第1話 ご主人様はご機嫌斜め

 煉瓦れんがを積み上げた、天を突き刺すかのようにそびえる塔の群れ。

 変わった姿をしたこの城は、塔そのものが居住の境界線を果たしており、俺達「従者」が住まう塔は城の隅に女子寮と対で建っていた。


「よっと」


 髪を顔の横で簡単にまとめてから部屋を出、塔の一番下の開けたフロアに降りる。

 そこは広大な食堂で、女子寮との唯一の共有スペースでもあった。現に今も、朝食を取る同じ服装の面々で結構なにぎわいだった。


「あら、おはよう」


 後ろから声をかけられて振り向くと、女子寮側の入口から先輩であるルフィニアが歩いてくるのが見える。

 赤紫色の髪をリボンで束ね、女性用の制服を今日もぴしりと着こなしている。トレードマークのメガネの奧では深い色の瞳が光っていた。


貴方あなた、『今朝は早くに』ってイリス様がご命令じゃなかった?」

「……あぁっ」


 指摘され、俺は早く部屋に来るように言われていたことを思い出した。食堂へ向けた足をくるりと回転させた瞬間、長い髪がむちのようにしなり、周囲を行き交う同僚達が慌てて避ける。


「わ、悪い」


 やはり邪魔だ。でも必要なんだよなぁ。はぁ。

 それに、どうやら朝食抜きを覚悟しなければならないようだ。大急ぎで従者塔から渡り廊下を一つ二つ、雪が降る寒い中を抜け、辿りついた長い螺旋らせん階段を上った。


 途端、景色が一変する。

 念入りに磨き上げられた通路が輝き、階段の手すりには木の幹に似た彫刻に職人の技が光る。


 部屋の扉には、どこぞの楽園を描いた優雅な風景やら獅子やらが彫り込まれ、触れるのもはばかられる雰囲気だ。

 その美しさは、初めて来た者は必ず目を奪われ、城の広さも手伝って必ず迷子にされると言わしめるほどだった。


「次は右、その次は左……」


 もちろん、何年も城勤めをしてきた自分が迷うことはない。迷路のような通路を通り、ようやく目的の部屋へと辿り着く。目印は扉に彫り込まれた満開の花々と、主人の名――イリス。


「ふぅ、間に合ったか」


 走ったせいで乱れた呼吸を整え、慎重に二度、コンコンとノックした。


「フォルト、来たのぉ?」


 返ってきたのは、幼い子どもの震えるような声。やっぱりか。心を決めて扉を開けば、思った通りの現実が待っていた。

 日当たりがよく、従者塔よりぐっと温かい室内。天蓋てんがい付きのベッドと、至る所に置かれたぬいぐるみが目に付く可愛らしい一室には、幼い女の子がいた。


「ねぐせ、なおらないよぅ! なんとかして~!」

「またですか」


 思わず脱力しながら観察すれば、肩まであるその柔らかな髪からは想像もできないような、見事なハネが出来上がっていた。


「ううぅ」


 宝玉のような紅い瞳を、にじんだ涙で更に赤く染めながら見上げてくる、ピンクの寝間着の女の子。彼女こそが俺の主人、イリスである。

 大人が腰を落としてやっと目線の高さがそろう幼女は、ぐちゃぐちゃになってしまった髪の毛を引っ張っては、いつものウェーブに戻そうと格闘していた。


「ああぁあ。そんなことしちゃ、駄目ですよ」


 まだ5歳を迎えたばかりのイリスは、「寝癖は引っ張ったくらいでは直らない。髪を痛めるだけだ」と何度教えてもこの有り様で、美しい銀髪は猫に遊ばれた毛糸玉のような無惨な姿をさらしていた。


「少しの間、じっとしていて下さいね」


 優しく言い置いて頭に手を伸ばす。今日の敵もすこぶる手強そうで、どこから取りかかったら良いのか迷うほどだが、意を決してくしを通してみることにした。


「うーん……」


 鏡台から取ってきた子ども用の櫛――といっても、数匹の蝶が飛ぶ様が繊細に彫り込まれた高級品――を髪にそっと入れてみて、思案する。

 強く梳くなどは論外である以上、ちょっとやそっとで直る気配は……なしだな。


「どぅ、フォルト?」


 イリスが一縷いちるの望みを託す瞳で俺を見上げるも、視線を逸らすので精一杯。ここは笑顔でスルーが正解だと、数年仕えてきた経験が答えを弾き出す。


「え~と、らしてみましょうね」


 世の女性がうらやむような鏡台の前に小さな主を座らせると、曇り一つない大きな鏡に否が応にもウネウネとしたハネが映ってしまい、二人は一瞬固まった。

 それ程に衝撃的。きっと生き物。……ここでも笑顔で流しておくに限る。


「ちょっと冷たいですよ」


 霧吹きを手に取り、針色の髪を湿らせる。乾く前に丁寧に櫛を通せば、しんなりと素直に……なる訳はないか。絡まりが優しく見えたのはフェイクだったらしい。


 あとはクリームだのスプレーだのと、試しに一箇所ずつ処置してみるが、最後の一角である前髪の見事なハネだけは、どうしても多少マシになっただけで立ち往生してしまった。


「直らない、ね」

「そですね」

「う、うぅうぅ。わぁあぁん」


 とうとうイリスが本格的に泣き出してしまい、俺も泣きたい気持ちで胸がいっぱいになった。もうこの髪は、そういう存在なのだと思う他はないのかもしれない。


「いやぁ、俺には――」


 げんなりして言いかけると、イリスは涙目を一層うるうるとうるませて見つめてきた。うーん、やはり許しては頂けないようだ。


「分かりました。他の者に聞いてみましょう」

「……うん」


 それにしても、といつもの疑問が脳裏を掠める。


 当主の大事な娘の世話係を務める俺は、日中はイリスにぴったり張り付き、頭のてっぺんから足の先まで気を配っている。当然、夜も寝る前に念入りに髪をとかし、寝入ったのを確認してから部屋を後にする。


 にも関わらず、毎朝挨拶をする度にこの有り様なのである。

 全く、どうなっているのだ。どんな寝相だ。そう思いながら、ぐずるイリスを着替えさせてから部屋を出たのだった。

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