第7話 困ったお客人

「フォルト!」


 一抹の不安を抱えて廊下を疾走していると、後ろからやってきたシリアに呼ばれた。どうやら俺を追ってきたらしい。昼時の人で溢れた時間帯に、高いヒールの靴で良くこれだけ走れるものだ。


「先輩、どうしたんですか?」


 僅かに速度を落としながら訊ねる。まだ彼女には午後の仕事まで余裕があったはずだ。ざわざわと騒がしい廊下でも聞き取れるように、やや大きな声が返ってきた。


「ミルラ様達のことだ、きっとイリス様のところにも寄るはず。それで急いでるんだろう?」

「イリス様の世話係ですからね」

「こっちも同じ。もてなさないと、旦那様に叱られる」


 あの二人の相手をウィスクのみに押し付けては可哀想だ。特に弟クシルのやんちゃ坊主の接待を一人でやれと言われた日には、俺なら逃げ出したい衝動に駆られるだろう。


 人をき分けながら進むと、階段が見えてきた。そこからは厳かに静まり返る、吸血鬼一族の居住空間である。靴音に気を配りながらも一気に駆け上がった。


「居るっぽいね」

「みたいですね」


 扉の向こうでは幾人かの声がしている。ビンゴだ。俺達はささやきあい、溜息をつきあった。目配せし、シリアが頷いたのを確認してから、控えめにノックしようとした瞬間である。


「助けてぇっっ!!」

「え?」


 表現できないほどの衝撃と共に、息が詰まって意識が飛びかけた。僅かの間、体を浮遊感が襲い、そのまま後ろへ叩き付けられる。


「な、何が……」


 なんとか頭を振って意識を手元に呼び戻すと、ルフィニアの情けない顔が目に飛び込んできた。


 どうやら先程の素っ頓狂とんきょうな叫び声は彼女のもので、衝撃は開いた扉に俺が弾き飛ばされたことによるもののようだ。

 危うく、ひっくり返って命がけの階段落ちを演じてしまうところだった。後ろを振り返り、ずらりと並んだ螺旋らせん状の石段に背筋が寒くなる。


「ふぅ、危ないな。……痛て」

「フォルト!? ごめんなさい。私、気が動転してて。あっ、シリア先輩もご一緒だったんですね。すみません、あの」


 常に冷静なルフィニアにしては珍しく、顔を赤くしたり青くしたりと忙しない。あまりの慌てぶりに、シリアがポンと肩に手を置き、「ちょっと落ち着こう」と優しく諭した。

 それで彼女もようやく己を取り戻したのか、二三度深呼吸してパニック状態を抜け出そうと試みるくらいには、日頃の自分を思い出してくれた。


「で、何があったのかな?」

「すみません。イリス様に勉強をお教えしていたら、ミルラ様とクシル様がいらっしゃって。そうしたら……あぁっ、どうしたら――はぅっ」


 語尾の吐息は、「気合い」を入れたシリアの功績である。いささか威力が強すぎたように見えたが大丈夫だろうか。


「で、何?」

「え、あ、はいっ。とにかく中を見て下さい」


 心の準備が定まる前に開かれた扉の向こうは、外の静けさとは無縁の世界と化していた。否、実際は、「向こう」などありはしなかった。白一色だったからだ。

 最初、目の前で何が起こったのかを理解できなかった。部屋でも間違えたか? そう思って怖々触れてみると、ひやりと冷たかった。


『は?』


 驚いて更に触ってみる。やはり冷たい。そして指が濡れる。


「……これ、雪か?」


 そう、雪だ。雪が、部屋をくま無く埋め尽くしているのだ。


「フォルトぉ~!」


 なんだこりゃあと雄叫おたけぶ直前、白壁の向こうから聞こえたのはイリスの声だった。吸血鬼の優れた五感で、雪を挟んでもこちらの動きが分かったのだろう。

 それにしても、やけに上機嫌なのが気にかかる。


「い、イリス様! 今、そっちに行きますから。大人しくしてて下さいっ」

「雪だるま、おっきいでしょ~? クシルがくれたの~」

「ゆ、雪だるま……!?」


 無邪気な主人は、顔は見えずとも喜色満面であることが判った。いわれてみれば心なしか雪の層の間がくぼんでいるのも見える。頭には赤いバケツでも乗っているのかも知れない。


 混乱気味な思考の中で更に理解したのは、壁と思われた物体が雪だるまであることと、全てがクシルの仕業らしいということだ。

 そして、分かった途端に、猛烈に腹が立ってきた。


「何でこんなことになってんだ!? オイ、クシル! このふざけた代物しろものを早く片付けろ!」


 俺は初対面からあの悪ガキが大嫌いだった。毎回、イリスを巻き込んで突拍子もないことをしでかし、周りに迷惑をかけまくるクセに悪びれもしない。

 おまけにルーシュを尊敬しているとくれば、なりふり構わず怒鳴るのには十分である。すると、その憎き相手の声がくぐもって届いた。


「うるさいなぁ。イリスが喜んでるんだから、良いだろー?」


 相手もこちらをただの人間だと舐めているから、決して焦ったりしない。相変わらずの口調で、「放っとけよ」などとのたまうのだ。


「お前には関係ないっつのー」


 何が「関係ない」だ。ここは俺の大事な職場だぞ!

 脳裏でぷつりと何かが切れる音がした。


「待ってろよ……」


 先程までの勢いを捨て、静かな怒りを秘めて部屋を出た。ある種の凄味を感じ取ったのか、誰も声をかけては来ない。そのまま階段を、塔の地下まで降りていく。

 地下は、ところどころ蝋燭ろうそくあかりだけが頼りなく照らす、湿った空気がたまった場所である。


 一番下にある物置の重い扉を開くと、埃っぽい空気が立ち込める真っ暗なスペースが現れる。手探りに「あるもの」を掴み、再び階段を駆け上がった。

 その際、途中にある蝋燭を借りるのも忘れない。


「一体、どうし……っ」


 わけを訊ね終わるその前に、ルフィニアは俺の意図に気が付き、声を途切らせた。


「ちょ、ちょっと。まさか!」


 彼女の声が上擦るのも無理はない。俺が手に持っている白いポットの形をした陶器は、従者なら見ればすぐに解るものだった。

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