第5話 辿り着いたオアシス

「さてと」


 自分の住居がある従者塔へ戻ってみると、同僚達は仕事時間中とあって、食堂にはほとんど人気ひとけがなかった。


 入口を入って右奥の広いフロアを見回して、ようやくぽつんぽつんと人が席に座っているのを発見する。

 覚えず安堵した。いくら静けさに慣れていても、さすがに一人きりは気持ちのいいものではないからだ。


「……」


 決められた昼休憩の刻限までは、あと数十分といったところか。そうなればここも人で溢れかえるだろう。


 従者は基本的には皆自炊である。少なくない料理好きの者達が、料理番を自称して大量にスープを作ったりしてくれるものの、特に他者と生活サイクルがずれる俺は自分で作る機会も多い。


「どれどれ?」


 フロアの更に奥にある、これまたかなり大きなキッチンに入ってみた。料理台に食器棚、フライパンや鍋などが所狭しと並んでいる。

 俺は入口にかけられた白いエプロンを首からかけて腰の紐をきゅっと結び、食料庫の扉を開いた。


「外と変わらないな、これだと」


 すわっと漏れ出る冷気に身震いし、吐き出す溜め息がまたも白く煙る。

 食料庫は様々な食材が詰め込まれた場所だ。食材を端からチェックしにかかれば、贅沢品はなくとも、肉に魚に野菜にと、一通りのものが揃っている。


「さっと作れて、なおかつ腹が膨れるものは、っと。うわっ!?」


 空腹具合と相談しながら悩んでいると、ふいに後ろから誰かに肩を叩かれた。食材選びとメニューの構築に集中していたせいで、文字通り飛び上がるほど驚いた。


「そこまで驚かれると傷つくなぁ」


 振り返ると、そこには幾つか先輩にあたるシリアが笑顔で立っていた。俺と同じように制服の上から白エプロンを纏い、明るい茶髪を左手で払いながら右手でフライパンをもてあそんでいる。


「し、シリア先輩。どうしたんですか?」


 正直いうと、俺はこの先輩に会うたびに狼狽うろたえてしまう。見た目はどちらかというと楚々そそとした印象の「綺麗な女性」そのものなのだが、実は男だったりするからだ。


「お昼、一緒にどうかと思ってね」


 声は高く、物腰は上品。ぱちくりと瞬きをしてみても、頭のてっぺんから足の先まで、やはり女の人にしか見えない。けれど、口を開けばがらりと与える印象を変えてしまう。


「はぁ。それは構いませんけど」

「良かった。で、何を作る?」


 明るくさばさばした彼女(?)はにこりと笑った。その仕草もどちらかといえば「男勝り」で、俺は毎回「ボーイッシュな女装美人とは成立するものなのか」と首を捻ってしまうのだった。


 しかし今はとにかく飢えて仕様がない。些末な悩みは脇に置き、食料庫から適当に食材を引っぱり出してキッチンに戻った。ふと、台の隅で寸胴鍋も見付けた。来る時には見逃していたが、朝食の残りのようだ。


「ああ、スープだよ」


 シリアが鍋の蓋を開いて言う。コンソメのいい香りにつられて覗き込めば、澄んだ液体の中に、細かく刻んだ野菜がしっかりと煮込まれているのが見える。量も十分そうだ。


「決まりだね」


 従者は基本的に物を残さない。大量に作っても、煮込んだ方が旨いもの以外は一日の終わりには大体誰かが食べて片付けてしまう。

 つまり、無断で食べてしまって問題ないというわけである。


「それじゃ、そっちはよろしく」


 シリアは脇にあった小麦粉の袋を手にとった。窯に火を入れて用意をしているところを見ると、パンでも焼くらしい。今から寝かせている時間はないからパンもどきかな。


「はぁ」


 俺は空腹のせいで気の抜けてしまった返事をして、メイン料理の候補を思い浮かべた。

 サラダなら簡単だが、「パンもどきとスープとサラダ」などというヘルシーメニューでは、この空き具合はおさまりそうにない。ここは肉か魚を……。


「あれ、二人ともこれから?」


 耳慣れた声に、厨房の入口へ目を遣る。シリアと同じくらいの背格好の男性が、驚きと嬉しさを混ぜたような表情でこちらにやってくるところだった。

 緑の髪に茶色の瞳をした、この青年も先輩にあたる人物である。


「そ~いうこと」


 一目瞭然というていでシリアが言う。やってきた彼には一緒に食事をするかどうかを訊ねることもなく、互いに会話の必要性さえ感じていないようだった。


「そっち」

「分かってるよ、兄さん」


 手振りで手伝えと示されても、青年――ウィスクは笑って「はいはい」と応えただけだった。二人が並ぶと、髪の色の違いなど気にならないほどにそっくりだ。

 当然といえば当然である。シリアとウィスクは双子なのだから。


 兄弟仲はご覧の通り良好で、女装姿のシリアが「兄さん」と呼ばれても怒らないところが、その証明のように感じられた。


「はい、これお願い」

「は、はい」


 後輩である自分は、彼等の助手を務める格好になった。スープ鍋をあたため直し、窯の温度を確かめ、足りない調味料や食材を食料庫から持ってくる係だ。


 これはこれで結構忙しく、動き回っていると体から熱気が溢れてくる。

 調理台に乗っているのは耐熱皿と作りかけのホワイトソース、そしてマカロニ。グラタンをこしらえるつもりなのだろう。


「……」


 それにしても、ウィスクは常にニコニコしていて笑顔の絶えない人だ。きっと、そうでなければ、「あれ」の相手など務まりはすまい。

 何しろ、ウィスクの主人はあの悪魔・ルーシュなのだ。


「イリス様はお元気?」

「……えぇ、まぁ。ルーシュ、様もお元気そうで」


 のどの当たりに蕁麻疹じんましんが出そうになったが、顔には出さないように努力する。この苦労性の先輩の前では、あいつをなじる気にはなれなかった。

 しかし、「ルーシュ様」という単語のなんと現実味のないことか。先輩は「無理しなくてもいいですよ」と苦笑した。


「ほら、そこ! サボらない!」

「あっ、はい。すいませんっ」

「ごめんごめん」


 シリアのげきが飛び、それぞれの作業に戻った。彼女もパン作りの最終段階である焼くところにまでぎ着けており、腕っ節を褒めようとして口を押さえた。

 言葉にすれば、きっと殴られる。

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