第7話
目を覚ますと押入れのなかに納まっているはずの櫟はこつ然と姿を消していてぼくは彼女を探しにまたあのプレハブ小屋にやってくる。
プレハブ小屋の低い梁。そこに一人の櫟がいて彼女はそこに腰掛けながら悠然とコンクリート床に横たわる新たな死体を眺めている。まただ、とぼくは思う。また人が死んでいる。このプレハブ小屋で。彼女のすぐそばで。ぼくの目の前で人が死ぬ。閉ざされたこの小屋でまた一人の命が閉ざされる。未来が閉ざされてカラダの諸機能が閉ざされる。心が閉ざされる。
「なんなんだよ」とぼくは言う。
「どうしたんですか?」と櫟が答える。
「なんでまた人が死んでるんだ」
「さあ」
「さあって……」
「意味なんてないのかもしれません」
「意味がないなんて、そんなことはないだろ」
「どうして?」
「どうしてもこうしても、そこで人が死んでて、意味がないなんてこと……」
「今日は火曜日です」
「は?」
「今日は火曜日なんです。昨日は月曜日で、一日時が流れて今日は火曜日なんです」と櫟はこともなさげに言ってのける。「それで十分じゃありませんか?」
「なにを言ってるんだ」とぼくは言う。「君はどういう意味でそう言ってるんだ」
「意味なんてないのかもしれません」と櫟は繰り返して言う。「私の言葉にも死体にも意味なんてないのかもしれません」
「櫟が殺したのか?」
「誰を?」
「……」その死体が『彼』なのか『彼女』なのかを判断するためしばし視線をやってからぼくは答える。「彼を。死体になった彼を」
「私が殺したわけじゃありません」
「じゃあ……」
「調べてみたらいいじゃないですか」と櫟は言う。「昨日の続きですよ。ただの繰り返しです」
繰り返し。調べる? ぼくがこの死体を? なんのために?
ぼくは死体に目を向ける。死体は死体だ。昨日ここにあった死体と違うところは背格好と服装くらいで結局それは死体だ。首にはまた縊痕があってかたわらに麻縄が落ちている。ぱっと見では自殺に見えるけれど自殺と断定できるわけではなく他殺の可能性も捨てきれない。昨日とまったく同じこんな結論は三秒で導き出せる。けれどそれにどういった意味があるんだろう?
意味なんてない。本当にそうだろうか。意味なんてない。櫟が断ずるたびにぼくはその言葉を信じたくなってくる。なにもかもに意味など存在せず一切は空虚で無意味であるのだと櫟はぼくに思わせる。けれどそれは円環状に結びつけた線路におもちゃの電車を走らせるようなものだ。延々と走りつづける電車を子供はいつまでも楽しく眺めていられるかもしれない。しかしそこに終わりはない。同じ世界を幾度も走りつづけ、そこには心の安穏があるのかもしれない。だけどその安穏に浸りつづけることはできない。ぼくたちには終わりがある。世界には終わりがある。あらゆるものの誕生に終わりは付随する。
終わりがないものなんてこの世には一つもない。少なくともぼくはそう思う。
「今日は火曜日で」とぼくは言う。「だからまた人が死んだのか」
「はい」
「なら明日はまた明日で水曜日だから人が死ぬ」
「そうかもしれません」
「木曜日もまた死ぬ」
「そうなるでしょうね」
「金曜も、土曜も」とぼくは言う。「人が死ぬ」
「順当に行けば」
ぼくは言う。「じゃあ、日曜日は?」
「死にます」と櫟は言う。「そしてまた月曜日がやってくる」
「そしてまた繰り返す」
櫟は言う。「そうなります」
「でも……それじゃいつまで経っても終わらない」
「そういうことになります」
「現実的に考えて、こんなことは終わらせなくちゃいけない」とぼくは言う。「違うかな」
「私にはなんとも言えません」
「終わらせるんだよ。人が死に続けてちゃいけない。当たり前だよ」
櫟は不思議そうに言う。「じゃあ、どうするんですか?」
どうするかって?
水曜日がやってきてプレハブ小屋から火曜日の死体が消失し代わりにまた新たな死体が転がっているのを目にしてからぼくは近所の交番に出向きそこで昼食のコンビニ弁当を食べている警察官にすべてを話してそれから自宅にもどり自室で足を伸ばして音楽を聴いている。
一息にぼくのした行動を言い切ってしまえば簡単なものだけど実際にはかなりの時間がかかっていて今はもう夜の九時だ。
まず警官はぼくの話すことをはじめイタズラかなにかかと思ってまともに取り合わなかったし何とか彼らを説得してからともに現場に向かい実際にそこに転がる死体を見せてからは事情聴取やらの工程でまた時間をとられた。
しかし最終的には月曜から水曜にかけてのこれら一連の出来事は警察組織内という国家システムによって適切に処理されることになっておそらくいくらも時間をとらずに事の真相は解明されるのだろう。
はじめからこうすればよかったのだ。彼らの死因が自殺か他殺かの判断などは専門的な検死によって検証されるべきことであって素人がいくら考えたって仕方がない。もちろん警察の力に頼ることができない状況というのは存在するし山奥の洋館で起こった殺人事件にはたまたま居合わせた私立探偵が対処しなければいけないのかもしれないけど一一〇番にかけられるのならばまずまっさきにそれを試してみるべきなのだ。現場に残された不可解な数列よりもぼくたちはまず一一〇という三桁の数字に目を向けなければならない。
つまらないかもしれないけどぼくたちが生きるのは現実だ。
だからこれでいい。
「……」
櫟は相変わらずぼくの部屋の押入れで一日を過ごしているはずだ。断定できないのは今日に入ってから櫟が一度も押入れから姿を見せていないからだが小さく呼気音のようなものは聞こえるので間違いなくそこにいることはいるのだと思う。けして喧嘩をしたわけではないけど何故だかぼくは櫟に声をかけることができずそして今日という日が終わろうとしていた。
警察を呼ぶべきではない。よくないことが起こる気がする。そうした櫟の警告を無視してぼくは警察という公権力に頼った。それが間違ったことだとは思わない。けれどなぜだろう。ひとさじの罪悪感のようなものが彼女に話しかけることをぼくに躊躇させていた。
間違ったことをしたのではないかとぼくはほんの一瞬だけ後悔する。それからすぐさま思い直す。ぼくは間違っていないはずだ。これは現実と地続きの事件のはずだ。ぼくたちの住むこの世界は現実だし現実には現実しか接続されないはずだ。現実にファンタジーの入りこむ余地なんてない。ファンタジーはときとして現実を超えるかもしれないけどけして二つは混ざりあわない。ぼくは間違っていないはずだ。きっと……。
ぼくはかたわらに放ったウォークマンを拾い上げて音楽を止める。ヘッドホンから流れるふるい洋楽ロックが止まって静けさがイヤーパッドを侵食した。同時にぼくは櫟の呼吸を耳にする。どうやらまだ彼女はそこにいるらしい。まだそこにいて彼女は呼吸を続けているらしい。しかしだいぶ大音量で音楽を聴いていたからだろうか。彼女の呼気はなんだか聴き取りづらいような気がした。
ぼくがこれから取るべき行動とはなんだろう? 事件を警察に報告してそれからぼくはどうすればいいのだろう?
決まっている。櫟のことをなんとかするべきだ。彼女はこの事件に関係しているのかもしれないししていないのかもしれない。だがどちらにせよ彼女がここにいるというそれ事態が事件なのだし一般的に言って『記憶喪失の女の子は警察に届けられるべき』だ。なにも考えることなんてない。今すぐスマートフォンに一一〇を打ち込んで終わりだ。モニターを三回タップ。一。ニ。三。それで終了だ。
だというのにどうしてぼくの手はスマートフォンに伸びないのだろう?
「それは」と押し入れが開いてそして櫟が言う。「あなたがまだ捨てられていないからですよ。捨てたように思っても結局捨てられていないんです。もしかしたら少しくらいは捨てられたのかもしれないけど全部は捨てられていないんです。はじめからあなたに捨て切る気なんてないんです」
櫟は言う。「そういうことなんです」
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