第6話 新たな嵐の予兆

 食堂のテーブル群の一つに座り、ウィスクが鍋掴みで湯気の立つグラタン皿を置き終えたところで、ようやくの食事となった。

 もう空腹も限界だ。これ以上我慢したら気絶する。


『さ、どうぞ』

「い、いただきます」


 傍目にも腹の空き具合が分かったのだろう。双子の声が綺麗にユニゾンした。頬が紅潮するのを無理矢理、意識の外に追い出す。向かいに座る先輩二人に挨拶をして、アツアツのパンを手に取った。


「どう?」


 薄っぺらいけれど、適度に焦げて艶も良い。かぶりつくと香ばしさが口いっぱいに広がり、鼻をすぅっと抜けていった。美味い。


「んまいです」


 耳の後ろへ髪を払いながら笑いかけてくる兄のシリアは、時には正体を知る者にさえ色気を感じさせるが、食い気の勝る今の俺には全く効果がない。


「そんなに急いだら、ノドを詰まらせますよ」


 根っからの世話焼きである弟のウィスクが、手でスープのカップを示して「飲め」と合図してくる。慌ててあおったせいで逆にのどを痛める羽目になったものの、予想通りスープの味も悪くない。


「すいません。今朝から何も食べて無くて」

「育児なんて忙しい仕事の代名詞みたいなものだろうからねぇ」

「いやいや、お二人よりはずっと楽させて貰ってますよ」


 聞き様によっては嫌味に聞こえそうな謙遜けんそんに、シリアがくすくす笑いながらパンをちぎって口に放り込んだ。


「そんな凄くもないって。旦那様はお優しいし」


 従者達の中で、彼等はベテラン勢にあたる。シリアは当主の秘書を、ウィスクは先も言ったようにルーシュの側近を勤めている。

 どちらも容易な役職ではないが、二人はそんな苦労をおくびにも出さず笑顔を浮かべた。


「ルーシュ様も、気を遣って下さる方ですし」


 旦那様はともかく、あの俺様至上主義者が気を遣う? 思わず吹き出しかけ、俺は再びスープをぐっと飲み下す。

 人心地着いてからパチン、とスケジュール帳の留め金を外し、スプーン片手にこれからの予定に目を走らせた。とりあえず急ぎの仕事はないようだった。



 時間が流れ、まばらだった人気ひとけが少しずつ増えてくる。自分達が食べている間に、他の従者が食事をする頃合いに差し掛かったらしい。

 その時、突如として入口あたりでどよめきが起こった。


「なんでしょうね?」


 食後の紅茶を飲んで一息付いていた俺達三人は、その騒ぎを耳にして注意を向ける――までもなかった。向こうから声をかけられたからである。


「おぅ、ウィスク。ここに居たのか」


 がたがたっ! 音をさせて立ち上がったのは、名を呼ばれたウィスクだけではない。反射的に俺とシリアを含む何人かの従者が起立した。

 もっとも、俺が立ったのは他の者とは多少違った理由だが。


 声の主はゆっくりとした足取りで近付いてくる。その紫のマントと不適な笑みはここでは非常に、いや異常に目立つものだった。


「こんなところへいらっしゃるとは……。どうなさったのですか、ルーシュ様?」


 ルーシュが行く先は人が割れ、道が出来ている。吸血鬼一族がこの従者塔へ立ち入ることなど普段はほとんどないのだ。従者達はざわめきから一転、水を打ったように静まり返って事態を見守っていた。


「久しぶりだな、シリア。相変わらずお前らはソックリだな。親父はどうだ? そろそろひっくり返りそうだろ」

「……いえ。ルーシュ様もお元気そうでなによりです」


 ルーシュの単なる軽口に過ぎないのだが、返す言葉を持つ者はこの場にはいない。問われたシリアでさえ、なんとか笑顔を返すので精一杯の様子である。

 ルーシュはその反応が気に入らなかったのか、「面白くない」とこぼし、わざとらしく俺を見て言った。


「逃げ足が早いな」


 ぐっと言葉に詰まる。言われるまでもなく、朝の一件についての発言だろう。それを分かっているから、こちらも青筋が浮かぶのを隠さず、わざとらしく笑顔をのせて言い返す。


「お食事は済まれましたか?」


 実は、俺達の仲の悪さは城内でも有名だったりする。それでも、他者の目がある前であからさまに逆らうような真似はしない。

 あくまでお互いにあるのは主従関係だからだ。


「まぁな。あ~あ、たまにはゲテモノでもと思ったのに」

「やめておいた方が賢明というものです」


 澄まして返答したところで、ルーシュは別の用事を思い出したらしく、ウィスクに向き直った。


「そうそう、ミルラ達がさっき来たんだ。もてなしてやってくれ」

「はい。すぐに参ります」


 命じられたウィスクは後片付けを兄に任せ、弾かれたように飛び出していった。本当に仕事熱心というか、苦労の多い人だ。いつ寝ているのかさえ怪しい。


 ちなみに、話題に上がったミルラは、ルーシュ兄妹にとって従姉妹いとこにあたる女性である。ルーシュより少し年下で、吸血鬼には珍しい清楚系の美人だ。

 ……が、ここで大事なのはそこではなく、セリフの言葉尻にあった。


「ミルラ様……達って」

「あぁ。勿論、あいつも来てるぜ?」


 俺の心中を察したルーシュはむしろ楽しげに教えてくる。直感で頭は痛むし、とても腹立たしいけれど、取り合っている場合ではない。

 あいつとは、ミルラが連れてきているはずの弟・クシルのことなのだ。


 クシルは主であるイリスよりも一つ年上の、見た目だけなら可愛らしい少年だ。そう、見た目だけだ。今後を思うと、考えれば考えるほど頭が重くなる。

 早くイリスの元へ戻った方がいいと直感的に判断し、俺も慌てて片付けを終え、走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る