先輩視点

「あー、なんでこいつら分かんねぇんだろ」


 私はコンクール曲のフルスコア(全てのパートの楽譜が一つになった楽譜)を見ながら、髪をわしゃわしゃとかき乱す。


「なに、バリサクが要らねぇとか。こことかバリサクいなくなったら大変だろうが」


 ファゴット・バスクラ・バリサクだけが吹く裏メロを指さした。


 私はこれでも吹奏楽部の部長だ。「これでも」と自分で言う理由は、この口の悪さのせいである。

『部長』と言ったら、言葉づかいは丁寧で、誰よりも率先して仕事を引き受け、素行は部員のお手本になるような人が望ましい、と私は思っている。


 なぜ自分が部長に推薦されたのかは分からない。ほとんど自覚はない。この口の悪さのせいで部員が私を怖がっているのでは……その自覚はある。


「確かに、パーカス少ないのは分かってるんだけど。優先順位っつーのがあるんだって。バリサク抜いたら土台が崩れるっつーの」

「先輩、移動しますよ」


 パート練習をするため、後輩が私を呼びにきた。


「えっ、ああ、ちょっと遅れて行くわ。他の人に行っておいてー」

「はい、分かりました」


 私は再びフルスコアに目を落とす。


「本人もだいぶつらいようだけど、どうしたら……」


 しばらく考えてみたが思いつかないので、譜面台とクラリネットを持って練習場所に向かった。

 歩きながらある考えが思い浮かぶ。


 いっそ、部活やめたらいいんじゃね?






 私は、部長の私と副部長の二人のLINEグループで、二人に聞いてみた。

 副部長の一人はフルートパート、もう一人はトロンボーンパートである。


『二人も知ってると思うけどさ、バリサクの子のことなんだけど』

『ああ……ペット(トランペット)の人たちがいらないって言ってたやつ?』

『正直言ってあの人たちには勝てないよ……部長なら言えるでしょ?』


 やっぱり、私があいつらに言うべきなのか?

 前に言い争ったことはあったけど……言い合っただけで決着つかなかったからなー。


『負けはしないけど、向こうも折れないからケンカになるっつーの 二人はバリサクの子どう思ってるん?』


 他のパートの人がどう思ってるのか、率直に知りたかったんだよな。


『すごいんじゃない? まだ半年しかやってないのにあのレベルって』

『私のフルートも結構 肺活量いるけど、バリサクもいるんでしょ? 音もちゃんと出てるしいいんじゃない?』


 二人ともあの子に肯定的な意見……よし、聞いてみるか。


『じゃあ二人は、あの子はいると思うか?』

『うーん……いるとは思うけど……』

『私もいるとは思うけど、理由を聞かれたら答えられないっていうか……』

『ふーん、了解』


 私はさっき思いついたあのことに価値を見出した。


「あー、なんでこいつら分かんねぇんだろ。私だけかよ。副部長なのになんで分かってねぇんだよ!」


 それなら実行してみる価値はある。

 部活から離れれば、あの子の心は少し軽くなるだろう。そして、バリサクがいなくなった上で合奏をして分からせるしかない。


 まずは顧問とだな…………戦闘準備。






 私は部員がいなくなった音楽室で、顧問と二人きりになっている。


「先生、知らなかったんですか」


 空いた口が塞がらない。


「もちろん先生は、バリサクが要らないなんて思っていませんよね?」

「もちろんもちろん、必要ですよ。明日、先生の口から注意しておきます」

「……バリサクの子には、何かないんですか」


 それまでスラスラと答えていた顧問が一瞬、ためらった。


「あぁ、はい。何があったのか話を聞きますよ」


 ぜってぇ考えてなかっただろ……!


「先生、それでも顧問ですか! ただ演奏の指導をするだけじゃダメなんですよ。人間関係の指導もするのが先生の役目じゃないんですか」


 険しい顔だった先生が怒りの顔にみるみる変わっていく。


「えぇ、そうですよ。あなたの言うとおりです。だからトランペットのあの二人に……」

「あの二人『と』?」

「……バリサクの……」


 言ったばっかなのにあの子は入ってねぇのかよ。

 人間関係の指導は、加害者と被害者の両方の意見を聞かないと……

 私はため息をついた。


「じゃあ聞きますよ。なんでバリサクは必要なんですか」


 あいつらと同じ、トランペット吹きの意見は……。


「木低(木管低音楽器)の音量がなくなります」


 まだ出てくると思って待っていたが、顧問の口からはそれ以上出てこなかった。

 ……うそだろ。


「それぞれの楽器の役割が分かってないのに、それでも指導者ですか! 音量だけならファゴットやバスクラを足せば済みますよ」


 顧問がたじろいたのが分かった。


「……もういいです。バリサクがいなくなってもいいんですね。さようなら」


 こんな奴と話していてもダメだ。

 私は足元に置いたバッグを持って、音楽室をあとにする。


「待ちなさい!」


 叫ぶ顧問の声に反し、私の足はスタスタと早足になっていく。

 次の日、私は職員室から退部届と入部届を一枚ずつ取っていった。


「入部したいっていう人と退部したいっていう人がいるので」






 部活が終わり、私は例のバリサクの子に声をかけようとした。だが、その子は泣いていた。


 また何か言われたんか……? あまり人前で泣くような子じゃないし、そうとうつらいんじゃねぇか?


 私はついに声をかけた。その子はまるで鬼を見たかのような、強ばった顔をする。

 やばい、怖がらせちゃった? でも声をかけただけだし大丈夫だよね。


「そんなに部活、キツいの?」


 その子はこくっとうなずき、「居場所ないですし、パート練習の時に嫌がらされるんです」と答える。


 やっぱり……そうだよなあ。じゃあ提案してみるか。


「それなら部活、やめたら? やめたら楽になるんじゃない? もしかしてそうかなって思って、退部届持ってきたから」


 私はカバンの中からファイルに入れた退部届と入部届を取り出し、その子に渡した。


「書いたら顧問に渡してよ。あ、私でもいいから」


 その子は涙をぽろぽろと流す。私はぽんぽんとその子の肩を叩き、「それじゃあね」と言ってその場を去った。


 その次の日から、音楽室にはバリトンサックス奏者の姿が消えた。

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