片耳のイヤホン

慈(ちか)

苦いキス

手がかじかむ。

雪で歩くたびにキュッキュという音がする。

顔が痛い。冷たい風のせいで。

マフラーの間から漏れるのは白い息。

制服の上にコートを羽織る。

季節は12月。


「圭君、おはよー」

たくさんの生徒たちが歩いている通学路。

私は目の前を歩く彼氏。圭君に声をかける。

圭君とは付き合ってもう半年になる。

私よりも2歳年上の高校三年生。

私よりも頭一つ分高い身長。

部活はサッカー部でキャプテンをしている。

雨の日だけ行われる体育館練習の時にバスケ部の私のことを見てくれたらしい。

そこからすぐに告白されて付き合った。


圭君はこちらをちらっと見るとまた前を向く。

「おう。はよ」

そのなんでもないただの会話さえもうれしい。

なぜなら圭君とは最近めっきり話さなくなったから。


お互い初めての恋人。

でも、友達カップルみたいにキスなんてしたことない。

手も最初のうちは繋いでいたが最近は寒いからという理由で繋いでくれない。

ラインを送っても返ってくるのは次の日。

電話をかけても出てくれない。

付き合った当初は電話もラインもたくさんしてくれたのに。

「咲!」て名前をたくさん呼んでくれたのに。



最近圭君はお酒の匂いやたばこのにおいがする時がある。

圭君の仲のいい友達も変わってしまった。

前まではサッカー部の同級生の先輩とよくつるんでいたのに

最近は学校でも名が通ったヤンキーっぽい先輩たちと一緒にいる。

最初のうちはいろいろ圭君に聞いてみたけど返ってくる答えはなかった。

同級生に言われた言葉も気になる。


「咲。圭先輩、この間年上っぽい女の人と一緒に歩いてて居酒屋行ってたよ」

「圭さん、なんか駅前のホテルに女の人と一緒にいたよ」

「咲ー。圭先輩さー。髪の長い女の人と一緒にカフェにいたよ」


友達の言葉が胸に刺さる。

まるでナイフで刺されたみたいな衝撃が走る。

うまく息ができない。

なんで。

どうして。

圭君。

なんで私のことちゃんと振ってくれないの?

私からは別れようなんて言えない。

いえるわけない!

こんなに好きなんだもん・・・


目の前を歩いているはずの圭君の背中が遠く感じる。

圭君の背中を見てるだけなのに涙が出てくる。

悔しい。

悲しい。

圭君のことが分からない。

圭君はこっちを向く気配もない。


下駄箱のあたりまでくると圭君はこちらを向くことなく

「じゃあな」

といって靴を履き替えて教室に向かっていく。

私も涙をぬぐってから教室に向かう。



部活も終わった下校時間。

玄関で圭君と目が合った。

登下校時間はいつも一緒にいれる。

圭君と一緒に校門を抜けていつもの帰り道を歩いている最中


「ちょっと寄り道して帰ってもいい?」

圭君からの声掛けに一瞬驚いてしまった。

「え・・・う、うん!」

私は戸惑いながらもちゃんと返事ができた。

今マフラーをしていてよかった。

嬉しすぎてにやけてしまっているから。


圭君はいつもの信号を渡ると人気の少ない路地の方に向かって歩く。

私はあまり通らない道だ。

古びたビルの屋上に向かって歩いていく。

会話なんて何もない。

でも一緒にいられることが嬉しかった。


屋上に出ると圭君はカバンをガサゴソをあさっている。

何かを探しているのだろう。

カバンから出てきたのはタバコだった。

圭君は口まで隠していたマフラーをずりっとずらした。

口にタバコを加えるとライターで火をつけた。

タバコの吸い方が手慣れてる。

私の知らないにおい。

タバコのにおいがあたりに広がる。

圭君の吐く息が白い。

でも、これはきっと寒さの冬のせいじゃない。

これはタバコの煙のせいだ。

不覚にもかっこいいと思ってしまった。


なぜだろうか。

ほっぺが温かい。

気づいたら私は泣いていた。

涙がぽろぽろと流れてくる。

止まらない。


「どーした?なんで泣いてんの!?」

久しぶりに圭君の顔ちゃんと見た気がする。

圭君は泣いてる私に驚いて声をかけてきた。

自分でもわからない。

なんで泣いているんだろう。

なんでだろ。


「もう・・・別れよ」

自分でも驚く言葉が出てきた。

でも、止まらない。


「もう限界だよ。もう別れたい。ごめん。もう好きじゃない。」

涙も止まらないけど言葉も止まらない。

やだやだやだ。

私の知らない圭君なんて嫌だよ。


「・・・わかった。」

一言だけつぶやくと圭君は強く私を抱きしめた。

「今までごめんな。咲。ごめん。」

圭君は悲しげな表情をしている。

久しぶりに名前を呼ばれた。

嬉しいはずなのに。

もう嬉しくない。


汗と柔軟剤のいい匂いがした圭君はもういない。

「付き合ってください」て言って顔を赤らめていた圭君はもういない。

「咲のことを大事にする」て言ってくれた圭君はもういない。

部活に一生懸命だった圭君はもういない。

笑う時クシャって笑う圭君はもういない。

いつも私の歩幅に合わせて歩いてくれた圭君はもういない。

私のことを「かわいい」ってたくさん言ってくれた圭君はもういない。


私の知ってる圭君はもういないんだ。

タバコのにおいがする圭君。

私の知らない女の人と一緒にいる圭君。

私の知らないにおいを身にまとっている。

私の知らない圭君。

あの頃にいた私が大好きな圭君はどこ行っちゃったんだろ。


圭君は私の目を見つめてくる。

あ、圭君泣いてる。

私なんて鼻水も出るくらい泣いてるのに。

「咲は本当に泣き虫だな」

そう言って圭君は頭を撫でてくれた。

今更優しくしないでよっ。


別れ話をしたのに、今まで過ごした日々が思い出されてくる。

一緒に登下校するときは私の悩み全部聞いてくれたなぁとか

イルカのショーを見て一緒にはしゃいだなぁとか

私が作ったお弁当を「おいしい!」って言ってくれたなぁとか

犬が怖くて逃げ回っている姿がかわいかったなぁとか

温泉行ったときに「また来ようね」って言ってくれたなぁとか

ゲームで勝つまで勝負を挑むと苦笑いされたなぁとか

期末テストで点数低いと勉強を教えてくれたなぁとか


こういう時に限ってでてくるのは楽しい思い出だけなんだもんね。

ずるいよ。

涙止まんなくなっちゃうよ・・・。


泣き止まない私に圭君はそっとキスをしてきた。

私のファーストキス。

苦い。

タバコの苦い味が口の中に広がる。

キスが終わると圭君は「ごめんな」とだけ言って屋上を後にした。


何もできなかった。

涙はいつの間にか止まっていた。

圭君との関係が終わった。

その事実だけは分かった。


いまだに消えないタバコの味。

いまだに消えない心の痛み。

圭君のことを嫌いになったわけじゃない。

でも、もう好きじゃない。

もう一緒にいられない。


私はコンビニによって家に帰った。

不思議と帰り道に涙はでなかった。

家について夕飯を食べた。

お腹いっぱい唐揚げをほおばった。

お母さんは驚いてたけど微笑んでいた。

勉強もした。

いつもよりも集中して課題のほかに予習までできた。

お風呂にもちゃんと入った。

今日は特別に柚子のにおいがする入浴剤を入れた。

お父さんからいい匂いだなって褒められた。

髪の毛もちゃんと乾かした。

いつもよりも入念に。


部屋着になってお風呂上りにコンビニで買ってきた袋をあさる。

開け方なんて知らない。

吸い方なんて知らない。

こんなことは間違っている。

分かってる。

圭君とはもう別れたんだよ。

分かってる。

出てきたのはタバコ。

ベランダにでてタバコに火をつけた。

圭君みたいに上手に吸えないけど一つだけわかったことあるよ。


タバコ、圭君のにおいがした。

最近の圭君のにおい。

圭君が目の前にいるような気がした。

ちょっとうれしくなってしまった。

でも、やっぱり苦いや・・・。

私のファーストキスの味がする。

苦いキス。

胸が押しつぶされるくらい苦しくなった。

さっきまで出てこなかったはずの涙が止まらなかった。















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片耳のイヤホン 慈(ちか) @tomodatihosixi

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