部活、やめたら?

水狐舞楽(すいこ まいら)

後輩視点

「おぉ、吹奏楽部なんですね! 何の楽器吹いてるんですか?」


 この手の質問、いつもどう答えてよいのか迷う。


「サックスです」

「サックス! かっこいい!」

「サックスって言っても、バリトンサックスなんですけどね」


 その人はとたんに表情を変え、「ば、バリトンサックス?」と聞き返されてしまった。


「みんながよく知ってるやつの、大きいバージョンです。低音楽器ですね」

「低音楽器……そう」


 吹奏楽部で低音楽器と言ったらチューバが思い浮かぶだろう。

 吹奏楽に携わっていない人からすれば『低音楽器=地味、目立たない、縁の下の力持ち』くらいにしか思っていない。実際、自分もそうだった。


「サックスをやっている」と言うとかっこいいと言われ、「バリトンサックスをやっている」と言うと、まずは楽器の説明をしなくてはならない。

 アルトサックスやテナーサックスなら一発なのに。ついついその二つとは違うと思って「バリトンサックス」と訂正してしまう。


 そんな目立たない存在のバリトンサックス。実際に吹いてみても、自分の音は金管楽器の爆音にかき消されてしまう。


「私、というよりバリサク、必要なのかな? ……必要だから要るんだろうけど」


 私は今日も首に六キロを提げて、音楽室のいつもの席に座った。






 もともと私はサックスパートではなかった。パートの先輩にいじめられてサックスに移ったのである。

 この学校のバリサクは一台しかないので、吹くのは私しかいない。そういうわけで夏のコンクールに出ることが決まっていた。他のパートはその枠を争ってオーディションをし、落ちる人もいるというのに。


「コンクール出たいからサックスに行ったんでしょ」


 そんな陰口が聞こえてくることもあった。

 なるべく波が立たぬよう気を配っているつもりだったが、あるとき私はやらかしてしまった。






「ねぇ、AとBってどっちの方がうまいと思う?」


 トランペットパートの先輩にそう尋ねられたのだ。


「私は……金管楽器のことはよく分からなくて」

「えぇ? だってコンクールメンバーになるんだから分かるでしょ。どっちの方がソロにふさわしいかってこと」


 この先輩は三年生のトランペット三人の中で三番目にうまい人だ。言ってしまえばソロには程遠い。選択肢に自分が入っていないのはそういうことだろう。


「えっと……まぁ、パートリーダーですしA先輩の方がうまいじゃないんですかね」

「ふぅん。ありがと」


 これまでの先輩の顔が一瞬で、落胆したような顔に変わった。私は変な寒気を覚える。動悸が止まらない。


 言ってしまったあとで気づいた。トランペットパートはA先輩がパートリーダーだが、実質B先輩の方が権力を持っていることに。

 この先輩はB先輩の味方だったんだ……。


 しかし私は忘れようとした。トランペットのことなど、サックスである私には関係ないと。そう思いたかった。






 次の日、私が音楽室に入るとしんと静かになった。直前まで廊下の外までガッツリ聞こえていた話し声が、一瞬で消え去ったのだ。


 私は荷物だけ置いて音楽室を離れる。


「あの子だけだよ、Aがうまいって言ったの」

「のちのちメンバーになるんでしょ? 耳悪すぎじゃない?」

「元からサックスじゃなかったから、耳が鍛えられてなかったりして? て言うか、そもそものバリサクの存在意義よ! あれ抜いてパーカス(パーカッション)増やした方がいいでしょ!」

「ファゴットとバスクラ(バスクラリネット)があるんだし、十分十分!」


 私の耳には全てが入ってきた。聞きたくなかったが地獄耳を使ってしまった。


 やっぱり私、要らないのかな……。

 聞こえないならいいのかな。ソロどころかメロディがあれば飛び跳ねて喜ぶくらいだから。






 その日から音楽室に私の居場所はなくなった。

 パートの中の会話にも入れてもらえなくなった。話しかけてもシカトされ、煙たがれる。


 曲練習で低音楽器どうしで合わせることとなった。ばっちりチューニングをして音は合っているはずだった。が、


「バリサク、ピッチちゃんと合わせてよ。ヘタクソ。これでコンクールメンバーになる気?」

「すみません!」


 バスパートのリーダーである先輩に言われてしまったのだ。

 チューナーを使って吹いてみる。針は真ん中を指して緑色のランプが点灯しているのだが……。


「合ってないよ! 一人だけズレてる」

「チューナーではちゃんと合ってるんですけど……」


 他の人は少し困惑している。先輩が私に「合っていない」と言った時、小声で「えっ?」と言うのが聞こえた。この雰囲気から私は察した。

 ああ、わざとだ。これ。


「ヘタクソならコンクールメンバーから外すことだってできるんだからね。ちゃんとしてよ」

「……はい」

「ちゃんと返事して!」

「はい!」


 いじめられてサックスに来たのに、またここでもいじめに遭うの……? しかも今度は部員全員が……。

 楽器を吹くことは好きなのに、それすらも嫌になりそうだった。






 部活からの帰り際、私は目に涙を浮かべていた。突然、部長から呼び止められる。


 部長はクラリネットパートのリーダーで、市内の中学生で一番うまいと言われる実力派だ。先輩からも同級生からも怖がられており、言葉がキツいのでよく萎縮させている。


「そんなに部活、キツいの?」


 私にはそれが意味ありげに聞こえたが、正直に言ってみた。


「……居場所ないですし、パート練習の時に嫌がらせされるんです」

「それなら部活、やめたら? やめたら楽になるんじゃない? もしかしてそうかなって思って、退部届持ってきたから」


 目の前に黄色い紙が突きつけられる。めまいがした。濃く太い明朝体で書かれた『退部届』の文字が吐き気をもよおす。


 これは……部長から「やめろ」と言われているようなもの。どうして。部員がやめることに抵抗はないの?


「書いたら顧問に渡してよ。あ、私でもいいから。それじゃあね」


 この涙を止めてくれるかと思った自分を殴りたかった。出る量が何倍にもなっただけだった。

 その時、黄色い紙に重なって見えなかった白い紙を見つけた。

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