第3話 娘のモリーはうるさい


 保育園の前に車をつけると、先生に連れられて娘が出てきた。


 娘がゴホンゴホン! と咳をしているが、いやな予感がする。ちょっとわざとらしい。女の子は五歳にもなると普通に演技ができる。しかし、ここでやりあっても意味がない。娘をうしろに乗せ、さっさと車を発進させた。


 あら? 静かね。バックミラーを見ると、ふたりが互いを見ている。


「エルウィンだ」


 彼が手を差しだすと、娘がギャー! と絶叫した。あわてて車を止め、降りて娘を抱っこする。エルウィンと名乗った彼も降りてきた。もうしわけなさそうに眉を寄せている。まあ、どっちも悪くない。


 なだめすかして今度は前の席に乗せた。いつも乗せない前にすわると、すぐに機嫌がなおる。車を走らせしばらくすると、あきれたことに彼に質問攻撃まで始めた。


「おじいちゃん、何歳?」

「おじいちゃんじゃないでしょ、おじさんよモリー」


 運転をしているので前を向いたまま注意した。


「三十六になる。お嬢さんは?」


 三十六? 聞いた彼の年齢に、実は自分がおどろいていた。わたしと同じ三〇代だったの?


「モリーは五歳よ、その、おヒゲ本物?」

「ああ本物だ。引っぱってみるかい?」

「その靴は、なあに?」

「これか」


 彼は、少し返答に困ったようだった。


「モリー、質問やめなさい」

「愛する人の忘れ物だ」


 彼は言った。その言い方が、ちょっと気になった。別れた相手なら「愛した」と言う。


「死んじゃったの?」

「モリー!」


 本気で注意した。だが彼は怒るでもなく、言葉を探しているようだった。考えた末に出てきた言葉が、さらにわたしをおどろかせた。


「生きているのか、死んでいるのか定かでない、というところか」

「行方不明!」


 反射的に、わたしが反応してしまった。


「そんなところだ」


 わたしは思わず、ハンドルを強くにぎりなおした。予想していた話よりずっと重い。誰でも愛する人を失うのは辛いと思う。でも生きているのか、死んでいるのか、わからないのは多分もっと辛いのでは?


「ママー、おなかすいたー」


 そうだった! 車を路肩にとめ、娘とむきあった。


「モリー、あなた風邪は?」

「そうなの、お熱があるの」

「嘘おっしゃい、元気じゃないの!」

「あたまが痛くて」


 そう言って、おなかをさする。あたまはそっちじゃない。


「体温計で測るのではないのか?」


 うしろから彼が聞いてくる。わたしは顔をしかめて首をふった。


「最近の子は、大人の目を盗んで体温計をこするなんて、余裕よ」

「ほう、賢いのだな」


 彼が妙に納得している。


 娘の「おなかすいた!」と、わたしの「彼を送っていくの!」は平行線になった。


「ママのかっこう見なさい! 店の服よ、どこも行けないわよ!」


 かっと思わず怒鳴った。娘が泣きだす。


「あー、良ければだが」


 ひかえめに彼が切りだした。


「家まで行ってもらってもいい。僕は車で待っておくから」


 わたしは盛大に、ため息をついた。彼なら、そんなことを言いそうな気がした。そして悲しいかな、人を待たせてご飯が食べれるほど、わたしは神経が図太くない。


 家に人をあげるのは何年ぶりになるだろう。それはいいけど、まさかそれがホームレスになるとは・・・・・・。


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