第8話+ぐるぐる家族

 週末、プレハブ小屋は取り壊されることになる。

 消失した二つの死体については周辺をくまなく捜索したものの見つからなかったらしい。だとすれば遺体はどこにいったのだろう。たとえば防腐処理を施したうえで輪切りにされて山中に埋められているとしてそうなると発見は困難だろう。そもそもわかりやすく山中に遺棄されているとは限らないしぼくが警察に通報してから実際に彼らが小屋に足を運ぶまでにはだいぶタイムラグがあるから遺体を町中へ運びだす時間的余裕は十分にあったはずだ。

 しかし犯人がいると仮定してそもそもなぜ犯人はこうも面倒なことをするのだろう? 月曜の朝にぼくと櫟は一つ目の死体を発見した。これが確か夕方すぎ頃だ。それから一時間足らずくらいそこに滞在してそこを後にしたとき外は暗くなりかけていたはずだ。翌日の火曜日に櫟を探しにプレハブ小屋へ行ったときすでに月曜日の死体は消えていてまた新たなものがそこにはあった。とすれば犯人は月曜日の夜から朝方にかけてのあいだに作業を終わらせたということになる。それだけではない。火曜日そこには新たな死体があったのだからつまり一つ目の死体の処理をこなしたのち二つ目の死体はそこに現れたことになる。犯人が別の場所で男を殺してから自殺に見せかけるため細工をほどこしたのか本当に男自身の手による自殺なのかそれとも犯人が男の自殺をほう助したのか真相は判然としないがとにかくぼくたちが小屋を後にしてから翌日の早朝にふたたびそこを訪れるまでの短い時間でことが為されたのは確かだろう。二つ目の死体と三つ目の死体についても同様だ。火曜日の早朝から水曜日の昼ごろ三つ目の死体を見つけるまでのあいだに二つ目の死体はどこかへと消えてそして三つ目の死体はどこかから姿を現した。

いや待て待て考えるのはやめようぼくがどれだけうんうん唸りながら推理を披露したところでそんなことは何の約にだって立ちやしないし意味もないその時間を使って英単語の一つでも覚えたほうがいいにきまってる地に足をつけて行かなくちゃいけないし生きていかなくちゃならないんだ。衝撃の事実なんてものは存在しない。どこまでも世界はつまらないけどつまらなくたって構わないし生きていくってそういうことなのだろう。

 ぼくは今自室のベッドに腰かけている。ぼくはぼくがベッドに腰かけていることを確かに感じている。間違いなく自分はいまここにいる。ここに立っている。その感覚がなによりも大事なのだということをぼくは学び始めている。これでいいんだこの感覚さえあれば他になにもいらないなに一つ必要じゃない。そうに決まっている。けっしてぼくは間違っていないはずだ。

 しかしなぜだろうか拭いきれないわずかに残る浮遊感はぴたりと肌に吸い付いて離れない。なにが不満だっていうんだ? どうして納得してそれで終わらせられないんだ? 迷いは余計なものだろうか。いつまでも逡巡に身を任せてはいけないのだろうか。前にだけ進む時間にぴたり寄り添って前にだけ歩み続けなくちゃいけないのだろうか。

 しかしだがああくそ何も考えたくないぼくはもぬけの殻になった押入れに視線をやりどうすればいいのかどうすればよかったのかどうしていくのか考えようとしてそれを押し止めてただただうずくまって眠ろうとする。

 そうだきっと記憶を取り戻して元居た家に帰ったただそれだけだ深い意味なんてあるわけないしそれに事件に彼女が関係あったかどうかなんてどっちでもいいことだ。どうにも面倒で自分の手に負えない問題があちらからどこかへ行ってくれたのだからむしろ幸運をありがたく思わなくちゃいけない大事なのは生活が元の形にもどったことにある。なにもかもすっかり忘れてまた明日からを生きていけばいい。なにも難しいことではない。

 だけどしかしなぜだろうぼくはひたすらに後悔を続けている。ぼくはぼくはぼくはと繰り返されるのは私がなにをしたいのかどうしたいのか存在の意味をどこに定めるかについての思考の流れだ。

 ぐるぐるぐるぐる渦巻く脳みそに止めを刺そうとしてぼくは家を飛び出す。徐々に速度を上げていってタッタッタとランニングをしていると酸素も思考もだんだんと薄まっていってラッタッタともうなにも考えなくていい。走る走る走る。だんだんと速度が上がっていって風と一つになっているみたいな退屈な言い回しが頭をかすめてしかしそれも薄まって消えていく。走る走る走るぼくはどこかへ向けて走っている。無意識に任せきった肉体はあらゆる枷から解放されて地の上で加速していく。ああ気持ちいい気持ちいいなこれだけ良い気分になったのはいつぶりだろうかこのままどこまでも走っていけばもっと良い気分になって良い気分は良い気分を引き寄せて良い気分になるんだ「わははははははははははははははは」その瞬間ずしゃああああああああとぼくはなにか透明でやわらかな壁に吸い込まれたような感覚があってそのまま前のめりにつまづいて思いっきりこけて風に吹かれた紙くずみたいに地面をゴロゴロゴロゴロそのまま暗転つまりフェードアウトつまり失神。




 うちの家族は頭がおかしい。

 お父さんはいつも「散歩に行ってくる」なんて言って駅の電光掲示板をずっと眺めているし、お母さんは今日も同じシャツに五〇回はアイロンをかけている。

 高校生のお兄ちゃんは白昼堂々リビングで……その……アレをずっとイジっていて、今日も一〇回は白いのを床にいっぱい出した。しかも自分では掃除しようとしないのが厄介で、その損な役回りは私に回ってくるのだ。本当に勘弁してほしい……。

 下の弟はといえばこれまた曲者で、日がな一日彼は珍しい形の石を集めて回っている。といっても弟は小学校の低学年で、そのくらいの年齢の子なら珍しい形の石に興味を示すのはよくあることだと思うかもしれない。でも問題はその量。弟の部屋は大小さまざまな石でもう足の踏み場もない状態だし、最近はリビングにまで侵食してきて、もはやそういう模様のフローリングなのかと思ってしまうくらい。しかも石を片付けようとすると弟は半狂乱になって暴れだすから、私は愛しき我が家が日に日にわけのわからない石に侵食されていくのを眺めているしかない。

 蒸気と、お兄ちゃんの精液と、土臭い匂い。私にとっての『我が家の匂い』はそれだ。正直、もう最悪。何度家をでていこうと思ったかわからない。けど私は中学生だし、そんなお金はない。あと、そもそも私にそれを実行するだけの意思力もない。

 なんたって、こんな異常者だらけだけど、なんだかんだ私はこの家族たちが大好きなんだから。

 そういえば、何年か前にはこの中におじいちゃんもいた。母方のおじいちゃんだ。あの人もだいぶおかしくって、一日中仮想の敵国と戦争を繰り広げて、家の中でオモチャの銃を振り回していた記憶がある。でもこれはただのボケだったのかもしれないし何とも言えない。

 ずっと昔にはおばあちゃんもいたらしいけど、私が物心つく前におばあちゃんは死んじゃってた。でも親戚が言うにはおばあちゃんはまともな人だったらしい。ならおじいちゃん側の血筋に問題があるのかなーとも思ったけど、そういえばお父さんもちゃんと頭がおかしいので、たぶん遺伝とかではないのだろう。第一、私はまともだしね。

 ……いや、こんな家庭で平気な顔をして暮らしている私がまともなのかってポイントは、ちょっと議論の余地があるかもしれない。

 でもまあ、家族だ。べつにおかしいことではない、と私は思うし、思えないと、正直やってらんないよね。


「ねえやっぱおかしいって」と友達のミオちゃんが言って、うーんやっぱりそうなのかもなーと私は思う。


 ミオちゃんは私の親友だ。私の家族のことを他人に話したって、ロクなことはない。それを私は経験から学んでいたけど、ミオちゃんだけは別。彼女にだけは時々日ごろの愚痴をこぼしたり、相談に乗ってもらったりしている。

 学校の帰り道、駅前のおいしいアイス屋で私は今日もミオちゃんに家族の話を聞いてもらっていた。


「おかしいって、ぜったい」

「まあでも、なんだかんだ普通に暮らせてるし」

「普通じゃない、それぜったい普通じゃないから!」

「そうかなあ……」


 まあ、たぶんはっきり言って異常なのだろう。私もそれが分かっていないわけではない。


「あのさー……これホント純粋に人助けの思いから言うんだけどさ」

「うん」

「お医者さんに診てもらったほうがいいって、ぜったい」

「うーん、かもね」

「かもねって」

「いや、私もそうは思うんだけどね。でも、まあ、現状困ってないし」

「いやいやいや、困ってないって言うけど、単純に本人たちのタメにもさあ。まともにさせてあげたほうが楽になるんじゃないの」

「でもアイロンかけながらお母さん幸せそうだし、お父さんも楽しそうだし、弟も楽しそうだし、お兄ちゃんは気持ちよさそうだし」

「笑えないって……」

「あはは」


 笑って私はごまかす。

 それからミント味のアイスクリームを一口、溶けかけた部分をなめとる。清涼感が口のなかを包んで私はしあわせにくるまれる。たくさんあるアイスのフレーバーのなかでも、私はミントが好き。冷たいアイスと、さっぱりしたミントと、このふたつが合わさって失敗するわけがない。おいしいものはいくら合わせたっていい。重ねれば重ねるだけおいしくなる。

 ラーメンにアイスを乗せたってきっとおいしいに違いない。パンケーキにたこ焼き、ミルクレープにマスタード。二四色ある絵の具セットから私の好きな色だけを取り出して、混ぜ合わせ、そうしたらどんな素敵な色ができることだろう。人からは邪道な味、歪な色だと言われるかもしれない。関係ない。私にとって素敵ならばそれでいい。

 理解されないのは当然だ。無理に理解を求めようとは思わない。こうして私の愚痴に付き合ってくれてるってだけでミオちゃんには感謝しかない。

 それでいい。

 その通り。

 私の世界は私のためにある。

 ああ、なんてありふれた結論。

 でもそんな凡百な私が私は大好きってわけ。




 アイスを食べきってミオちゃんと駅前でわかれて帰宅すると玄関でお父さんが死んでいる。

 死んでいる。え、ほんとに死んでる。

 はじめはお父さんの冗談かなにかかと思った。床にぶちまけられた赤は血糊の色で、背中につきたてられた銀色ははおもちゃのナイフだって。

 でも違った。血糊はこんな鉄臭い匂いをしていないし、なによりここからは人間の気配が消失していた。

 間違いなくこれはお父さんの死体なんだ。三秒くらいでその答えにたどり着いて、それから私はうろたえる。

 どうしよう。どうすればいい?

 帰宅してすぐさま家族が殺されたのを発見してしまった人間は、いったいどんな行動を取ればいいのだろう。

 わからない。学校じゃこんなことは教えてくれない。数学や科学は受験の役にたってひいては人生のためになるかもしれないけど、サスペンスの役には立たない。

 どうしようどうしようどうしよう。

 わたしはお父さんのかたわらにしゃがんでみる。ナイフが刺さっているお父さんのお腹には丸く血のシミが広がっていて、呼吸をしめす腹部の収縮は見られない。死んでる。

 でも、こんなもの刺さったままじゃ痛いよね。

 わたしはお父さんのお腹からナイフを引き抜いて、さらに血液がドバドバ流れ出て、ナイフの刺さっていた跡にポッカリと空いた穴を覗き込んで、そしたらそこにわたしは吸い込まれて、はい失神。

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