MIDNIGHT 東京メトロ妄想人間模様

シューウッド

第1章 永ちゃんになりたい夜。

多くの他人同士を詰め込み、

大都市の地中を縦横無尽に走り続ける東京メトロ。

深夜の車中。一日の責務を終えたそれぞれの顔は、

ラッシュに揉まれる朝の顔とは明らかに違う。

安堵感と疲労感が入り混る混沌とした空気。

口の開いた炭酸のように気のない人たちの群れ。

その様は、人間本来の素の姿なのか…

夜を走る地下鉄は人の心をも裸にしてしまう。


偶然乗り合わせた他人同士、東京を生きる同志たちよ。

この街で生きる覚悟と切なさは、痛いほどに私にもわかるよ。

決して言葉を交わすことのない他人でさえも、

時として同郷の友のように、親しみすら覚えてしまう夜もあるんだ。



あぁ…今夜もあなたという人を私は見つけてしまった。

東京で懸命に生きる、その無防備な姿に私は釘付けとなる…

私の止まらない妄想は物語となり、

今夜も地下鉄とともに頭の中で走り続けるのだ。



《第一章》 永ちゃんになりたい夜。

    

12月30日。PM10:00 南北線


その男は一人、人気のない車内の片隅で、痩せた身体をやや横たえながら、

天井の蛍光灯の灯りをぼんやりと見つめていた。

師走。この凍えるような冬の時期。彼は裸の上半身に白いスーツを

身にまとい、E.YAZAWAのタオルを首に巻きつけていた。

先ほどまで行われていた矢沢永吉武道館ライブの興奮冷めやらぬまま、

彼は一人家路へと向かっていたのだ。

本人ですらとうに止めたオールバックを決めながら、

彼は武道館での永ちゃんのメロディに一喜一憂し、 

最高の一夜を過ごしたに違いない。

薄くなった頭髪に無理やりのリーゼント姿。

切なくも愛おしさを感じるのは、同年代の自分だからだろうか…

襟元の少し黄ばんだ、くたびれ気味の特注らしきスーツ。

大きな肩パットの入った時代錯誤なシルエットは

私からすれば着るのも恥ずかしい。

でも、いいんだ。そんな小さなことはどうでもいいんだ…

彼にとってこの一日は特別なONE DAY。

一年に一度だけ憧れの永ちゃんを目の前にできるロックンロールナイト。

夢多かりし青かった頃の自身に帰れる日。

お気に入りの曲が始まれば、やや大きめの声で口ずさみ、

隣の客にけげんな顔をされる。

しかし、もはや彼の眼には矢沢しか見えていない。

時折、涙を目に溜めながら彼は心の中で永ちゃんに話しかけていた。


いつかビッグになってやると夢を語ったあの日は遠い。

でもね、永ちゃん。俺は人生をあきらめたわけじゃない…って。


眉間に小さなしわを寄せ、ほんの小さく笑みを浮かべ、

彼は静かに車内の天井を見上げた。きっと地中を突き抜け、

ビルを突き抜け、東京の冬の空を見上げているに違いない。

あぁ、彼は今、矢沢永吉そのものなのだ。全身全霊100%矢沢永吉が

よろしく、よろしく宿っているんだ。

気がつけば、私は彼を凝視していた。

彼の人生は瞬く間に、私の身勝手な妄想のなかで構築されてゆく…


山口 修  59歳。広島県出身(仮説)


大田区の小さな中古車整備工場に勤める彼の唯一の趣味は、クルマ。

そして中学生の頃から崇拝する矢沢永吉の音楽こそが、彼のすべて。

哀しい時も苦しい時も矢沢の音楽に救われた。

休みの日には矢沢の音楽をともに、横浜、本牧へとクルマを走らせる。

第一京浜、川崎を超えた辺り、いつものように彼は目頭を熱くさせる。

様々な思いと街並み、矢沢の曲がシンクロし、

どうやったって条件反射で涙が潤んでしまい、制御不能と化してゆく。

ピュアと言えばピュア。アホと言えばアホだ。



学生の頃、比較的おとなしめの彼は、

クラスの中でもあまり目立たない存在だった。

高校生になってもその印象は変わらなかった。

痩せた細く小さな体。幼顔に伸びきったパンチパーマが

アンバランスで何処かこっけい。

女子からはモテるタイプではなかったが、

はにかみながら笑う仕草が可愛い、どこか憎めない少年だった。

そんな彼の唯一の強みは、矢沢永吉のうんちくだった。


「時間よ止まれ」の大ヒットで矢沢永吉は一気にスターダムにのし上がった。

同級生の悪ガキどもは「永ちゃん、永ちゃん」とにわかにうるさい。

当時テレビに出ない矢沢の情報は、それだけで希少価値の高いものだった。

ネットなど存在しない昭和の時代、

田舎の高校生が多くの情報を得ることは皆無に等しい。

それ故に、矢沢の多くの情報を知る彼の存在は、もはや神だった。


メジャーになる前から熱狂的なファンだった彼は、

小遣いのその全てを矢沢のレコードや掲載された雑誌に費やした。

4枚のレコードに刻まれた楽曲全ての歌詞も暗記していたのだ。



同級生たちは食い入るように彼の矢沢情報に耳を傾けた。

一喜一憂する奴らの姿を上から目線で見ることで、優越感に浸れた。

唯一、彼がクラスの中で優位に立てるその瞬間。

まさに時間よ止まれだ。

「オサム、お前凄いのー」同級生のその一言で彼はスーパースターに

なった気持ちになれた。

永ちゃんが俺をヒーローにしてくれたんだ。

その時、彼は本気でそう信じてた。

17歳。短い夏が終わりを告げようとしていた。



彼が矢沢永吉の音楽に目覚めたのは「黒く塗りつぶせ」という

ハードなロックナンバー。

伝説のバンド「キャロル」解散からソロになって3作目のシングル曲だ。

それまでアイドルが歌う歌謡曲しかしらない彼にとって、

ラジオから偶然流れたこの曲は余りにも衝撃だった。

弱い性格の自分ゆえ、強い男への憧れは一気にボルテージへと達した。

逆らうことが男らしさ。怒ることが男の美学。

彼はひたすら矢沢に憧れた。学校から家に戻れば、

すぐさま自分の部屋へと引きこもり、

安物のレコードプレーヤーに針を落とす。

ほうきをスタンドマイク代わりに矢沢を気どり、

観客の居ない一人きりのワンマンショーが始まる。

俺も永ちゃんみたいになりたい。いや、俺は永ちゃんになるんじゃ。

いつだって、永ちゃんの歌が俺を慰め、励ましてくれる…

ありがとう永ちゃん。俺、ビッグな大人になって永ちゃんに会いにいくけーね…

音量がうるさいと母親が階段下から大声で怒鳴りたてる。

けれど母親の言葉など彼の耳には届くはずもなかった。


工業高校を卒業し、彼は矢沢のヒストリーそのままに、

広島を離れ憧れの地、横浜に居を構え新生活を始めた。

家族経営の小さな自動車工場に就職し、汗と油にまみれ日々を過ごした。


平成に移り、職場結婚で一緒になった妻とは、36で離婚。子供はいない。

これまで幾つかの工場を転職。

キャリアを買われ今の勤務先では部長職として働いている。

仕事は丁寧で真面目だが、なにせぶっきらぼうで愛想が悪い。 

いつもけげんそうな顔をしている彼ゆえに、社内でもなつく社員は居なかった。

自分でも解かっている。淡々とした日々が流れていくだけの毎日。

いつからか、無口でつまらない大人になってしまったと…


いつか自分を変えたい。そう思いくすぶり続けていたある夏の頃。

彼はふと街で見かけた古いテーラーに飾られた白いジャケットに目を留めた。

父親の背広の上着をこっそりと拝借し、

ほうき片手に矢沢を気取った、少年の頃の自分の姿が重なって見えた。

気がつけば目頭が熱くなっている…

あの頃の青くて熱い自分に戻りたい…

テーラーの扉を開けたなら、その先には新しい自分が待っている。

人生の転機とはこうゆう事なんだ!成り上がるってこうなんだ!

彼は迷うことなく、人生初となるスーツをその場でオーダーした。

ボルサリーノが似合う、眩いほどに白い憧れの永ちゃんスーツだ。

インド人の店主にこう告げた。

「悪いけど裸の上からジャストで寸法測ってくれるかなぁ。よろしく。」

不思議そうな顔をする店主を横に、彼は既にもう矢沢気どりだ。

まさか裸の上にスーツを着るスタイルなど、

インド人の店主には到底思いもつかなかったろう。


仮縫いを済ませ、約1ヵ月後、待望のスーツが仕上がった。

背中に刺しゅうされたE.YAZAWAの文字。

真新しいスーツに袖を通す。もちろん上半身裸だ。

あふれる程の思いがこみ上げ、既に目頭は熱い。

店主の手を固く握りしめ、「センキュー。よろしく。」

彼は着てきた服をフィッティングルームに置いたまま、

スーツ姿のまま白昼の街中へと消えてゆく。

今日から生まれ変われる。今からでも遅くないはないよね、永ちゃん。

リベンジじゃ。ワシの時代はこれからじゃ。

風に消えるような小声でそう呟きながら…


それから毎年、年末になると彼はチケットを握りしめ、

年の瀬の寒さなどものともせず、一人武道館に足を運び続けた。

白いスーツを着たもの同士、いつしか開演待ちの

矢沢フリークとも連絡を取り合う仲になる。

年に一度のライブは、年を追うごとに彼にとってかけがえのない

人生の一大イベントと化していった。

しかし、祭りが終わった後の落差はあまりにも大きい。

寒空の下、力尽き一人きりで家路に向かう自分。

道路に落ちた息途絶える前の、蝉のような儚さとでも言おうか…


新しい年を迎えても、彼の生活に変化はなかった。

今までと同じ生活は繰り返し続いていく。

結局はなにも変われない自分が居た。

口惜しさともどかしさを、吐き出せないまま時間だけが過ぎてゆく。

でも、せめて一年に一度だけ、

一瞬だけでも燃え上がるように生きている自分自身に出会いたい。

夢でもいい…錯覚でもいい…幻でも構わない。

永ちゃんに俺はなりたいんだ…



ふと気がつけば電車のシートに彼は居なかった。

妄想の世界に浸りすぎ、当の主人公を見送ることが出来なかった。


ここまで私を妄想の世界に引きずり込んだのは言うまでもない。

何を隠そう、私自身が武道館で感動の一夜を過ごした同志だったからなのだ。

南北線の永ちゃん、お休みなさい。

いつの日か…また会えるかもね。帰りに美味しいビール飲んで帰ってね…

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