第10話

 水曜日がやってきてプレハブ小屋から火曜日の死体が消失し代わりにまた新たな死体が転がっているのを目にしてからぼくは近所の交番に出向きそこで昼食のコンビニ弁当を食べている警察官にすべてを話してそれから自宅にもどり自室で足を伸ばして音楽を聴いている。

 一息にぼくのした行動を言い切ってしまえば簡単なものだけど実際にはかなりの時間がかかっていて今はもう夜の九時だ。

 まず警官はぼくの話すことをはじめイタズラかなにかかと思ってまともに取り合わなかったし何とか彼らを説得してからともに現場に向かい実際にそこに転がる死体を見せてからは事情聴取やらの工程でまた時間をとられた。

 しかし最終的には月曜から水曜にかけてのこれら一連の出来事は警察組織という国家システムによって適切に処理されることになっておそらくいくらも時間をとらずに事の真相は解明されるのだろう。

 はじめからこうすればよかったのだ。彼らの死因が自殺か他殺かの判断などは専門的な検死によって検証されるべきことであって素人がいくら考えたって仕方がない。もちろん警察の力に頼ることができない状況というのは存在するし山奥の洋館で起こった殺人事件にはたまたま居合わせた私立探偵が対処しなければいけないのかもしれないけど一一〇番にかけられるのならばまずまっさきにそれを試してみるべきなのだ。現場に残された不可解な数列よりもぼくたちはまず一一〇という三桁の数字に目を向けなければならない。

 つまらないかもしれないけどぼくたちが生きるのは現実だ。

 だからこれでいい。


「……」


 ところでこの部屋に櫟はいない。どころかぼくの知りうるすべての場所に彼女はいない。

 今日の早朝家を抜け出してぼくたちは二人でプレハブ小屋に行った。そこに三つ目の新たな死体が転がっているのを見てぼくは彼女に警察に連絡するということを告げた。彼女はなにも答えなかった。だけどぼくは彼女がうなずこうがうなずきまいがどちらにせよ自分たちだけでこの事態に対処しようとは考えていなかった。すでに一一○は心の中では押されていた。

 いったん家に戻り櫟に部屋にいるように言いつけてぼくは最寄りの交番へと向かった。あとはもう流されるままだった。ぼくは警官二人を小屋まで案内して死体を彼らに見せてそして聞かれたことに答えた。聞かれたことについて嘘はつかなかった。ただ聞かれなかったことを口にすることはなかった。つまり櫟についてぼくは警官に話さなかった。警官はぼくの説明を書き取り終えるとぼくを開放した。そのまま寄り道することなくぼくは家に戻った。あたりはもう暗くなっていた。そして部屋にもどると櫟はいなかった。帰りの遅くなったことを母に問い詰められぼくは小屋の死体のこととそれを警察に通報したことを話したが母は納得しなかった。母はここ数日のぼくの不審な様子を挙げてまだなにか隠していることがあるんじゃないかとぼくを追求した。ぼくはただ不機嫌になにもなかったと繰り返した。

 ヘッドホンから流れる音楽が一巡してまたはじめの曲にもどる。アコギ一本に歌が乗せられたアルバムの一曲目らしさにあふれるその曲を止めるとぼくは立ち上がった。

 コンビニに行くからと家を出てあてもなく田舎道を歩く。羽虫が耳元で不快な羽音をたてぼくはおどろいて転びそうになる。舌打ち。なんだってみんなそんなにうるさいんだ。ぼくの不幸はそこにはないっていうのに。




「ああ、なあ、俺がなにしたってんだよ、なあ、ひっ、おい、俺が、俺が、なにしたってんだ、なあ、なんなんだってんだ、って、なあ」


 わめく酔っ払いを警官の一人が介抱している。交番前を通る人間はみな一様におかしな人間を見る目でその酔っぱらいを見やっていく。ぼくは机をはさんでもうひとりの警官と顔を見合わせながら硬い椅子に座っていた。外からはぼくもあの酔っぱらいと同じように見られているのだろう。落とし物を届けている様子の人や道をたずねる高齢者をのぞいて交番にいて警官と顔を見合わせている一般人なんてだいたいがろくでなしだろうと人は思うに違いない。


「それで、改めて状況をもう一度確認したいんだけど」


 ぼくは答える。「はい」


「あの死体は三つ目のもので、その前々日の月曜日、そいて前日の火曜日にはまたそれぞれ別の死体があったと」

「ええ、はい、そうですね」

「もちろん疑ってるわけじゃないんだけど、ただ、その二つの死体がどこにも見つからないんだよね」

「……そうですか」

「なにか心当りはない?」

「……さあ……ぼくには……さっぱり……」

「死体をどこかに運んだと考えるには、あの小屋までの道は足場も悪いし、人間一人を持ち運ぶのはあまりに重労働で、少し考えにくい。第一、死体を運び出さなくてはならない理由もわからない」

「まあ……そうですね」

「俺としても、こんな話を君にしたって意味がないのはわかっているんだけどね」と警官は言葉を区切って言う。「ただ、どうして君が三つ目の死体を発見するまで通報しなかったのか、そこは引っかかる」

「だから……前にも説明したとおり……そう、なんとなくですよ……たぶん、殺人、とか、自殺とか、そういうのの……なんというか、非日常さにおどろいたというか……だから、頭が回らなかったんです」


「俺も、そうなんだとは思うよ」警官は言う。「ただ、なんというか違和感があるんだ……なにか隠しているんじゃないかっていう」


「……ありませんよ」ぼくは答える。「あれが仮に殺人事件だとして、ぼくは犯人じゃないし、犯人がいるなら捕まってほしいですよ。本当に」

「……そう。わかった」


 ぼくは交番をあとにする。




 照りつける太陽がぼくを焼く。暑い。あまりにも暑すぎる。なんだか年々日本の夏は熱くなっていってるような気がする。ぼくは黙って歩く。熱線はぼくの足を止めようと必死になってますますヒートアップしていくようだった。負けてたまるかとぼくはただ歩く。歩く。気晴らしに歩く。歩いているあいだは余計な思考のあれやこれがどこかへ行ってしまうような気がする。きっと走ればそれ以上になにも考えなくていいようになるだろう。だがさすがにこの気温のなかを走り出す気分にはならない。

 小石を蹴りけり歩いていると廃れた駄菓子屋が見えてきた。店前に設置されたベンチでは子どもたちがアイスを片手に騒いでいる。なんだか見ているだけで清涼感のえられる光景だった。冷凍ケースを開けてなかから一本だけ棒アイスを取り出し小銭を店の女性に渡す。何年か前にはいつもおばあちゃんが店番をしていたと思うのだがどこにいったのだろうか。しかし少なくともアイスを買うぶんには店番をしているのが誰であろうと関係はない。

 アイスをかじりながら道をゆく。さっきよりは身体も冷やされていくぶんか快適だった。ミンミンとどこかでセミが鳴いている。うるさい。繰り返される単調なコーラスを聞いているとやっぱりアイス程度では身体を冷やすには不十分だったようでまた暑さが意識の前面に押し出てくる。暑い。うるさい。

 ぼくは喧噪と灼熱から逃れるためにあの森にやってくる。

 森は木の密集してるぶんむしろ余計にセミたちの合唱がやかましかった。考えてみれば当たり前だ。これでは騒音のもとに自分から進んで近づいていったようなものだ。だが気温はぐっと低くなって涼しかった。とうに食べきったアイスの棒を地面に放り投げる。この程度の悪事は許されてもいいだろう。

 広葉樹のなかを進んでいく。地面では根と根が絡み合っていて足の踏み場もない。跳ねるようにして先へ進む。ひりつくような暑さに汗が頬をつうと伝った。 羽虫の類が周囲を飛び交う。 汗を拭えど不快感は拭えない。茂みをかき分けて奥へと進む。 十分も歩くとそこには小さな湖沼がある。ごく少量の流れ込んだ海水による潟湖だ。 ここからもう数分も歩けばあの小屋に到着する。なぜ自分がそこに向かっているのかもわからずぼくは歩く。

 しばらく歩いてぼくはあの小屋の会った場所に到着する。小屋は消えていたりするわけでもなくそのままそこにあった。

 ぼくは立ち尽くす。一分ニ分三分とぼくはなにかを待つ。小屋がとつぜん爆発したりしないだろうか。消えたりしないだろうか。なにやら神聖な雰囲気に包まれたりしないだろうか。おかしな妄想がぼくの頭のなかを占めていくが小屋はただぽつんと突っ立っている。

 ぼくはなにかを確認したかったのかもしれない。だけどやっぱり意味なんてないのだろうと思うとやる気も興味もたちまち失せた。そのまま中を調べることもなくぼくは家に帰る。自分がなにをしたかったのかわからない。そもそもはじめからやりたいことなんてなかったのかもしれない。そう思うとずいぶん気が楽になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る