第2話 靴がない

 寝た男を残したままだと、あとでチェンが大変そうだ。


「お客さん」


 肩をたたくと、男はおどろいて起きた。


「ああ、すまない」


 そう言うと、大きなリュックを背負って出ていった。「うるせえ!」と怒鳴られるのを予想していたのに、ちょっと意外。でも、これで今日の仕事は終わり。


 ほんとに一〇分ほどでチェンは帰ってきた。なんて真面目な子。


 わたしはチェンに声をかけ、裏口を出た。十二月の寒さにふるえる。


 お店で使う灰色のエプロンをしたままだった。そのままコートを着る。ずいぶん遅くなった。アフタースクールの時間は過ぎている。娘のモリーを引き取らないと。


 ところが路地裏に歩きだすと、隅で寝ている男がいた。さっきの男だ。


 思わずため息がでる。この時期、こんなところで寝ていたら死んでしまう。明日の朝に出勤して、凍死した男の第一発見者にはなりたくない。


「ちょっと、ちょっと!」


 肩をゆすってみたが、まったく起きない。もう! と内心怒りながら男の肩をかついで立たした。なにか寝ぼけたことを言っているが、まったく意味はわからない。


 たしか数ブロック歩けば、ホームレスの避難所があったはず。そこまで一緒に行くしかなさそう。


 今日はツイてない日。ゆいいつの幸運は、この男が見た目ほど臭くないこと。


 ほんと、早く帰りたいときほど帰れない。わたしはそうため息をついて、長かった一日の家路に着いた。




 翌朝、目をこすりながら店に向かう。昨日が遅かったので眠くてしょうがない。


 工場に出勤する人の流れにさからって歩き、だれもいない開店前の店に入る。わたしはコートを脱いで、すぐに調理場にむかった。


 やる気のないオーナーで良かったことが、一つだけある。わたしのやりたいように、やれること。店の仕込みも、わたしの自由だ。


 今日のメインは二つ。グリルチーズサンドと、トマトとアボガドの野菜サンド。デザートは、作り置きしているチェリーパイと、ピーカンパイ。


 感謝祭やクリスマスの定番「ピーカンパイ」は、冬になるとやっぱりよく売れる。トーストとスクランブルエッグはいつも通り、三六五日かかさず出す。


 ふと思いだして、ピーカンパイから二切れを別皿にうつした。隣に住む「マリアナおばあちゃん」に差しあげるため。たまに格安でベビーシッターをしてもらっている。神に感謝する暇はなくても、マリアナには感謝しなきゃならない。


 ドンドン! とガラスをたたく音でびっくりした。へんな男が、表通りに面したガラス張りの向こうにいる。あれは昨日のホームレス?


 わたしは、ため息をついて、まずピーカンパイを棚にもどした。面倒な予感がする。


 表の鍵をあけるが早いか、男は店に入ってきた。


「ここ、ここに大きなカバンがあったはずだ!」


 カバン? ああ、そういえば。大きなリュックね。


「あなた持って出ていったわ、でも」


 かついで立たせた時には持ってなかった。彼を連れ、お店の裏にまわってみる。


「この辺で寝てたのよ。でもリュックは見てないわ」


 あたまを抱える彼。あの汚い帆布のリュックが、そんなに大切なもの? 路地裏の一帯を探してみたけど、やはりリュックはない。


 彼は、大きなゴミ収集箱を力まかせに動かした。あんなに大きなリュックが、そんな隙間には入らないと思うけど。次に、山積みになったダンボールの下を探す。気づいてないけど、そこも、おそらく三回は見てる。


 そんな彼を見ていると、いごこちの悪さを感じた。すっかり忘れていたからだ。彼の荷物のことなど。


 あきらめない彼は、まだ探している。あと考えられる手はひとつだけ。わたしはゴミ集積箱に近づき、下のほうを見た。だいたい下側に収集会社の社名があるからだ。


 思ったとおり、社名のプレートがあった。ポケットから携帯をだして、連絡先をしらべる。ダメ元で電話をかけてみた。


「あのー、すいません、間違ってゴミにだしてしまったのですが」


 冷たくあしらわれるかと思ったら、電話の向こうは優しそうな女性の声だった。なんとかなるかもしれない。ゴミは焼却所ではなく、いったん集積所に行くらしい。そこの住所を聞いて、わたしは電話を切った。




 ここから探すの?


 山のようなゴミの前で、しばらく唖然あぜんとした。コートを店に忘れてきたけど、ある意味で正解。これからゴミあさりなのだから。


 街はずれのゴミ集積所だった。わたしの車で彼を連れてきた。その彼は、すでに手当たりしだいに探し始めている。あまり関わらないほうがいいかも。そういう思いもある。でも荷物を忘れていたのは、このわたしだ。


 ここに来る途中に、休みの同僚には電話した。さんざん嫌がられたが、なんとかシフトは交代してもらえた。たっぷり時間は、できたわけだ。


 ゴミの山を見つめる。探すのは、リュックではなかった。女性用の革靴。色は黒。それも左足の片方だけ。理由はわからないし、聞かない。大事な人の形見か、それとも変質者か。それって絶対に聞いて楽しい話ではない。


 二時間ほど探したけど、女性用の革靴は見つからなかった。かがんだ姿勢を続けて腰が疲れている。背伸びをして腰を伸ばした。


 ここまで探しても女性用どころか、男性用の靴さえ見かけない。意外にスリッパはたくさんあった。なに、みんなスリッパって、そんなに換えるの? わが家のスリッパは、いったい何年前に買ったのだろうか。


 だんだん、ゴミの多さに腹が立ってきた。思わず段ボール箱を蹴とばす。下から靴が出てきた。ロンドンあたりで売られてそうな、シンプルな黒のパンプス。きっとこれだ。彼に聞こうと、ふり返る。


「ゆっくり、持ちあげてみてくれ」


 彼はすでに、こっちを真剣な顔で見ていた。


「はっ?」


 彼の言葉にとまどったが、ゆっくりとつまみ、持ちあげてみた。なにこれ、爆発するの?


「おぼえはないか?」

「え、これじゃないの?」


 彼はため息をついた。そのため息はどういう意味? 聞き返そうとしたら、近づいてきて両手で靴を受けとった。まるで、ひよこを受けとるような優しい手つきだ。


「ありがとう」


 彼が真剣な顔で言うので、わたしはうなずく。




 ゴミ集積所からの帰り道、車内は静かだった。よく知らない男とふたりだから。


 どうでもいいけど、なぜ彼は、後部座席にすわるのだろう? 行きがけもそうだった。ふたりなら前にすわらない?


 うしろにいる彼は、しっかりと両手で靴を持ち、窓の外を眺めている。まるで乙女だ。思わず笑ってしまった。彼がこっちを見る。あわてて手をふって否定した。


「ごめんなさい。わたしが小さいころに、はじめてバレエシューズを買った時みたいだったから」

「バレエをしていたのか」


 彼はおどろいたようで、わたしのエプロンをちらりと見た。


「場末のダイナーで働いてるオバサンが、バレエしてたらおかしい?」


 今度は、あわてて彼が手をふった。


「誤解だ。どこか気品がある、と思っていたのは、バレエの下地かと納得した」

「気品! ワーオ、ひさしぶりに聞く言葉。でもね、バレエはやってないの」


 彼は首をかしげた。それはそうね。続けて説明する。


「履くのがもったいなくて。しばらく飾ってたら、足が入らなくなっちゃった!」

「ありそうなことだ」

「そうね、だから、あなたがおどろいたのは正解。バレエをやるようなタイプじゃないわ」


 彼は笑うと思ったが、逆に真剣な顔をした。


「そうだろうか。はかるに、きみは明敏めいびんだ。あの店が悪いわけではないが、もっと似合う仕事もありそうな気がする」


 わたしは大げさに、おどろいて見せた。


「さっきから、すっごい褒められてる。ひょっとして、口説いてる?」


 彼が目をぱちくりさせ固まった。下品な冗談は通じないようだ。話をもどそう。


「机にすわってするような仕事は、好きじゃないの。接客もきらいだし。料理とか、お掃除とかのほうが得意なの。こう見えてもね」


 そんな話をしていると、ポケットに入れていたスマホが鳴った。娘の保育園からだ。路肩にとめ、電話にでる。娘に熱がでたようで別室で休ませているらしい。これから迎えに行くと伝えて、電話を切った。


 車をだす。保育園までは、ここから少し遠い。急がないと。


「さて、どこで降ろせばいい?」


 行くあてはあるのだろうか? そう思いながら聞いてみる。


「令嬢を迎えに行くのだろう、そのあたりでいい」


 オーケー。意外にあっさりと面倒事は終わった。クネクネとした道が終わり、少し大きな道路にでた。車を歩道に寄せてとめる。


「そうだ。昨日は、チキンサンドの妙味を堪能させていただいた。特に中のマヨネーズが見事だった」


 そう言って彼は降りた。車とは反対むきに歩いていく。バックミラーで彼のうしろ姿を眺めた。へんな男。でも、どこへ行く気だろう。このあたりは郊外で街までは遠い。ところどころに民家があるだけで、バス停や駅もないはずだった。


 お節介は、しても得にはならない。ただ昔から、ほっとけない性格でもある。


 それにマヨネーズ。昨日から、チキンサンドに入れるマヨネーズを自家製に変えた。がんばった部分を褒められるというのは、子供でなくてもいい気分。すっごくいい気分。


 ハンドルに置いた指をトントンとたたいた。なんとも後味が悪い。どうするジャニス。


 自分に問いかけ、考えるのをやめた。もともと、考えるのは得意な方ではない。


 よしっ! とギアをバックに入れ、勢いよくアクセルをふむ。彼の横に急停車し、ウインドーをおろした。


「乗って! 娘を迎えに行って、それから送るから」


 彼はおどろきながらも車に乗り込んだ。それも、やっぱり後部座席なのね。わたしは彼がドアを閉めるのを確認し、モリーの保育園へと急いだ。

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