絶望するまでがワンセット。

江戸川ばた散歩

実話っぽいですね。

「つまり何ですか、アナタは研究している作家が好きではないと」

「はい」


 私は眉間に皺を寄せ顎を指で撫でる担当教官に向かって深くうなづいた。

 本があふれている研究室の中、一対一で講義なり何なり受けられる非常に恵まれた環境だ。

 教官の本棚には彼が最も好きで、遂にはきちんとした研究書も出した作家に関する資料が満載だ。


「まあ普通、好きだから研究するんじゃないの? 少なくともワタシはそうですがねえ」

「いや、関心はあるんですよ。と言うか気になって気になって仕方ないんですよ」

「ほぉ」

「でもそれって、例えばジャイアンツのアンチみたいな心理で。罵倒することが好きとか」

「アンチですか。でもアナタ、アンチにしてはずいぶん時間と金かけてるじゃないですか」


 そうなのだ。

 昔むかし、大学に通っていた時に感じたその作家への文章への違和感。


 なんかきもちわるい。


 その正体を掴むため「だけ」に私は二十何年後に社会人入試で大学院に入った。大枚はたいて受験し合格し入学し学費を出し。

 無論かけたのは学校にだけではない。その前にその二十何年かけて、その作家の本を総ざらえするくらいに蒐集した。

 対象は「戦前から戦後にかけて大活躍した某女性大衆小説作家」だった。今は殆ど知られていない。当然だ。今のマンガ家が果たしてどれだけ後世に残るだろうか?

 殆ど読者が女性だっただろうその作品群は、ともかく散逸しまくっていた。

 今の様にネットが発達していない時代には東京の神田の古本街や、京都の古本まつりにも顔を出した。名古屋の古くからある図書館にも何度か通った。

 「日本の古本屋」やヤフオクが使える様になってからは、これでもかとばかりに探した。そして状態は気にせず、使える金額程度でひたすら蒐集した。その結果、また別の重要なテーマを発見したのだが、それはまあいい。


「わかんないねえ。嫌いなんでしょ?」

「判りやすいメロドラマの文章の底に見えてくる悪意や偏見や本性、それを隠そう隠そう、もしくは正当化しようと必死になっている様が見えるところが面白いです」

「批判のために研究するってのもねえ」


 教官はため息をついた。

 気持ちは理解できる。彼は本当に好きで研究している類いだからだ。

 だけど私にはできない。

 本当に純粋に他者として好きなものというのは、そもそも手をつけることができない。



 その昔、某バンドの某ヴォーカルの書く「歌詞」の「中の人」の正体を知りたくて同じことをしたことがある。

 インタビュー記事の載っている雑誌を入手できる限り集め、ファイリングし、発言やラジオトークの口調、雑談の中に紛れているニュアンス、そう言ったものを事細かに調べたものだ。

 そして気付いた。結局自分が「中の人」にどうしようもなく共感できてしまうからだったのだ。


* 


 またこんなこともあった。

 とある同人作家が炎上騒ぎを起こしたこともある。私はその文章を総ざらえして批判の感想を送ったこともある。そのためだけに相手の同人誌をわざわざ購入したこともある。買えば感想は言える。

 相手は絶対に自分の非を認めなかった。これは表現です、の一点張り。

 愚痴る私に当時友人は言った。何でそこまで気に入らないの、と。

 私は言った。


「同族嫌悪」


 不毛だよ、と友人は言った。私もそう思った。

 なおその同人作家は最終的には電子で一冊出せたが酷評され、その後は書いていないという。



 言ってみれば、研究対象にもそれに近い感情はある。

 彼女を形作った要素や、熱病的に文章を書きまくるその力や、何より男と結婚するということを完全に拒否した女だったということ。

 ただ自分と違うのは、その作家は成功し巨万の富と同性のパートナーと生涯連れ添い、死ぬ少し前まで執筆していたということだ。

 だがその作品は、その本性にフタをしたものだった。

 一見つらつらと読めるメロドラマの数々。だがその底に流れるのは、思い切りねじれた感情。絶対に「自分の産んだ子供を可愛がって育てる」ヒロインは出てこない。

 長編小説をほぼ総ざらえして見つけたその法則に気付いた時、ふと私は愕然とした。

 自分が書く二次小説で、複数のキャラクターを女体化させる時の人間関係と同じじゃないか、と。


 ああ嫌だ嫌だ。


 判ってる。

 経験の無いことはできるだけ書きたくない。経験はそもそもしたくないからしなかった。

 そんな堂々巡りの中で必死でそれらしく形をつけると、彼女と同じ形になってしまっていたのだ。


 

「私が好きなものってのは、似てるんですよ自分と何処か。だからひっかかる。

 正体を知りたい。暴きたい。

 そして自分と似てると愕然として絶望するまでがワンセット」


 そう。某ヴォーカルの歌詞の「中の人」の何処か生きてることにふわふわしているところも。

 あの同人作家の態度も。

 そして研究対象の作家の作品に一貫している法則も。


「人だってそうですよ。自分に書けないものが書けるひとをつい好きになってしまうんです。だけどそれは絶対かなわない」

「何で?」

「だってそのひとは私が見たくないものを見てきたから書いたり描いたりできるんです。だからそのひとをいくら好きになったとしても、一緒に居られるとは絶対に思えないんです」

「でも好きになってしまう?」

「残念ながら。そして絶望するまでがワンセット」


 不毛だね、と教官は言った。

 全くですね、と私も応え、付け加えた。


「でもそういう性癖なんですよ」


 四十越えてこうならもうどうしようもない。

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