第8話 炎と結末

 器の中身は暖房用に保存されている油。そして、もう片方の手には蝋燭ろうそくのてっぺんで揺れる小さな火。

 何をしようとしているかは明らかだった。


「見てろよ。これからこの馬鹿げたデカブツを消し去ってやるからな!」

「ま、待ちなさいってば!」


 いよいよ高笑いでもし始めそうな咆哮が周囲に響き渡る。

 ルフィニアがなんとか止めようと顔を覗き込んできた。俺の目はきっと炎に魅入られて完全にイっていただろう。



 ――どすん。音は鈍かった。

 それは、日常においてまず耳にすることのない音で、重たいものが起こす衣擦れのような響きだった。


 音とほぼ同時に「重み」が地面に崩れ落ちる。糸の切れたサンドバッグよろしく、力なく地面に叩き付けられていくそれをシリアがしっかりと受け止め、力強く親指を立てた。


「よしっ」

「『よしっ』じゃな~~~い! なななななな、何するんですか!」


 落ちかけた油と蝋燭とを寸でのところで掴み、満面の笑みを湛える先輩。その腕の中で、ぐったりと横たわる俺を目にしたルフィニアが絶叫した。


 俺が腹部に受けたのは、先程ルフィニアが喰らったものの何倍もの威力の「気合い」だったのだろう。

 呼吸は浅くしか出来ず、顔から血の気が引いていくのを感じる。肢体が垂れ、全身が小型犬の如く震えて痛みを訴えてきた。


「大丈夫、フォルトは頑丈だから。それにさっき昼ご飯食べたばっかりだし」

「拳を腹に入れて、何を言いますかっ!」

「止めなきゃ火事になってただろうが」


 シリアが笑顔で言い放つも、ルフィニアに一蹴される。噛み付く後輩が気に入らないらしく、俺を見下ろしながら口を尖らせながらぼやいた。


「だいたい、我慢が足りないっつの。まぁ、それは置いといて」

「置いとかないでください」

「で、どうしようか?」


 反論を完全に無視し、シリアは気を取り直して先輩らしい面もちを作った。

 ……限界だ。

 その辺りで断続的だった俺の意識は完全に切れて、深い闇の底へと落ちていった。


 ◇◇◇


「んあ?」


 冷たく柔らかい感触を頬に覚えて目を開けると、そこは絨毯じゅうたんの上だった。淡いグリーンの色合いの落ち着いた世界が、視界の奥へと延びている。


「……とぉ、ねぇ、フォルトってばぁ」


 今度は反対側の頬をつんつんとつつかれる感触があり、妙に重い体を動かしてごろりと向きを変えると、そこにはイリスの顔があった。しかも、極端に近くに。


「うわっ、イリス様!?」


 しゃがみ込んで覗き込んでくる彼女の、紅く大きな瞳と出会って、慌てて飛び起きる。見回してみると、そこは彼女の部屋であった。


「お、俺っ……うぐ」


 記憶が戻ってくるのに伴い、腹部に受けた鈍い痛みが蘇る。そういえば危うく火事を起こしそうになったところを、シリアによって止められたのだったか。

 乱暴な手段ではあったが、止めてくれなければ大火災が起きるところだった。感謝すべきなのだろう、多分。


「フォルト、だいじょうぶー?」


 余り心配顔に見えないのは、幼さからか、俺の頑丈さを信じてか。それでも意識を失って倒れていたのを、放って置かずにいてくれたのは嬉しい。

 ……床に転がされていた現実は悲哀に満ちているけれど。


「あ、はい。ありがとうございます」


 座り込み、銀色に輝く頭を優しく撫でてやれば、イリスもようやく笑顔を零す。


「そういえば、あの雪だるまは……?」


 部屋は昼前の時の状態に戻っていた。つまり、この部屋にあったはずのあの馬鹿げた雪の塊が消えていたのだ。まさか、夢や幻だったわけはあるまい。


「んーとぉ、フォルトが倒れちゃった後に、クシルの家の人が来てね~。『ばーん!』てしちゃったの」

「成程。分かりました」


 イリスのたどたどしい説明を途中まで聞いて全てを理解する。要するにクシルの世話係がここへ来たのだ。あの坊主には「凄い教育係」が付けられているのである。


 俺などとは比較にならない猛将……もとい勇猛な世話係なら、主人のどんな悪戯にも屈するはずがない。事件に片が付いているのも頷ける話だった。


「他の皆はどうしたんですか?」

「クシルたちは帰ったよー。ルフィニアとシリアもごようじだって」


 大きな窓にかけられたカーテンの隙間からは、もう夕日の色が漏れ出している。どうしても血を連想してしまうので、俺はこの時間帯が好きではない。


「さてと」


 痛みをだまし騙し、服の埃を軽く払って、これからのことを考えた。

 かなりの時間、気絶していたらしく、これ以上主人の部屋に無駄に留まっているわけにはいかないだろう。


「イリス様、お腹空いていませんか?」

「うん。すいた~」


 幼女はローブに隠れたお腹をさすってから、こちらを見上げて言った。吸血鬼である彼女の食事は基本的に一日二回だ。

 食事と言っても血ばかり飲んでいるのではなく、専属の料理人が居て、普通の食物も口にする。今日の夕食は何だろうか?


「フォルトはみんなでご飯食べてるんだよね?」

「いつもじゃないですけど、そういうこともありますね」


 俺は仕事内容の特殊性ゆえに他の従者とは行動時間がずれやすい。今日はたまたまシリアやウィスクと同席したが、一人きりのことも少なくない。

 そんな煩雑な光景を思い浮かべながら答えた。


「今日はフォルトと一緒にごはん食べたい」

「一緒に、ですか?」

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