が可愛らしい。


「だって、雪を見てはしゃぐなんて、子どもっぽいじゃないですか」


 へぇ、意外。そういうことを気にするようなタイプには見えなかった。彼女は何でも話せてしまう雰囲気の持ち主で、安心感を与える人間だ。

 それは、失いきっていない幼さがあるからだと思っていた。


「別に気にしないけど。可愛いし」

「やっぱり子どもっぽいんじゃないですかぁ」

「そういう意味とは違うわよ」


 私は細いフレームの眼鏡を外し、紅茶の湯気で出来た曇りをハンカチで拭いた。そこからの数分間は食べることに専念し、キリのいいところまで来ると、今度はこちらから沈黙を破る。


「それにしても早いのね」


 私の役目である教育係の仕事は、勉強やマナー、モラルを教えること以外に、も、教材の整理やこれからの予定立てなど、雑多な内容も多い。

 見習いはそんな正式な従者以上に諸々の雑事をやらされるから、考えてみれば当たり前すぎることを言ってしまったか。


 しかし、この言葉には予想以上の効果があった。

 サスファが弾かれたように激しく立ち上がったのである。がたごとと椅子が大きな音を立てた。

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